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魔王子は女騎士の腕の中で微睡む  作者: 小織 舞(こおり まい)
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アウグストの願い

セクハラ的な描写が入るので、苦手な方はご注意ください。

「きみ、可愛い顔してるね」


「…………」



 声をかけてきたのは貴族の男だった。

 着崩した派手な乗馬服に匂いの強い整髪料、ひょろひょろした体型に似合わず足捌きは武人を思わせる。濃い茶の髪はうなじで纏められており、年は分かり辛いが三十をいくつか越えたところだろう。ニヤリと笑うと右頬にだけ笑窪の出来る胡散臭い男だ。



「見ない顔だな……」


「初めてここへ来たので」


「ほぅ……? 誰の付き人かな?」


「…………」



 答えられない。

 わたしは正確にはアウグスト殿下の付き人ではないし、殿下の名を出して良いのかも分からない。



「答えられないか。俺の顔を知っているかい」


「いいえ」


「ふむ」



 男は私の回りをぐるりと、円を描くように足を運んでわたしの全身を眺めた。



「ちょっと、こっちにおいで」


「!」



 後ろから腰を両手で抱かれた。背中に悪寒が走って体が反ってしまう。抵抗しようと男の手首を掴むと、まるで当然の権利のように首筋に顔を埋められて匂いを嗅がれた。



「ちょっ……!」


「騒ぐな。困るのはきみだよ? ……ん~? なんかおかしいな……」



 男の手がおしりまで下がって……!

 こいつ、肘をお見舞いしてやるっ!



「そこまでだ!」



 アウグスト殿下の声がして、男がわたしから引き剥がされた。振り返ると殿下が男の腕を後ろ手で捻り上げている。



「いでででで! やめてくれよ、俺たち従兄弟だろ? 話せば分かる!」


「前にも警告したはずだ、私の使用人に手を出すな!」


「でもそいつ、女じゃねえか。紛らわしい格好させてんなよ、俺は女にキョーミねぇよ!!」


「そういう問題じゃない。いい加減にしないと家ごと潰すぞ、ダントン・ノレッジ卿」


「わかった、悪かったよ! 俺が悪かった!」


「全く……」


「しっかし惜しいな、付いてりゃバッチリ俺の好みだったのに」


「この……!」



 アウグスト殿下はそのままノレッジ卿をトマス殿に引き渡した。しかし、アウグスト殿下の従兄弟だったとは……。驚きだ。



「何しに王都の近くまで来た。家は山岳部だろ」


「そりゃあ、叔母さんが最近羽振りが良いから、おこぼれに預かろうと思ってだな……」


「母が?」


「ああ、そうだよ。まさか、知らないのか。話題になってるぜ。なんだよ、まだ反抗期かぁ?」



 ノレッジ卿がアウグスト殿下を揶揄(やゆ)すると、トマス殿が締めを強めたのだろう、呻いていた。アウグスト殿下はノレッジ卿の顔の前で手を広げると、何事か囁いたようだった。ノレッジ卿が顔色(がんしょく)を失った。



「トマス、そいつを屋敷に監禁しておけ。何かの手駒になるかもしれん」





◇◆◇





「すまなかった。大丈夫か?」


「あ……、はい、大丈夫です」



 しかし、アウグスト殿下は怖い顔をして、わたしを近くの切り株まで連れていってそこに座らせた。座ってみるとちょっとだけ強張っていた体がほぐれた気がする。



「すまない……」


「殿下のせいでは……っ!」



 殿下のせいではない、そう言おうとしたのに途中で遮られた。

 アウグスト殿下に掻き(いだ)かれて、その胸に顔を埋めるかたちになったからだ。わたしの(よう)()と、アウグスト殿下の(いん)()が混ざりあってゆらめき立ち昇る。



 あたたかい……。



 しばらくそうしていたが、やがて殿下の体が離れた。少しだけ名残惜しい気がするのは何故だろう。



「ルべリア」


「はい」


「お前は無防備すぎる」


「そんな!」



 お説教だった。



「だって、わたしの身分では逆らえませんし……」


「だから普通は話しかけられないようにするんだ」


「そんな……」


「二度と私以外の男に触れさせるな。不愉快だ」


「はい……」



 はい、で良いのだろうか。

 しかし、アウグスト殿下は怒っているし。



「やはり、ハリーの奴も連れて来るんだったな。ハリーならいくらでも触らせてやったのに」



 それはいくら何でも酷くありませんか……?

 そう思っても言うことは出来なかった。





◇◆◇





 結局、野遊びは早々に切り上げることになった。トマス殿が二頭使ってしまったので、アウグスト殿下の馬に相乗りして、ゆっくり帰る。



 殿下はあれから一言も仰らない。

 何だか気まずくてわたしから話しかけることも出来なかった。わたしは物言わぬアウグスト様の背中を見ていた。



 かぽかぽと馬の歩く音だけが聞こえる。



 これはまず間違いなく怒っている。

 しかし、何故怒っているのかは分からない。



 もしかしてあの男に抵抗しなかったから怒っているのだろうか? だとしたらそれは勘違いだ。



 あの時、殿下が男を引き剥がさなかったらわたしが制裁を加えていた。誰が好き好んで体を触らせるのだ。これはきちんと言っておかなければならない! そう、騎士として!



「アウグスト殿下、怒っていらっしゃるのですか?」


「……ああ。自分の不甲斐なさに、な」


「?」


「あの女を放置しておいた事も、ダントンをさっさと始末しておかなかった事も」



 何だか怖い台詞が聞こえたような……。



「私自身があの男となんら変わらない事を、お前にしてきた、という事もな……」


「殿下があの男と同じだなんて、思っていません」


「お前が思っていなくとも事実だ」


「違います」


「違わない! 私だってお前に勝手に触れた。それに逆らえないお前に……。あいつと何ら変わりない」


「それは……。でも、違います」


「ルべリア……」



 馬はいつしか歩みを止めていた。



「殿下、わたしは貴方様に触れられるのは嫌ではありません。殿下に触れられた時とあの男が触った時とではそこが違います。だから、あの男と同じだなんて言わないでください」


「…………」



 アウグスト様は黙って馬から降りると、そのまま俯いていらっしゃった。わたしも追って鞍から飛び降りて、隣に立った。



「殿下……」



 わたしは両手でその白い貌を挟んで上向かせた。

 眉根をきゅっと寄せた、不機嫌な表情。しかしその紫水晶(アメシスト)は熱を持ったように潤んでいた。



「殿下」


「名を呼べ」


「それは……」


「命令はしない。私の願いだ」


「!」



 願い……。



「アウグスト……」


「ルべリア……!」


「っ!」



 アウグスト様はわたしの手首を掴んで、両方とも胸元に置いて優しく拘束した。そして、彼の唇がわたしの唇をついばみ、下唇を吸った。温かい舌が歯列を舐め、割って入ってきて、吐息が混じり合う頃には頭の芯が痺れるように何も考えられなくなってしまう。



「今だけは私のことだけを考えろ」


「はい、アウグスト……」



 アウグスト様の声はかすれて聞こえた。

 そして、それはわたしの声も同様だった。

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