ふわふわの隠密
ルべリアが城の離れまで戻ってきた時、そこにはタンジーしかいなかった。慌ただしく駆け込んできた馬鹿娘の尻を叩いてやろうと箒を振れば、その場で跳ねてかわされた。何と無駄な跳躍力か。
主人が不在であることに安堵した馬鹿娘は急いで騎士服に着替えに二階へ上がっていった。
「ふん、まあいいさね」
彼女は上手いこと父親と会えただろうか、そんな考えが浮かぶが、どうやらいつもの如く城へ出掛けるらしい。……最近はゆっくりお茶も出来やしない。
奥様もこのところ城の側妃に呼ばれることが多いし、お姫さんも馬鹿娘もいないとなると、やる事もない。
お姫さんが生まれてから、ずっと側に仕えてきたが、ここに来る護衛騎士は皆、態度が悪かったりやる気がなかったりと、ろくな人間がいなかった。
男を雇った事もあったが、奥様に色目を使うやらお姫さんに好奇の目を向けるやら、そんな奴ばかり。ルべリアが来てから、随分と楽になったと思う。お姫さんも笑顔が増えたし。
それにしても、顔はまあ綺麗だとはいえ、男みたいななりのルべリアを王子が所望とは……。あんな、恋のコの字も知らない初心な小娘を言葉で縛り付けて言うことを聞かせようだなんて感心しない。身分の高い人間の命令には逆らえないが、抜き差しならないことになる前に逃がしてやろうと、タンジーはこっそり決意していた。
馬鹿な娘ほど可愛いというやつで、タンジーは自分が罰を受けて牢に入っても良いくらいにはルべリアを好きなのである。
何でもよく食べ、よく働き、お姫さんのためにいつも一生懸命で。子どもみたいに笑う娘なのだ。それなのに、最近は……。こっそり泣くやら、考えごとをしていて失敗するやら、うなじには誰に付けられたのか口づけの痕まで。しかも、いつもの第二王子とやらが留守の間に、だ。
誰かに脅かされてるのかもしれん、と思うと、タンジーの腹の中は煮えくりかえるような不快感に支配された。
「全く、どいつもこいつも……!」
せめて一言、相談でもしてくれれば、やれる事だってあるだろうに。
タンジーは胸の内で呟くと、お姫さんの午後のお茶に出すビスケットをオーヴンにいれるのだった。
そこへ、ドタドタと音を立てて降りてくるのが一人。さっきまでのしんみりした気分はどこへやら、木ベラを振り回してタンジーは怒鳴った。
「何やってんだい、埃が立つだろうが!」
「すみません、すみません! 急いでいるんです!!」
駆け足で出ていく背中を見て、タンジーは深くため息を吐いた。
「あんの、馬鹿娘が」
◇◆◇
アウグストの密偵であるミモレは困っていた。
離れの見張りを任されており、大きな動きがあれば報告を、襲撃者は撃退し捕獲か追跡をせよという命令である。今はミモレと、双子の弟のラクレの働く時間だった。
襲撃もなく、ただ見張るだけの退屈な任務だ。だが、今この瞬間は違う。目の前の小路で男と男が抱き合っているのだ!
一人は第一王子、もう一人は騎士である。男同士だから友情とは限らない。妻だとか捨てるとか、聞き捨てならない台詞がちらほら聞こえる。
(何てこと、男同士だなんて!)
ミモレはひげをひくつかせた。彼女はもう十四歳、人間の女性で言えば成人している。そして、この年齢の女の子らしく恋の話には貪欲で、しかも耳年増であり、年上の姉の影響か道ならぬ禁断の恋の話も大好きだ。
目の前で、(種族が違うとはいえ)美形の男が秘められた逢瀬を果たしているとあれば、頬のふかふかした毛に両手を埋めてこっそり見詰めていても仕方ないではないか。
「なぁ、どうすんだこれ」
「なによ、邪魔しないで、ラクレ」
「報告だよ、するのか? しないのか?」
困る理由はこれである。
ただの男同士の抱擁なら報告の必要はないと思う。でも、第一王子の道ならぬ恋はスキャンダラスだ。大きな動きと言えるのではないだろうか。言ってみて怒られるのと、言わずに怒られるの、どちらも嫌だが言わない事で大変な事態になったらもっと怖い。
「あ、もう行っちゃった」
「どうしよう、ラクレ」
「おれが聞きたいよ」
二人はくりくりした黒い目をぱちぱちさせて考えこんだ。ミモレと、ラクレの双子はチチュ族、身長四十インチ(約一メートル)の、尻尾のない、鼠によく似た二足歩行の種族である。その身を覆う真っ白な毛はふかふかで、触りごこちは綿に似ている。アウストラル王国だけに住む、非常に珍しい小数種族だ。
ややあって、ズボンを穿いたほうのラクレが城に向かって走り出した。スカート姿のミモレは、離れの見張りを続ける。ミモレは赤い髪をした騎士の憂いを帯びた横顔に思いを馳せた。
(彼はニンゲンなのにとってもカッコいい……。ああ、どうして彼は男のニンゲンが好きなのかしら?)
ミモレの盛大な勘違いを正す事になるのはそんなに先の話ではない。




