アウグストの提案
午後、与えられた城の一室に閉じこもり読書をしていたアウグストだったが、いささかそれにも飽きが来ており、散歩でもしようかとちょうど立ち上がったところだった。
「アウグスト様、お耳に入れたいことがございます」
「トマスか、どうした」
彼らしくもなく、不快そうに眉間にしわを寄せているトマスを見て、アウグストは意外に思った。よほど不愉快な知らせなのだろうか。
アウグストはトマスの勧めにより、先ほどまで座っていた椅子に腰を沈め、聞く姿勢に入った。
「離れに人をやっていたのですが、その者によると、ギュゼル姫を暗殺しようとする動きがあったそうです」
「暗殺……。それで?」
「贈り物のショコラに毒が入っていたようです。騎士ルベリアによって未然に防がれ、食べた者はいなかったとのことです」
「ふぅん」
アウグストは足を組み替え、どうでも良さそうに相槌を打った。
(ギュゼルを暗殺? そんな事をして利益を得る人間などいないだろうに)
ギュゼルには知名度もなければ影響力も、権力も、財力もない。知恵も魅力も子どもの域を出ない。五年後、十年後はどうだか知れないが。
アウグストは五年後のギュゼルを思い浮かべた。
眩い金の髪に縁取られた花の顏、若き鹿のような足、生命の輝きに満ち溢れた笑顔……。
美しさで名を知られる二の姫、セリーヌに優るとも劣らない美姫に成長するに違いない。
そこまで考え、アウグストにはこの事件の本質が理解できた気がした。
「私の思う通りであれば、この事件の犯人は見つけられないだろう」
「何故ですか? ショコラを追えば自ずと犯人に辿り着きましょうに」
「それで捕まるのはショコラを送りつけた人間であって、黒い幕の内側から事件を見ている者は追えまい?」
トマスはアウグストの問いかけに得心のいかない表情を作った。アウグストはため息を一つ吐くと、子どもにでも説くように噛み砕いて話しだした。
「問題は、離れとはいえ城の壁の内で事件が起こったことにある。ショコラは城門を通ってやって来た。城門を通れる者は限られてくるし検閲に引っ掛からなかった。つまりは、ショコラを運び込んだ者には王室の者の息がかかっていると考えられる」
「それでは……」
「軍務部とはいえ、証拠もなしには調べられないし、疑いをかけるだけでも首が飛びそうだな。物理的に」
アウグストは事も無げに王族が、つまり自分の家族がこの事件を起こしたのだと言った。その声には疑問も驚きも含まれておらず、ただただ平坦だった。
「……やはり貴方様を遊ばせておくのは惜しいですね」
「待て。それでは私がまるで仕事をしていないようではないか。私は領主として十分にやっているぞ」
「領主など代わりはいくらでもいます。それよりも貴方様にしか出来ないことをしていただきたいですね。この国を動かす、とか」
「よせよせ、私は兄に王として立ってもらいたいのだ。私は王の器ではない」
アウグストは、この話は終わりだとばかりに手を振ると、開け放されたテラスへ歩いていった。
トマスは改めてアウグストの優れた知能に感嘆した。僅かな情報から既に黒幕を見当づけているその明晰さ、それが身内であっても動じない胆力。おそらく、その頭の中では犯人を追い詰める手段さえ道筋を作っているのかもしれない。
トマスは少し残念に思う。この怠惰で無欲な主人が動けば、より効率良く国が動くだろうに、と。
「ところでトマス、この部屋は昨日よりも冷えるな。早く私の紅玉を連れて来るが良い」
「はぁ?」
「……いいから、さっさとルベリアを私のもとに連れてこい!」
「はっ!」
少し気取った、まるで舞台俳優のような台詞に、トマスは思わず気の抜けた声を出していた。
アウグストの顔にサッと朱が差す。刺のある言葉に追い払われ、堅物な従者は無表情のままで肩をすくめると、件の女騎士を探しに廊下をキビキビと歩いていくのだった。
◇◆◇
流石に城の中では他の者の目があると、アウグストは城下にある行きつけの店にやってきていた。
昼間だろうが何だろうが男が足を運ぶのに言い訳が必要なく、プライバシーを守れる個室のある場所だ。おまけに休憩にも使えて身支度を整えるのにも道具が揃っており、酒や食事にも事欠かない。金に物を言わせて専用の部屋を持っているアウグストは退屈な待ち時間をぼんやりと微睡んで過ごした。
やがて、トマスに連れられてひとりやって来たルベリアは騎士服姿だった。心なしか凛々しく男らしく見える。きりりと引き締まった顔立ちで直立不動のルベリアは、ドレス姿とはまた違った魅力を放っていた。
「私のことをよもや忘れてはいないだろうな? 」
アウグストは微笑みながら、努めて優しく言葉をかけた。勿論そんなはずはないだろう。アウグストは第二王子であるし、それにあのとき、あのパーティーで先に触れてきたのはルベリアの方なのだから。
彼女はこんな風に呼び寄せられた事をどう思っているのだろうか。他の女と同様に、「第二王子に気に入られたら恋人になれる」なんて考えていたら興醒めだ。
ふと、アウグストはルベリアの髪が肩口で切り揃えられていることに気がついた。彼女を貴公子然と見せているのはおそらくこの短髪のせいだろう。
訳を尋ねると、伏し目がちだったルベリアはさらに目を伏せた。恥ずかしがっているのだろうか。話によると、婚約披露宴では夜会服に合わせて髪を足していたらしい。女とは妙なところを気にするものだ。
夜会服のルベリアは淑女らしく見えたが、今の彼女は抜き身の剣のように静かな美しさを放っている。アウグストはルベリアへの見方を改めた。普通の女よりも、使える道具の方が好ましい。それに、色恋に興味が無さそうなところも気に入った。これは美しい剣だ。
アウグストは早速この道具がどれ程の役に立つのか試したくなった。
「そこに跪け。少し触れるぞ」
ルベリアはすぐにその場に跪いた。
アウグストがその肩に触れると、彼の体から流れていた陰の気が散っていく。
やはり宴の夜の事は勘違いなどではなかったのだ。
アウグストは笑みを深くした。
「気に入った。お前を私の側近として取り立ててやろう。私の領地に来い」
それはアウグストとしては最大限にルベリアを尊重した言葉であった。道具として手元に置くのではなく騎士としてのルベリアを求める言い方であったから。
道具としてであればその身には何の保証もなく、ただアウグストの寵愛をのみ頼むことになる。周りの目もそのようにルベリアを見るだろう。しかし、騎士としてであればそれは仕事としてであり、多少の僻みはあれどそれはどこの貴人の下でも同じである。
「……申し訳ありませんが、その命令をお請けすることは出来かねます、アウグスト殿下」
しかし、その口から出てきたのは断りの文句だった。
アウグストの眉が寄る。
「何故だ。ギュゼルのことが気にかかるか」
「わたしは王命により三の姫様を護衛しております。そして、わたし自身もギュゼル姫殿下に剣を捧げたいと思っております。ですので、殿下に従って御領地に参ることは出来ません」
「…………」
不気味な沈黙が辺りに降りかかった。
戸口に控えていたトマスは身を固くする。アウグストはその身分故に命令に逆らわれる事に慣れていない。この場で陰の気を怒りのままに放出させれば、トマスのみならずアウグストの身も危ない。
だが、そうはならなかった。
「……ならば良い。しばらくは王都にとどまる。私が呼んだ時は来い」
「はい、殿下」
「立つが良い。トマスに送らせる」
「はい、ありがたく存じます」
ルベリアは優雅に一礼すると部屋を辞した。足音が遠ざかっていく。
まさか自分の頼みを断る者がいるとは、通常では考えられないことだった。王命とはいえ、護衛の任務などただの仕事にすぎない。アウグストが示した職は充分に魅力的なはずだった。
それなのに、あの娘はそれを断ったのだ。
アウグストの心中は怒りに燃えていたが、頭の冷静な部分は、陰の気を散らしてくれるルベリアの稀有な能力をこのまま手放してはならないと告げていた。
どうやってでも、繋ぎ止めておくべきだ、と。
「…………っ!」
アウグストは舌打ちすると、踵を返して二人を追いかけた。




