冷たい怒り
「トマス、これをどう思う?」
「大変よくお似合いかと。殿下に」
「馬鹿者、ルべリアに贈るのだ!」
トマスのからかいに舌打ちし、アウグストは手の中の豪奢な首飾りを「不要」の方へ押しやった。選り分けたうち、ルべリアに贈ろうと思える程のものはまだ少ない。
卓の上を覆うほどに広げられた装飾品の数々のうち、粒の大きい真珠の耳飾りを手に取り、アウグストは目を細めた。
「あれには何でも似合いそうだな」
「…………」
そういう本人こそ、こういった飾り物がよく似合う美貌であるのだが。アウグスト自身はそういった事には思い至らないらしい。
それにしても張り込んだものだ、とトマスは思う。
ここにあるのはアウストラルでも一級品、いや、アウグストの手元にあるのだから特級品だろう。それをこんなに集めて、まさか全てを買い上げたのではないだろうが……。
「どうした? ああ、これは我が母からルべリアへの贈り物だ。よほど懲りたらしい。機嫌取りだ」
「ああ……」
なるほど。確かにあの方ならそうする。
ギュゼル姫の御生母、オーリーヌ殿にも優しく接しているようだ。馬鹿な犬でも餌をくれる人間は分かると言うし、つまりはそういうことなのだろう。
「こうやって、徐々にでも良い、ルべリアを認めさせていけば良いのではないか?」
「は?」
「身分など……。真に重要なのは血筋でも家でもなく、力なのではなかったか?」
「……確かに、そういう教えではあります。全ての民は家ではなく本人の力によって立つ場所を定めるべし、でしたか」
「そうだ。全ての民とは、我々王族も含む」
「それは……しかし」
トマスは言い淀んだ。
こういった議論は自分には向いていない。もっと詳しい人間を連れてくるべきだ。このまま自分が煙に巻かれてしまえば、アウグストは止まらないだろう。
(どうするべきだ……?)
そんな最中の事だった。天井から独特な合図が送られてきたのは。アウグストの雇い入れたチチュ族の隠密からの報告だ。トマスは部屋の扉の錠を確かめ、廊下からの侵入を阻むために戸口に立つ。
やがて、小さなふわふわした生き物が、天井の穴から紐を伝って下りてきた。
◇◆◇
部屋の中には重苦しく、飲み込まれそうな沈黙と冷気とが場に低く漂っていた。
「報告は以上か?」
トマスは震える小さな二足歩行の鼠に問いかけた。
チチュ族のラクレは頷く。
報告をまとめるとこうだ。
曰く、「第一王子とルべリアは抱き合っており、テオドール殿下はルべリアに求婚していた」と。
トマスが繰り返すと、アウグストの体から冷気がさらに漏れだした。異常を察知してラクレはさらに震えている。
いやはや、何とも間の悪いことだ。
つい昨日までのトマスであれば、ルべリアと共にテオドールまでもが盤上から消えて喜んでいただろうに。
いったいいつからルべリアに目をつけていたのかは知らないが、あの陰険で腹の黒い男のことだ、機を見ていたに違いない。
大方アウグストのいない間に、ルべリアにちょっかいをかけていたのだろう、あの外面だけ王子め。
トマスは、自分と似たり寄ったりであるテオドールに内心毒吐いた。同族嫌悪というやつである。
トマスはラクレにだけ聞こえるよう小さな声で命令した。
「その騎士を連れて来い」
こうなったら本人に直接聞くしかない。
ラクレが去った後、トマスが話しかけようとアウグストに近付こうとした時、アウグストは動き出していた。
「っ! アウグスト様!」
その、何の感情も宿していない、凍りつくような白い細面に。
黒く昏く淀んだ水のような瞳に。
トマスの足は意思に反して動きを止めた。だが、無理矢理にでも動かす。トマスはアウグストの前に行き、部屋を出ようとする主人を阻もうとした。
「退け」
アウグストの左手がトマスの二の腕に触れる。
それだけで服が凍りつき、一瞬で腕に貼り付いて痛みを走らせる。
「ぐっ! 駄目だ、アウグスト!!」
悲鳴を上げたいのを堪え、トマスは残る腕で幼馴染みを引き留めようとするが、半歩足りなかった……。
アウグストは扉を開けて外に出ると、トマスが出てこられないように黒術で以てそこを閉ざしたのだった。
「開けろ、アウグスト! どこへ行くつもりなんだ!! アウグストー!!」
いくら扉を叩いても、応える者はなかった。




