アウグストの脅迫
アウグスト様の部屋に招かれ、トマス殿の「何故来た」という視線から逃れるようにして、窓際に立つ。硝子窓から少し歪な町の様子が窺える。
「ルべリア、明日までここにいろ。茶会など、どうでも良いではないか」
「殿下!」
「トマスのことは気にするな」
「アウグスト様、わたしは約束を破るのは嫌です。だから、わたしをどうか帰してください」
「……はぁ。明日から会えなくなるというのに、そんなに私の側が嫌か?」
「あ……」
アウグスト様がわたしの肩を窓に押し付け、こちらの目を覗き込んでくる。また口づけされそうだ。わたしは答えを言わずに、話題を逸らした。
「明日から会えないとは、どういう事でしょうか」
「ああ、明日と明後日で南の魔物を退治してくる。寂しくなるな」
「魔物を……」
魔物の害が少ないアウストラル王国でも、やはりこうやって討伐隊を組んで遠征に出ることがある。少なくない怪我人が出る、危険な任務だ。
「心配するな、私は負けない」
「しかし……」
「そんなに気になるなら、口づけて私の無事を祈れ」
やはり口づけはされるんですね……。
まぁ、確かに戦勝祈願といえば乙女の口づけというし。わたしが乙女の範囲に入るのかは分からないですが。
「では、アウグスト様のご無事をお祈りして、口づけを……」
「ああ。ルべリアからしてきてほしい。好きな場所に……」
なんと。
どうして、この方はそう、恥ずかしい事ばかりをわたしにさせようとするのか。昨日の口づけもかなり勇気を出したのに。また、口づけをせよと?
「さあ……」
「では、目を閉じてください」
わたしは背伸びをして、アウグスト様の額に口づけた。
これで、約束は守りましたよ!
「なんだ額か。待ち構えて損をした」
何をどう待ち構えていらっしゃったのだか。
「お返しに私からも口づけをやろう」
「いえ、そんな、結構で……んむ!」
「はぁ……。程々になさいませ」
トマス殿、もっとちゃんと止めてください!!
今度はわたしが頬を挟み込まれて口づけを受ける番だった。段々深くなっていく舌に、腰が砕けそうになる。アウグスト様の指がわたしの耳に触れ……
「あっ!」
「ん……?」
傷口にアウグスト様の指先が当たり、わたしは小さく震えた。
痛みは一瞬だったが、じわりと血が滲むように熱が拡がる。少し開いてしまったかもしれない。回復を早めるよう白術を施したが、まだ完全ではなかったようだ。
「誰が……?」
「っ……」
思わず息を飲んだ。
アウグスト様が瞳に怒りを湛えて立っていらっしゃる。無表情のまま、わたしの手を取って。
トマス殿が慌てたようにこちらへ駆け寄るのを、アウグスト様は手を上げて止めさせた。窓が、冷えて音を立てている。
「アウグスト様……?」
「誰がやった」
「あ……」
掴まれた手に力がかかっていく。
いけない、本当に怒っていらっしゃる。しかし、ここでトリシア様の名を出せばどうなる?
「わたしが、わたしが自分でやったのです」
「つまらん嘘を吐くな。これは何度も見た、扇で付けられた傷だ。誰がやったんだ!?」
「……ぁ……っ!?」
急激に冷やされた空気が渦を巻く。
触れられた手が凍りそうなのに熱くて痛い。硝子がついに割れ落ちて甲高い音を立てた。
からだがあつい!
アウグスト様の陰の気の放出に引きづられてわたしの中の陽の気が暴れようとしているのだ!
「いけません、アウグスト様!」
トマス殿の声が聞こえる。
わたしは、肩で息をしながら何とか暴走を抑え込んだ。わたしの気が放たれたら、トマス殿は無事では済まない。部屋中が火の海になってしまう……。
「ほぅ、耐えたか」
「わたしが自分で傷をつけたのです、だから……」
「まだ言うか……」
だって、やったのは貴方様のお母様だなんて、そんな事言えません!!
「言いたくないのだな」
「違います。全てアウグスト様の勘違い……ぁぐっ!」
顎を力強い手で掴まれ、アウグスト様の方へ顔を向けさせられた。瞳に黒い渦が巻いているように、怒りが見える。
「心の臓をも凍らせる私の力に、確かにお前は耐えた。だが、他の者はどうだ? 例えば……」
「!!」
耳許で囁かれたのは、わたしの大切な……、何をおいてもお守りしたい黄金の姫の名……。
わたしに天秤にかけろと言うのだ、この男は。
大切な者を守りたければ、卑怯な密告者に成り下がれと……!
なんて、なんて酷い……。
わたしの騎士としての誇りを踏み躙り、粉々に砕けと、そうわたしに言うのだ。わたし自身で決めろ、と。
「貴方様は……わたしの、騎士としての誇りも取り上げるおつもりなんですか」
「そうは言っていない。差し出せ、と言っているのだ。ギュゼルのためなら全てを差し出しても良いのではなかったのか」
「アウグスト様! これ以上はもう……」
「黙れトマス。二人して騎士の誇りとやらのために私を裏切るのか?」
ああ、わたしのためにトマス殿まで巻き込んでしまう……。
わたしは……。
わたしは昨日の出来事を語り始めるより他はなかったのである。
ルべリアは白術を意のままに扱える…が、効果の程は保証されていない!
回復ェ……。




