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魔王子は女騎士の腕の中で微睡む  作者: 小織 舞(こおり まい)
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魔女の逃亡 2

「かはっ! ……ぐ、ぅ……、オブライエン……!」


「早いな。もう少しくたばっていて欲しかったが」


「ふふ……、一度手合わせ願いたかったのよね……」



 立ち上がったユージェニアには蹴られたダメージは然程(さほど)残っていないようだった。分銅付きの鎖はそのまま手に残し隙のない立ち方をしている。どうやら主武器だけでなく暗器にも通じているようだ。



(厄介だな)



 ユージェニアの手強さを見て取ると、トマスは一転、ルべリアを追った。



「任せた!」


「えっ、ちょっ、団長!?」



 残されて焦るピアスはだが、見せかけとは裏腹にさっさと戦闘状態に体を持っていっている。ピアスとユージェニアとは同格だ。そしておそらく、身の筋肉の付き様からスタイルも似ている筈だ。二人とも長引くのを嫌って動き出さない。動くときは決めるときだ。



「お姉さん、今度じっくり遊ぼうぜ……」


「あら、今楽しませてくれても、良いのよ……」



 二人の猟犬は嗤った。





◇◆◇





 ルべリアは己の体が段々と熱を持ってきていることに気付いていた。羽は燃え盛り、消える様子はない。



(早く……早く王都を離れないと……!)



「ああっ……はぁっ、……ふ……ぅ……」



(熱い……熱い! 喉から、炎が出そうだ……!)



 体をくの字に曲げて己を両手で抱き締めてみても、(おこり)のような震えも熱も治まらない。それでもルべリアは耐えた。ぐっと脚に力を入れて真っ直ぐに立つ。



 どこから外へ出れば良いか――ルべリアの頭にアウグストと遠乗りをした日のことが思い出された。あの小さな門からなら、見咎められずに城から出られるだろう。王都の外壁はこっそり越えて行けば良い。



「急が、ない、と……」



 ルべリアが向きを変えた時、背後から呼ぶ声がした。



「ルべリア!」


「っ!」



 聞き覚えのある声が、ルべリアの心を絡めとる。

 しかし、振り返れない。そこに居るのがアウグストだとしても、テオドールだとしても、留まる訳にはいかないのだから。



「待て、ルべリア、私だ……」


「……来ないでください、アウグスト様」


「何を言う。今すぐにその(よう)()を払ってやるから、こちらへ来い」


「いけません、暴発の危険をおかすわけにはいかないのです」


「死ぬ気かっ!」


「……必要とあれば」



 平淡なルべリアの言葉に怒りを募らせたアウグストは、早足で彼我の距離を詰めた。その気配にルべリアは走り出す。



「ルべリア! 逃がさん……」



 アウグストが左手を()ると氷柱(ひょうちゅう)の檻がルべリアを囲む。身を切るような冷たさに、ルべリアは小さく震えた。



(ああ、アウグスト様……。貴方様にだけは、殺されたくないのです……!)



「私と来い!」


「いやっ!」


「っ!」



 明確な拒否。



 アウグストは手を伸ばせば届く距離に居ながら、ルベリアに触れなかった。いや、触れられなかった……。



「ごめ、なさ……」



 ルべリアは目に涙を浮かべて謝ると、檻を水に変えて駆けていった。その苦悩に満ちた表情に、アウグストはそこから一歩も動けなかった。



 成り行きを見守っていたトマスだったが、ルべリアを追って駆け出した。せめて王都外壁を抜けてどちらの方角へ行くのかだけでも確かめようと思ったのだ。体に満ちた陽の気で身体能力を大幅に上げたルべリアに追い付けはしなかったが、何とか視界の端に納めつつトマスは走った。





◇◆◇





 立ち尽くすアウグストに追い付いたのはハリーと影の騎士団だった。先に行った筈のトマス、ピアスの姿がない。ダントンも遅れてやってきたが、冷気を纏うアウグストに声を掛けることが出来ずにいた。



 やがて、トマスが戻ってくる。彼は左右に首を振り、見失ったことを告げた。



「くっ……くくく! あっははははは!

 それで? 取り逃がしたのかい、アウグスト。僕だったら、足を少々削り落としてでも捕らえたものを……」


「兄上か……」



 ハリエットに体を支えられながらもテオドールは殊勝に笑った。その後ろには満身創痍(まんしんそうい)のユージェニアと騎士らの姿があった。ピアスが居ないのは、つまりそういうことだ。



 高笑いをやめたテオドールは、今にも斬りかかりそうな程憎悪に満ちた目をアウグストに向け、囁いた。底冷えするような声で。



「要らないなら、僕に寄越せ。その程度の想いなら僕のものに手を出すな……」

「っ……!」



 アウグストは兄の激情に言葉を詰まらせ、身を(すく)めた。



「追え! ルベリアを捕らえるまで帰ってくるな!」


「……はっ!」



 テオドールの指示に、よろめきながらもユージェニアは騎士を連れてルベリアの消えた方へ駆けていった。途中の(うまや)で馬を持ち出すのだろう、もしものために待機させていた馬の方へは目もくれなかった。


 厳しい表情のテオドールは、踵を返して城へ向く。



「お待ちください、テオドール様っ」


「役立たず……!」



 テオドールは伸ばされたハリエットの指を振り払った。ハリエットは大きく目を見開き、喉を詰まらせる。膝が破ける勢いで(くずお)れたハリエットは、テオドールへの謝罪を口にしながら哭いた。ハリーは駆け寄り、その肩を抱く。が、テオドールは一顧だにしなかった。



「僕の望みは、いつだって、叶わない……!」



 テオドールの吐き捨てた言葉は誰の耳にも届かず風に消えた。癒えぬ体を引きずりテオドールもまた去っていく。



 ハリーは力なく啜り泣く妹を抱き抱えて、庭園近くのベンチに腰を下ろした。皆、主人を遠巻きにして指示を待っている。やがてトマスが重い口を開いた。



「帰りましょう、アウグスト様……」

「………………」



 魔王子と呼ばれる男は、もうそこには居なかった。

 居るのはただ、恋人の去った方角を見詰め続ける男が一人……。



 トマスはアウグストの肩を抱き、城へ連れ帰ろうとしたが、アウグストは動かなかった。

ルべリアさんはチョロインですが、一度の拒絶でショックを受けるアウグスト殿下ってば心が繊細すぎますよねぇ。

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