遠征 1
こちらは本日二話更新の内の一話目です。続けて次話の「遠征 2」もお楽しみください。
アウストラル王国の王城は、島の南東寄りの小高い丘に建っていた。そこから城壁が作られ、道が出来、地をならして高低差を無くし、町が作られた。
数年ごとに雨季と乾季を繰り返すこの島の要には、まず一番に水捌けが求められたからだ。
王城からは町が、街道が、平野部が、そして城の後背から北にかけて聳える山々と森が望める。
今回、アウグストが拝命した魔物退治は森に潜む山犬狩りであった。奴らはいつの間にか山のあちこちに住み着き数を増す。増えた山犬がとうとう村の家畜を襲ったと、山での暮らしを営む者たちが報告を上げたことで兵を動かすことになった。
もっと前に報告があって良いようなものだが、二の姫セリーヌの婚約披露のために国中が祝福の空気にあっては、言い出しにくかったのかもしれない。アウグストにはどうでも良かった。
ただ、山の民にとってはアウグストがこんなにも近くに居たのは僥倖だったと言える。そうでなければ騎士が例え二百や四百いたとして、山犬のテリトリーでかつ手入れされていない山中では、死者もなく退治できたかどうか。
「……こんなものか。私が出た意味はあったのか?」
鼻を鳴らしてアウグストは己の従者に問う。山中に分け入るからといつもの馬ではなく山岳専用の小さな馬に乗らねばならないのが気に食わないらしい。
その身を最高級の鱗鎧に包み、額には略式冠、これもまた魔法で鍛えられた高級品だ。耳にはいつも通り紫水晶が揺れており、戦場にあってもその優美さは変わらない。涼しげ、なのではなく実際に冷気を放ちながら、アウグストは事後処理をしている配下の騎士を見ていた。
「怪我人は出ましたが、死者はありません。村人が山犬の仔を欲しがっていますがいかが致しましょう」
「好きに取らせろ。どうでも良い」
「えぇっ、よろしいんですか? 仔は慣らせば良い猟犬になりますし、高く売れますよ?」
従者の一人、ハリー・リズボンがトマスの横から高い声を上げた。黒髪にくすんだ青灰色の瞳を持つ童顔の、見た目は十五程で言動も幼いがその実アウグストより歳上の三十男だ。利に敏く、努力は惜しまず働くが、要は金にがめつい性格なのだ。
「私は金には困っていない」
「でも、でも、女の子には人気ですよ! 贈り物にも喜ばれますし!」
だから僕にもください、という主張が全く隠れていない。トマスは呆れて溜め息を吐いているが、アウグストはハリーの言葉に惹き付けられた。女の子への贈り物に……。
ルべリアは喜ぶだろうか。ルべリアが仔犬を抱いて頬擦りしている様を思い浮かべる。ふむ、悪くない。
「慣らせば、というが当てはあるのか?」
「もっちろんですよ! 腕の良い調教師を押さえます。あ、身許もしっかりした者をね」
「なら、二匹程見繕え。見目良いのを頼む。……村人にも残せよ」
「了解でっす! ちゃんと村にも利益を出しますんで、僕をこの件の責任者にしてください。あ、手当ても弾んでいただけたら全力を尽くしてルべリア嬢に合いそうな仔を選びますよ!」
「…………任す」
「やった! ルべリア嬢はお綺麗ですよね、アウグスト様にはお似合いだなぁ。あ、馬でデートしてた時も絵になってましたよ。馬なら身長差が分かり辛いですもんね!」
「……ハリー? 隠れ屋敷でダントンの世話係にするぞ」
「げ。勘弁してください。あの人、完全に僕の尻を狙ってるじゃないですか」
「ハリー、さっさと行け! 殿下も場所を考えてください!!」
トマスの言葉に、ハリーは脱兎の如く駆けていった。もう頭の中では金勘定でも始めているんだろう。あの素直さはちょっと見習いたいものだとアウグストは思った。
しかし、ダントンのことは本当にどうするか……。
あれはどうしようもない奴だが、耳が早く自分に都合の良い噂話を集めるのが巧い。いっそ金をやって諜報させても良いが、信用が置けないのが何とも言えない。なまじ爵位を継ぐ予定があるのが面倒を招きそうである。
殺すが良いか生かすが良いか。それはアウグストの母親にも当てはまる。トリシア・ノレッジ、その家柄と美貌を頼みに宮廷入りした側妃だが、今の彼女はそのどちらも喪って久しい。息子の威光を笠に贅沢をし、おべんちゃらを使う者に影で笑われている哀れな女に過ぎない。
あの夜……。ルべリアを脅して事の次第を聞き出したアウグストは、すぐさまトリシアの部屋に向かった。トリシアは上手い具合に一人で部屋にいた。
「あら、アウグスト様。珍しくこの母に挨拶? 明日は魔物退治に行かれるんでしょう」
「……何故、ルべリアに傷を付けた」
「…………はぁ。いきなり何かと思えば、あんな汚れた女を近づけ……ひゅっ……っ……かはっ!」
「息が出来ないだろうがそのまま聞け。あれは私のものだ。私のものに許可なく触れるな。分かったか……?」
トリシアは喉を押さえてガクガクと頷いた。
アウグストが陰の気を緩めたので、空気を吸うことを許されたトリシアは喘いだ。その肌は寒さと恐怖のため粟立ち、ドレスはぱり、と乾いた音を立てていた。
ようやく母親の様子が落ち着いたので、アウグストは「話し合い」を再開した。
「今まで貴女の振る舞いを見逃していたのは、貴女が私の母だからではない。どうでも良かったからだ。貴女がどうしようが興味もなかった。だが、ルべリアについて何かあるなら話は別だ。分かるか?」
トリシアは無言で頷く。その顔は引き攣っていた。たるんだ頬もいつもより締まって見える。アウグストは氷のような目で、床に身を投げ出している母親を見下ろしていた。
「それから、要らぬ小遣い稼ぎに精を出しているようだが、具体的には何をしている?」
「そ、そんな、私は別に……」
「とぼけると左足から無くなるぞ?」
「ひぃっ! いや、いやぁぁあ!?」
「煩い。聞かれた事にだけ口を開け」
「こ、これが、母親に対する仕打ちなの!?」
「はぁ……。母親でなければとうに消している」
「っ……!?」
トリシアは息子が本気だと分かると、シャイロック伯爵から頼まれて城で働く使用人の人事に口を出し、何人か推薦で入れた事を白状した。
シャイロック伯爵と言えば、ダヴェンドリ公爵の子飼いだ。ダヴェンドリ……今は亡き王妹クリスタニアの配偶者で、ガイエン国の尊い血筋からの婿殿である。確か、セリーヌの婚約者レオンハルトとは伯父と甥の関係だ。
……どうやら、本格的に舞台の裏側が見えてきたようだ。
「母上」
「ひっ!」
優しい声でにこりと微笑うアウグストに、より一層の死の気配を感じたのか、トリシアは必死で逃げようとした。醜くも四つん這いにつくばって己から逃げようとする母親の髪を、アウグストは跪き掴んで引き寄せた。トリシアから涙混じりの悲鳴が小さく漏れる。
「莫迦なことをしたものだ。処刑されてもおかしくないぞ、母上。だが、貴女に最後の孝行として良い知恵を授けよう」
「うう……ぇ?」
「三の姫の慈悲にすがれ。あれの母親の後見をし、三の姫に取り入れば良い。あれは善人だ……お前が親切にし、敬い、己の行動を改めれば、処刑を迫られた際に助命を嘆願してくれよう。
ああ、そうだ。今までの取り巻きとは手を切られよ。どっち付かずの態度を取るなら、私の刃が貴女に届く。理解したか……?」
アウグストの手の中で頭が小さく縦に振られた。
ならばもう、ここに用はない。
「では、ごきげんよう、母上」
優雅に挨拶すると、アウグストは部屋を後にした。




