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魔王子は女騎士の腕の中で微睡む  作者: 小織 舞(こおり まい)
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朝の鍛練

 わたしは朝ごはんの前に城壁の外を走っていた。もう二の鐘から半刻ほど経つだろうか。そろそろギュゼル様が起きられる頃だが……帰りたくない。



 ギュゼル様に冷たい目で見られたり、それどころか、お声もかけていただけないなんて!



 夕べは悪夢の連続でよく眠れなかったので、こうやって頭の中から嫌な記憶を追い出しているのだが……。上手くいっていない。



 もっと、もっと早く走って、目の前の道と風の音だけを感じないと。腕が、脚が、勝手に振られているような感覚。足の裏を押し返すような大地の堅さと柔らかさ。息が規則正しく繰り返されて、私の肺が燃える。体から湯気を放つように、私は(よう)()を放出させた。



「ルベリア、ルベリア……!」



 どこからか、わたしを呼ぶ声がする。



「聞こえないの? 少し張り切りすぎよ、足を痛めてしまうわ」



 この声は、ユージェニア隊長!



 わたしは我に返ると脚を緩めた。とはいえ、急に速度を変えると姿勢が乱れるので多少緩やかになったくらいだが。



 ユージェニア隊長は腰まである長い髪を一つに編んで纏めていらっしゃった。肩から剥き出しの胴衣は私と同じものなのに、隊長の胸元は大きく存在を主張している。ちょっと触ってみたい……。



「すみませんでした、隊長」


「いいえ、集中していたところ悪かったわね。何度か呼び掛けたのだけれど、貴女、気づかないんだもの」


「本当に申し訳ありません」



 不覚……!

ユージェニア隊長の天女の如きお声を聞き漏らすなんて!



「ふふ、昨日の検査結果が出たわ。やはり毒物ね。ショコラの中には香草を練り込んだジャムが入っているのだけれど、あのショコラに入っていたのは香草じゃなくて狐の手袋(ジギタリス)だったのよ。一粒食べても危うかったわ」


「それは! 危ないところでした……」


「本当にね。貴女、お手柄よ」


「離れの使用人は、ショコラを持ってきたのはいつもの男ではなかったと、言っておりました」


「ふぅん……。ならば離れの荷物係に聞いても無駄だったわけよね。念のために他の場所の担当や非番の者にも聞いてみるんですって」


「わたしもショコラ店に行って聞いてみたいと思います」



 わたしの言葉にユージェニア隊長は眉をひそめた。

 ユージェニア隊長も担当ではないのに、ここまで調べてくれて、しかもわたしに教えてくださっている。それはつまり「勝手に動くな」というメッセージでもある。権限のないわたしが動いて処罰を受けることのないように、というユージェニア隊長の厚意だ。



 だが、わたしにはアウグスト殿下から与えられた権限がある。わたしはそれをユージェニア隊長に話した。

 殿下はあのとき、わたしにこう仰ったのだ。



『お前に今回の事件を調べるよう命ずる。ルベリア、ギュゼルを害する者を探し出せ』――と。



「あのアウグスト殿下が……? 女は皆、富める者も貧しき者も、老いも若きも殿下の寵愛が得られるなら喜んで身を投げ出すでしょうに。そう、貴女が……」


「私はユージェニア隊長の足許にならいつでも身を投げますよ」


「結構よ……」



 心なしかユージェニア隊長のお顔が赤いような……。

 眼福です!





◇◆◇





 朝食の時間。食卓につかなくてはいけない……いけない、のだが憂鬱だ。



 ギュゼル様がつんと顎を反らせて、わたしの視線を避ける様が、手に取るように分かるだけに。



 でも空腹には逆らえないし、朝食の席にいなければいないで怒られるのだし、行かねばなるまい。



 わたしが行くと、食卓にはすでに皆揃っていた。

 ギュゼル様はわたしを見るなり可愛いお顔をくしゃくしゃにすると、立ち上がってぱたぱたと走っていらっしゃって、わたしの腰にぎゅっとしがみついてこられた。



「ギュ、ギュゼル様!?」


「ごめんなさい、ルベリア! (わたくし)が我儘でした!」



 驚きのあまりわたしが目を白黒させていると、ギュゼル様はさらに言葉を続けられた。



(わたくし)、やきもちを焼いてしまったの。ルベリアにひどいことをしてしまって、本当にごめんなさい」


「よろしいのですよ、ギュゼル様。わたしは平気です」


「そういう訳にはいかないわ。何かして欲しいことはないかしら」



 わたしに抱きついて見上げてくる幼い姫は、本当に大きくおなりだ。

 わたしはご成長あそばされたギュゼル様のお姿を見ることが出来て、嬉しくて誇らしい気持ちで胸が一杯になった。


「ならば、今日もまたお側を離れて仕事に行かなければならないわたしを、どうか励ましてください」


「わかったわ。跪いて、ルベリア。行ってらっしゃい(わたくし)の騎士……」



 膝をついたわたしの頬に、かすかに髪のかかる感触と、優しい口づけが降ってきた。



 ギュゼル様……! わたしはこの日を生涯忘れないでしょう!



 わたしの心が温かいもので満たされた。

 ありがとうございます、ギュゼル様……。

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