逃避行 1
王家の抜け道を出た頃には陽が傾きだしていた。
ここは城下町のどこかであるには違いないのだろうが、わたしにはあいにく土地勘がないため、日が暮れるまでの短い間に目的地に辿り着くことは出来そうにない。
侍女の格好はひどく目立つし、夜になればなおさらだ。かと言って銀子も無いので服を替えることも出来ないし、通りすがりのひとから奪うわけにもゆかないし……。
そうだ!
侍女服姿のわたしに声をかけてきた不埒な輩から服を剥ぎ取りましょう!
名案を思い付いたので、さっそく暗がりを見つけに動くことにする。後は獲物を待つだけ! 上手く悪人がかかるだろうか……。ワクワクしながら待っていると、やがて通りにも徐々に暗闇がやってきた。
こんな時間にこんなところで一人で居ると、遠い昔に教会の近くで遊んだことを思い出す。皆が輪になっているところに行くと、走って逃げられてしまうから、皆が帰った頃にこっそり隠れんぼごっこをしたなぁ……。いつまで経っても鬼が探しに来ないから、終わりのない遊びだった。父が仕事を終えて迎えに来てくれるときが一番嬉しかった。
「オマエさん、一人かい?」
「…………」
来た。
身なりの良くない酔っている男だ。すでに老齢のようである。首を刈れば一撃だ。
「そんなとこに居ちゃ危ないよ。どれ、衛士の詰所に連れて行ってあげようなぁ。拐かしが出るぞ?」
まさか、その拐かしを待っているんです、とは言えない。
く……、わたしは、親切なお爺さんになんて酷いことをしようと……。
「ご親切にありがとうございます。もう大丈夫ですので、お気遣いなく。馬車を拾って帰ります」
「それがいい。気をつけてな」
「はい。声をかけていただいて、本当にありがとうございます」
「じゃあ、良い夜を」
「良い夜を」
お爺さんに別れを告げて、わたしは明るい通りまでやってきた。すれ違う人々が私を物珍しそうに見ている。やはり、侍女の服装は外套を羽織っていても目立つな。
どこか身を寄せるのに適当な場所はないだろうか。頼りになるユージェニア隊長は王太子殿下の勢力下だったし。ふむ。
はっ!
居た!
わたしが知っていて、かつ、少しなら援助してくれそうな人間と言えば、キンバリー伯爵だ。彼の御仁がアウグスト殿下と繋がりがあるかまでは分からないが、少なくともわたしの願いを拒絶したりはしない筈だ。何と言っても貸しがあるのだし。
……馬車の代金も払っていただこう。歩いては行かれないし。怒られたら謝ろう。
◇◆◇
キンバリー伯爵家の前で馬車を待たせ、裏口から取り次いでもらう。服装のせいか人が違うせいか、裏口では使用人に全くの初対面であるかのような対応をされてちょっと困った。
「キンバリー伯爵様には、ショコラの件でルベリアという騎士が話したいと、お伝えください」
「それで、騎士様は表の馬車に?」
「いえ、わたしが騎士です」
「はぁ?」
「とにかく、キンバリー伯爵にお目通りさせてください。あと、馬車は銀子を払って帰してください。代金は後程……」
「はぁぁ?」
もどかしいやり取りの末、何とか応接間に通してもらえた。幸運なことにキンバリー伯爵は在宅だった。漏れ聞くところによると、裁判の準備などで社交の場である夕食会は自粛の向きらしい。事前の取り決めや買収が発生しないためだとか。偉い方々の考えは、わたしにはよく分からない。
そして、キンバリー伯爵だけでなく、エルンスト少年もまた在宅だった。伯爵と一緒に応接間に入ってきたから分かったことだが。
「うわ、ルベリアさんが侍女の格好をしている。本当に女性だったんですね」
失礼な。
女騎士だと言ったでしょうに。名前も女性名だし、なぜそんな反応をされるのか理解出来ません。
「それで、こんな時間にこんな格好でどうしたのかね?」
「はい、お願いがあって参じました。今とても困っているので、幾らか銀子と、男物のあまり上質過ぎない服を頂けないでしょうか」
「ふむ……」
「服なら、僕ので良ければ合わせてみますか?」
ピクリとキンバリー伯爵の眉が動いた。
……坊っちゃん、まだ貴方の父上はわたしに「与える」と言ってないですよ。上官の許可なく話を進めてはいけません。
「エルンスト様、お気遣いありがたいのですが娼館へ行くので貴方様の持ち物をお借りする訳には参りません」
「しょ、娼館へ!?」
エルンスト少年、動揺しても顔に出してはいけませんよ。
男子、動ずるなかれ、です。
「ふむ?」
あ、キンバリー伯爵の眉が片方持ち上がった。
これは「興味があるから話してみろ」ですね、分かります。
「わたしはアウグスト殿下と連絡を取りたいのです。殿下が信用される娼館を知っておりますので、行きたいと思います。殿下はきっと、まだ王都に留まっておいででしょうから」
「確かに、あの御方が大人しく領地に帰られる訳がない。だが、王命は絶対だ。もし本当にお前の声が届くのならお諌めするのが騎士の務めと知れ」
「はい。ですが、無礼を承知で一言だけ貴方様に申し上げますならば、王城の騒ぎは王を害する者が城に居る証し。アウグスト殿下より他には騒ぎを鎮められる御方はおられません」
「…………何を知る?」
「今は未だ、口にすることが出来ません」
キンバリー伯爵の猛禽類のような目が、わたしの心を見透かそうとでもするように刺さる。エルンスト少年はわたしたちのやり取り、というより父親の目力にたじたじだ。
わたしだって、出来ればすぐにでも逃げ出してしまいたい。
「良かろう。望みの物を望むだけ持っていけ。お前の為すことが王のためになることだと信ずる」
「はい、ありがたく存じます」
「ルベリアさん、頑張ってください」
「エルンスト様、ありがとうございます」
わたしは伯爵家の使用人の男から服を貰い、準備をして馬車を呼んでもらった。さて、後は花街の通りに馬車を着けてもらって目当ての娼館を探そう。さぁて、名前は何だったかな……。




