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魔王子は女騎士の腕の中で微睡む  作者: 小織 舞(こおり まい)
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嵐の前

 ルべリアを部屋に送り届けたトマスが戻ってきた時、彼の主人は一人手酌で杯を傾けていた。



「帰ったか……」


「はい」



 トマスは主人の言葉を待つ。

 ちょうど良い時に、いや、主人にとっては最悪なタイミングで邪魔したことになる。叱責は覚悟の上だった。



「ルべリアは、何か言っていたか?」


「いえ、何も」


「そう、か……」



 真実だった。ルべリアは何の弁解もせず、ただただ謝ってばかりだったのだ。



「良いところであったのに……折角、ルべリアから求めてきたというのに……」


「自分はただ、約束が破られそうであったので殿下の元へ馳せ参じたのです」


「約束だと……?」


「命と純潔は取り上げない約束でしょうに」


「チッ……! そんな約束するんじゃなかった!!」


「殿下、口調が…」


「うるさい!」



 酒に付き合えと言われ、トマスは新しい杯になみなみと酒を充たして椅子に座った。



「ガイエンはどう出ると思う?」


「自分には分かりかねます」


「ふむ。まあ、ダントンの(くち)八丁次第か……」



 それはかなり信用度の低い勝負ではないだろうか、とトマスは思った。折角の証人を泥舟で送り出したのでは全てがまさに水の泡である。



「アウグスト様は何故、ダントン・ノレッジにお任せになられたのですか」


「ふ。あれはね、トマス、金が好きだ。外国でログサムを沈めて金を奪っても、悪くすれば罪人として追われるだけ。

 しかし、私の指示通りに動けば、後払いではあるが、持たされた金よりもっとたくさん手に入るし、地位も権力も思いのままだ。裏切らないさ」



 利点(メリット)が無いからな、とアウグストは鼻で笑った。



 ログサム……遠征の際に飛竜の背に乗り、突撃してきてアウグストに返り討ちにされた敵側の捨て駒である。どうにか生きていたのを、療術士に傷を治させた。現在はもう歩ける程になっている。



 アウグストは事情を全て把握すると、ガイエン国に使者として派遣し、レオンハルトの身をアウストラルに引き渡すよう交渉してくる役目を与えたのだ。自分の従兄、ダントン・ノレッジを監視役に着けて、しかもテオドール・(グレゴリオ)・アウストラルの名において。



 ……全てはテオドールの手柄となるのだ、ノレッジは旧い侯爵家だし、悪いようにはならないだろう。



 ガイエンとの取り引きが無事に済めば、ログサムは家族と共にガイエンで貴族としてやっていくことになる。表面上は引き抜きのようなものなので、実際の彼の犯した罪はガイエン上層部知られているものの、世間体は保たれる。アウストラルにいるより、よほど幸せに暮らせるだろう。



「……どんな心境の変化ですか、アウグスト様」


「どういう意味だ、トマス」


「あの程度の者たちなど、今までであれば切り捨てていらっしゃった筈……なぜ情けなどおかけになるのです」


「……今まで、か。私は怠惰であった」



 確かにその通り、アウグストは与えられた仕事はこなすが、効率や合理性、成功率、全て投げ棄ててただ気の向くままにやっていた。「形式を守っていれば文句は無いな」とでも言いたげに。



 そのせいで、魔物退治で受ける称賛だけがアウグストの実績だった。部下の統率すらトマス任せという体たらくに、アウグスト個人に向けられる忠誠は少ない。



 ルべリアの影響でアウグストは変わった。態度が柔らかくなった。しかし、こんな風に、重用しない者にまで優しくするなど、アウグストらしくない。いや、逆に情けをかけすぎて嘗められるのではないかとまで思う。トマスは心配になったのだ。己の主人は芯まで腑抜けたのではないかと。



「怠惰であるから何も考えていなかったのだ。

 利用出来る者まで切り捨てていては仕事は大変になるばかりだ。命や他の大事な物を天秤にかけてやれば、良い動きが出来る駒もあると学んだ。

 適材適所だな。絞り取れるだけ絞って捨てるのは油だけで良い。人間は手入れをしてやれば長く保つのだ」



 前言撤回しよう。

 この方が寛大になど! 全て自分の勘違いだ。



 トマスは安堵した。

 それを見咎めたアウグストが不機嫌に問う。



「何をニヤついている?」


「いえ、ご成長遊ばされたな、と……」


「ふん、怠惰であっては人心は掴めんと思っただけだ。……しかしトマス、お前には謝らなければならない」


「?」


「この騒ぎに型をつけたら、私は継承権を放棄する」


「アウグスト様!」


「もう決めた。だから、すまない」


「…………あの娘がそんなにも」


「ああ。そうだ。あの娘はするっと私の懐に入ってきて、引っ掻き回して滅茶苦茶にしたんだ。

 毎日、苦痛に耐えて……死ぬか全てを滅ぼすか、そんな事しか考えられなかった私の前に、己の身さえ対価にして主人を救おうとしたあの娘が現れた」


「…………」


「最初は苦痛が消えたのがただ嬉しかった。あの娘をからかって遊んでやるつもりでいたんだ。だが、あの真っ直ぐな瞳を見ると、それが欲しくてたまらなくなった……」



 全てを(なげう)ってでも手に入れたいんだ。



 アウグストはそう言った。

 トマスだって、アウグストの体が苦痛から解放されるなら、どんな苦労もいとわなかった。どんな苦難の道でも歩んだ。騎士とはそういうものだ。



 己の主人のために危険に身を晒し、主人を導き、主人の命令なら死すら喜びだ。



 時には主人の過ちを正して主人もろともに果てる者もある。聖典に手を置き誓ったのだから。それが騎士だ。



 だが、今のトマスはどうだ。



 国のため、民のため、そして何よりアウグスト自身のために、アウグストを王に就けようと努力してきた。アウグストの体を蝕む陰の気と戦いながら、だ。



 現在、ルべリアのおかげでアウグストの体は不自由さとは無縁だ。今こそ、智慧も能力も全て発揮して、この国を変えられるのだ。今こそ、玉座に手が届きそうなのに!



 ……しかしそうやってアウグストを王にしたとして、ルべリアはどうなる?



 妃に立つには弱すぎる身分、能力も中途半端で思っていたより使えない。美しさで競うことは期待できない。智慧も……。アウストラル王国の正妃には王の補佐だけでなく代役も求められる。あの真っ直ぐな娘には向かないのだ。だからといって側妃も無理だ。アウグストが納得しまい。



 潮時かもしれんな、とトマスは胸の裡にて独り呟く。



 王と王妃しか触れられぬというアウストラルの宝が無くとも、ルべリアが側に居ればアウグストの体はもう痛みに軋むことはなくなるのだ。これまではアウグストの意思を無視して、己の願望を押し付けてきたが、(まこと)の騎士なら主人の意思を尊重する筈だ。



 あの娘なら、ルべリアならば、ギュゼル姫に望みを押し付けたりするだろうか?



 トマスは間違いばかりの己の半生を省みて嘆息すると、主人に膝を折った。



「謝罪をすべきは自分の方だ……。アウグスト、我が友にして、唯一の主人よ。今までの無礼をどうかお許しください、これからは貴方様の望み通りに働きましょう」


「トマス……?」


「継承権を捨てても、このトマスが付き従うことをお許しください」


「……! 分かった、共に行こう……!」



 アウグストはトマスの前まで来ると、手を取り立ち上がらせた。彼らは遅くまで語り合う。それは静かな良い夜だった。


 嵐の前の…………。

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― 新着の感想 ―
いろいろまだ知らんもんね、次男。怖すぎ。
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