狼、吼える ★
ハリーのイラストを追加しました。2016.09.19
アウグストの隠れ屋敷に現れた人物は、夏用毛糸のマフラーで顔をぐるぐる巻きにして隠しており、冷えては来たがまだ暖かさのある午前の日の光の下でこれまた毛糸のカラフルな大判ストールを首に巻いていた。
短いブーツに裾をたくしこんである長ズボンは筋肉でパンパンだ。粗末な布の服に羽織っている上衣は所々頑丈な革で補強されたなめし革のもので、それが一層ならず者の様相を補強している。奇妙な訪問者は開口一番にこう言った。
「アウグスト様に会わせてくれ」
「!!」
「お?」
対応した下級騎士は大慌てである。主人がここに居ることは誰にも知られてはならないことだ。なのに何故かこの男は知っており、今は通りかかる人間は居なかったものの、わざわざ敷地外の通りでその名を出したのだ。騎士は仲間を呼ぶ合図を出すと訪問者を引きずり込むと捕縛に掛かった。ぐるぐる巻きにされる男。だが、そいつは不思議なことに一切の抵抗をしなかった。
「あはは、馬鹿だね~、ヨイっち」
「ハリー! ほどく様に言ってくんない?」
階下の様子を見に来たハリー・リズボンは、シン族の狼人間イザヨイが石の床に転がされているのを見て破顔した。
彼はイザヨイとはよく知った間柄なのである。ハリーは笑いながら手で「放してやれ」と合図し、立ち上がって埃を払っているイザヨイに上がってくるように言った。
「気をつけて、アウグスト様は機嫌悪いから」
「へ~」
「それで、どうしてここへ?」
「トマスさんが来なくて、探しに来たらアウグストのダンナを見つけたから……」
「う~ん、今回は特別ね。次やったらおしおき」
「えっ、何でェ?」
「何でって、ヨイっちが連絡取っていいのはセンパイにだけじゃん。今日はセンパイはお城だし、次点の僕もアウグスト様と一緒に居るから許すだけ~」
「え~?」
階段でじゃれている二人に、部屋の内に居るアウグストから声がかかった。
「いつまでそこでそうしているつもりだ?」
「はい、今行きます」
「お邪魔します……」
扉が一枚もない部屋が立ち並ぶ二階の、一番奥の部屋がアウグストのものだ。ハリーに続いてイザヨイは頭を低くしながら入室した。まず目に入るのは衝立である。イザヨイはマフラーを外し、後ろ手に隠した。
「何用だ?」
機嫌が悪いというのは本当だった。刺すような視線がイザヨイに注がれている。イザヨイはアウグストが苦手だ。命の恩人とはいえ優しさから手を差し伸べられた訳ではなく、蔑まれないとはいえ暖かく接してくれるでもない、手駒として拾われたのだ。
何よりその膨大な魔力を溜め込む体が放つ異様な気が怖い。美し過ぎる顔で吐く毒が怖い。そして何より、気を抜くとふと、青銀の怜悧な月の化身とも言えるこの男に跪いて忠誠を誓ってしまいそうな自分が怖い。
「あ……、トマスさんにお客が来て、アウグスト様に会いたいって……言ってました。デイブレイクとか言う男の……」
「知らぬ」
「違った、女の人だった。名前……名前は……、ル? そうだ、ルベリアさん」
「!!」
「ルベリアさんって、赤い瞳ェのきれェなニンゲンでした」
「間違いなく瞳を見たのか!?」
「はい。見ました」
「ルベリア……! よく、知らせてくれた。ありがたく思う」
(驚いた……あの魔王子サンが、ありがとうって言った?)
「ヨイっち、お手柄!」
「え? え?」
「ルベリアさん、今どこ?」
「店で、待ってる。あのヒト、最初男にしか見えなかった」
「ちょ、小声で言おうよ」
「……良い。本当のことだ」
「アウグスト様~、正直すぎでしょ」
人の悪い笑顔を浮かべるアウグストや楽しそうに笑うハリーに安心してか、イザヨイはこの時、口を滑らせたことを後々悔やむことになる……。
「あはは、オレ、あのヒトに求愛されちゃった、ですよ! 求愛されたのなんて初めてで……」
ぴしり。
空気の凍る音が比喩でなく聞こえた。
「きゅう、あい……?」
アウグストの握り締められた拳にイザヨイの目は釘付けだ。部屋の空気が冬のそれに変わっていく。
「は、はィ。あの。ハリー?」
「全部話しちゃいな。凍りつく前にさ」
「え? え? あのヒト、ダンナの何なの?」
ハリーの顔が「あっちゃあ~! やっちゃったね」という表情へ変わる。さらに冷え込む空気によりイザヨイは己の失言に気が付いた。
「何でもないさ……。今は、まだ、な」
「ひィ! 床に氷が張ってるゥ!?」
「求愛か。舐めたのか。そうか……」
「あのヒトが舐めろって……!」
「それで? 他には? もう触れたのか……? ん?」
「ないないっ、ないです! ホントです! 指一本しか!」
「指一本には触れたのか……」
「だ、だって! シン族のこと知ってたし、聖堂騎士の娘だって言うから、知ってるもんと……」
「ルベリアが悪い! あいつは何でも知っているかのような顔をしておきながら、たまに中身がスカスカなんだっ!」
激昂するアウグストに「さもありなん」といった表情で頷くハリー。イザヨイもガクンガクンと首肯して同調しておく。
「全く……! 早く迎えに行ってやらねば。説教だけでは済まさんぞ、ルベリア!」
「車を用意させますね~。あ、ちゃんと顔を隠してくださいね、アウグスト様。イザヨイもお供するように!」
「えっ……」
この状態のダンナに着いて行けと?
イザヨイは手振りで聞いた。
「殿下!」
「わぷっ!」
ハリーが部屋を出ようとした瞬間、猪のように飛び込んできた下級騎士が叫んだ。
「ガイエンからの船が! 反乱によって膠着状態、海上で身動き取れません! 至急援助をと連絡がありました!」
「………………」
緊急時の連絡は何よりもまず正確さ、である。
それも反逆者の首を受け取り、残りの逆賊を一掃する計画の一番の要の部分に障りのある緊急時である。言葉遣いや、場所や時間やタイミングなぞ、些事である。であるが……っ。
アウグストは唸った。
「アウグスト様? 港へは馬で、僕も一緒に行きます。早くお支度を!」
ハリーの声に応えて氷が張っていく。
ピシ、パキパキ……。
「ちょっと! アウグスト様以外に海上の船を鎮圧出来る人間は居ないんですよ!?」
「………………」
「ルベリアさんに自慢出来ますよ……?」
ピクリとアウグストの指が動く。
「あのヒト、ダンナを誉めてたっ! う、海みたいに寛大なヒトだって! ダンナの名前出たとき、う、嬉しそうだったっ!」
イザヨイの言葉に、アウグストは溜め息を吐いた。
ハリーが「よくやった」と手振りで示す。
「仕方ない……行くか。イザヨイ、戻ってルベリアを守れ。後でトマスを寄越す。だがもし……あの娘に、触れたら……」
「絶っ対、手ェ出しません!!」
ハリーとアウグストを見送って、イザヨイは吼えた。
それは己の命がまだあることへの感謝の咆哮だった。
illustration ハリー・リズボン
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