王太子テオドール
テオドール王太子は国王コルネリウスと正妃オデッサとの間に生まれた最初の子であり、アウストラル王国の後継者である。
栗色の髪にオリーヴ・グリーンの瞳を持ち、知性に溢れた若き秀才である。健康には恵まれず、幼い頃から寝台で過ごすことも多かった。
その代わりに、という訳ではないのだろうが文才に優れ、いくつか本をしたためている。
詩を作り、絵を描き、弦楽器をたしなむ彼を、国民は芸術の申し子と呼ぶ。子どもに芸術の才を望む親の中には、テオドールの細密画を握らせる者もいるのだ、とテオドール本人が苦笑混じりに漏らしたこともある。
空気の良いとされる海岸沿いに領地を持ち、普段は王城で過ごしているが、一年の三分の一は領地に赴いている。領民には特に慕われ、彼の木としてオリーブの木が植えられている。
アウグストがテオドールに会いに行くのは専ら夏場である。領地にあるテオドールの屋敷に直接赴き、仕事をしている兄の横で土産話などするのが夏の楽しみの一つであった。アウグストは、この五つ歳上の兄が嫌いではない。
口うるさい姉のラグーナ、意地の悪い妹のセリーヌに比べて、気が弱いが優しいテオドールは、己の体質のせいで孤独だったアウグストにとって本当の意味で家族だと言える唯一の人間なのだ。
◇◆◇
アウグストが部屋へ入ると、テオドールは護衛の騎士を外に待たせた。アウグストもトマスを連れていなかったので気を利かせたのだろう。テオドールのこういった所が彼の人柄を表す最も顕著な点だ。
「お久し振りですね、兄上」
「はは、披露パーティーでも会ったじゃないか。今日は体調が良さそうだね」
「兄上も、お顔の色が明るくて安心しました」
挨拶を交わし、向かい合わせに腰かける。じきに夕食会なので茶を勧められる事もない。アウグストは時間を惜しんで単刀直入に尋ねてみることにした。
「朝はおられませんでしたが、どうしました?」
「ああ……」
テオドールは笑顔を曇らせた。
とても言いにくそうに思案しているので、アウグストはさらに踏み込んだ。
「どうせセリーヌとその母親がまた何か企んでいるのでしょう」
「アウグスト」
吐き捨てるように言うアウグストに、テオドールは良い顔をしなかった。
確かにセリーヌはギュゼルに冷たい。朝食にしてもわざと席を用意していないし、夕食だって参加しないよう言い含めている所を見てしまった。しかし、城でセリーヌと顔を合わせると嫌がらせを受けるのは確実なのだから、居ない方が良いという考え方もあるとテオドールは思う。
(ギュゼルには悪いと思うけれど、セリーヌが嫁ぐまでの辛抱だ。もう少しだけ我慢して貰えれば、後は何とでもしてやれる……)
アウグストの冷たい声に、テオドールは物思いから覚めた。
「兄上、セリーヌはギュゼルを締め出そうとしているように見えますが」
「それは……。そうだと思う。セリーヌは他人がちやほやされるのが好きではないからね。彼女にとっては、やっとラグーナが嫁いで、セリーヌの番になったんだろうし。やっと婚約が本決まりになって主役のポジションにいるのに、お披露目と共にギュゼルに注目が集まって面白くないんだよ」
「あれは性悪ですからね」
「……セリーヌの悪いところだね」
誰にでも良いところを探すテオドールのその姿勢は素晴らしい美点だが、今回に限っては温情に過ぎるというものだ、とアウグストは思った。
「その様子ではご存知ないのですね。ギュゼルには早速、毒入りの贈り物が届いたようですよ」
「なっ……」
テオドールはサッと顔色を変えた。
やはり知らされていなかったようだとアウグストは思う。やはり、というのは自分にもトマス以外からの報告が入ってきていないからだ。
「陛下は、何と……?」
「さあ? 私はまだ御会いしていませんから」
「またそんな事を……。いや、それよりきちんと陛下に話をしよう。母上にもね」
「兄上が動いてくれると話が早くて助かります」
「アウグストの手柄だ、君から言わないと」
「遠慮しますよ」
アウグストは皮肉気に口の端を持ち上げて笑い、去っていった。テオドールはそんな弟を見て、胸中でため息を漏らすのだった。それにしても、毒とは穏やかではない。
(本当にセリーヌの仕業かどうかは判断出来ない……。でも、もしそうだったとして追求しきれるだろうか。しらばっくれられて終わると逆にギュゼルの命が危ないな……)
テオドールは知恵を絞った。今はコルネリウス国王の体調が優れず、母は陛下にかかりきりだ。宮中はセリーヌが取り仕切っている。
とはいえ、城の中にはテオドール自身も、それに今はアウグストも居る、離れに置いておくよりは目の届く範囲に招いた方が良いのではないか。幸いにもギュゼルの部屋はいつでも使えるように整えられている。
テオドールは自分の考えを父母に伝えることにした。知らぬふりをしてきた自分の、せめてもの罪滅ぼしだ、ギュゼルを守ろう。頼りないが兄として彼女を守りたいと思った。
アウグストは今夜も夕食会に参加していたが、結局、陛下も正妃も現れることはなかった。どうやらコルネリウス国王は体調が優れないらしい。おかげで夕食の席はセリーヌの独壇場だった。
「陛下はここ半年ほどずっと、体調が優れずにいらっしゃるんだ」
隣の席からテオドールが囁く。アウグストは器用に片眉だけ上げて、
「歳だからね」
と、テオドールにだけ聞こえるよう呟いた。
アウグスト自身も「我ながら薄情な息子だ」と胸の裡で自嘲してはいたが、父親に対してそこまでの感情を持ち合わせていないというのが本音だった。
アウストラル王国は大陸の他の国々に比べたら政情も魔物の被害も落ち着いている。太子は立っているし、後は政略結婚の相手を決め、娶る順番で揉めるくらいか。
はっきり言って、アウグストにとっては国王の容態も何もかもどうでも良かった。
そして、やはりというか当然というか、夕食会にはギュゼルも現れなかった。
アウグストは食事を楽しみながらセリーヌの自慢話を聞き流す。体調が良いおかげか、ぶどう酒もいつもより美味しく感じる。セリーヌの嫌みも耳に入らなかった。




