トマスのお説教
ルベリアに触れ、彼女の能力によって陰の気を体から追い出したアウグストはとても機嫌が良かった。だるさや冷えから解放され、心は前向きでやる気に満ちている。これもあの美しい女騎士のおかげだと思うと、褒美のひとつでも用意してやろうかという気にもなった。
ルベリアの喜ぶものは何だろうか。
花か、洋服か、それとも宝石? 甘いものだろうか?
当たり障りのない贈り物を頭に浮かべ、あれでもないこれでもないと思案していたアウグストだったが、ふと思いついた妙案に口角を持ち上げた。
「城に戻る、馬車を出せ」
召使いにそう言い、アウグストは身支度を整えた。
◇◆◇
城に戻り、召使いに自分の部屋の扉を開けさせると、中では一本の蝋燭だけを小卓上に灯したトマスが、腕組みをして椅子に座って待っていた。
背を向けて座るトマスの横顔が怒りを湛えているように見えて、アウグストは思わず扉を閉めた。
「殿下、どうしたのですか」
「うわっ」
見なかったことにして図書室かテオドールの部屋にでも逃げ込もうと考えていたのに、トマスの動きが早すぎてその隙すら与えられなかった。観念したアウグストは、きっと説教が待っているのだろうなぁと思いながらも部屋に入った。
しかし、トマスは意外にもすぐには切り出さなかった。
アウグストの湯浴みを手伝い、宵の会食のための衣装を用意しながら、特に何の話もしてこない。
アウグストは居心地悪さを隠して平然と振る舞いながら、トマスが自分の黒髪を梳いて整えるのをじっと見ていた。
「無理やりに乙女の唇を奪うとは、けだものですね」
ほらきた!
ふいにトマスから放たれた言葉に、アウグストはピクリと肩を震わせた。何事か言おうとして口を開くが、トマスが先に次の言葉を紡いだ。
「今流行りの舞台の話です」
「……そうか」
だったら何故、私をそんな目で見る? とは問えない。アウグストは話題を変えることにした。
「ギュゼルのことについて、兄上と話そうと思うんだ。もう部屋へ伺うと手紙も書いて召使いに持たせた。会食の前に呼びに来るはずだ」
「左様でございますか、さすが仕事が早いですね」
「だろう?」
「ルベリアに治療してもらったからですかね」
話題が一周して戻ってきてしまった。
「………何か、褒美でも出そうと思う」
「喜ぶでしょう」
「くそ、言いたい事があるなら言え!」
「殿下、口調が……」
「うるさい、殿下と呼ぶな!」
アウグストの子どもっぽい癇癪に、トマスは咳払いをしてから口を開いた。
「では、アウグスト様。お聞きしますが、いきなり口づけするとはどういう事なんですか」
「う。それは……、魅力的な女がいたら、口づけくらいするだろう」
アウグストはばつが悪そうに口を尖らせた。
「同意の上には見えなかったのですが?」
「キスくらいで何だと言うんだ、私が求めて断る女なんていない」
あまりな言い分に、トマスはさすがに呆れて溜め息を吐いた。そして決定的な一言を絞り出す。
「彼女は初めてだったのですよ」
「………」
アウグストはその言葉の意味を舌の上で転がすように弄んだ。初めて、とは。
あの背徳的な美しさを持つ女が、さぞや経験のありそうに見えたというのに、まさか誰も触れたことのない高嶺の花だったとは。戯れに手折らなくて正解だった。
しかし、初めての口づけというのは処女雪を踏みしめる様にも似て、どこか罪深い快感と優越感を抱かせるものだ。
アウグストは笑いそうになる口許を左手で覆った。
まるで後悔していないのを悟られると、彼の騎士がうるさいからだ。
「それは、悪い事をした……」
「笑っているでしょうが」
たちまち嘘を見破ったトマスはぐっと近寄り、椅子に座っているアウグストをほぼ真上から見下ろした。
六フィートを越える巨躯に筋肉ががっしりと付いているトマスはただそこに居るだけでかなりの威圧感を放っているものだが、アウグストにとっては乳飲み兄弟であり、小さい頃にはそれなりに泣かされもした兄貴分である。
今でこそ騎士として侍っているので遠慮なく物を言えるが、こんな風に詰め寄られると昔に戻ったような気になり、アウグストはもうお説教を聞くだけになってしまう。そうはいくかと、アウグストも反論を試みた。
「まぁ待て、落ち着け。ルべリアにはまだ触れてないだろう」
「……唇は奪ったのでしょう? 大体、一般の女性は、そういう関係になるときには一生の伴侶として決心し、聖なる誓いを……」
「わかった、わかったから!」
「分かっていない! 全く、昔から貴方は……」
くどくどと、思春期の忘れたい痛手までほじくり返してきて、トマスはアウグストの心を抉る。テオドールの使者が呼びに来るまでの間、この説教は続くのだった。
アウグスト殿下はダメダメですね。…トマスからは逃げられない!
ちなみに、トマスがアウグストに向かって殿下と呼び掛けるのは公式の場以外では、からかう時か嫌みを言う時です。
※トマスの身長は六・二フィート=約190センチメートル。がっしりしており、パワーお化けです。体当たりで大人の男が三メートル吹き飛びます。
アウグストは五・七フィート=約175センチメートルです。華奢…。体力的にルべリアに劣ります。
テオドールは六フィート=約183センチメートルで、身長はルべリアを圧倒するものの、体力などはないです。




