14. 元勇者に出会った、後悔はしていない
トウヤは現在、アステリカの隣の断章世界にいる。比較的乾燥していながらも温暖な土地で、辺りには岩以外に何もない茶色い世界だ。緩やかな起伏を繰り返しているために地平線こそ見えないが、大きな断章世界である事は容易に想像がついた。
トウヤが一人でこんなところにいるのは、元勇者キティがアステリカに住むことを嫌っているためだ。
彼女は世界が組み替わる寸前まで断章世界系のどこかに住んで、組み替わった後また別の場所に移住するという遊牧民のような生活をしている。
「引っ越しだけでも大変そうだな」
とその話を聞いた際の、トウヤの何気ないつぶやきに対して、
「いいえ、元勇者さんのスキルがあれば簡――あわわわ!!?」
とステラが問うに落ちず元勇者のスキルを暴露しそうになったりしたが、それはそれ。
トウヤは十数に及ぶ巨大な丘、あるいは緩やか過ぎる上り下りを経てとうとう元勇者の家についた。この岩と石の平原、そのど真ん中に屹立したログハウスのような建物が、元勇者の家らしかった。
その建物と周囲の索敵を無意識に行いながらも、トウヤは自身のステータスを確認する。
朧ヶ埼刀夜
レベル21(29/100)
体力271/271
魔力61/61
攻撃56
防御44
魔攻30
魔防24
器用36
敏捷44
幸運51
対フルウルフ戦でトウヤが得た経験値は莫大なものだったので、結果的にレベルはあり得ないくらいに上昇している。無論、『限界突破』を利用して応戦した相手の経験値は入っていないのでフルウルフ一匹分だけだが、一気にレベルが上がったのだ。
それでも、勇者に対しての警戒を弱めるつもりはない。
相手は歴戦の戦士で、英雄だ。
周囲には誰もいないと判断したトウヤ。
緊張した面持ちでその扉に手をかけた。
「ノックもせずに扉を開けようとするなんて、君は失礼だなー」
「!!?」
背後から降った声に、トウヤは反射的に飛びのく。
「誰だお前はっ!?」
トウヤは思わずバンブルーシュの柄に手をかける。
立っていたのは長身の女性だ。輝く長い金髪はそれ自体が光っているよう、赤い瞳は燦然と燃え上がる炎のよう。
口元はめいいっぱい横に引き結ばれており不敵な笑みを浮かべている。
底抜けに白いノースリーブのワンピースを着ており、武器を持っているようにも見えず鎧を着ている訳でもない。実際、服装は体にある程度フィットしていて、起伏に富んだ体つきが見て取れる程だった。
「誰だ、とは随分と哲学的だなー。端的に名前を答えてもいいようであり、私自身の社会的立場を示した方がいいようでもある、つまり」
のんびりとした中にも難解な口調を受けて、しかしトウヤは警戒を緩めない。
なぜなら扉の前にトウヤが立つまで、周囲には誰もいなかったのだ。となると、何らかの魔法やスキルを使った可能性が高く、そんな事をする相手に警戒するのは当然の事と言えた。
「ひとまず、自己紹介でもしないか、と提案しているんだ」
瞬間、陽炎のように視界が歪み、女性の姿が消えた。あとには火の粉が二三、舞う。
「中に入るといい。お茶とお菓子ぐらいはだしてやろー」
と、軽い調子で女性はトウヤの肩を叩いた。既に背後に回っていたのだ。
「待て待て、俺はここに元勇者を倒しに来たんだ! 友人の家に世間話をしに来た訳でもないし、そもそもお前は誰なんだ!?」
女性は興が削がれたようだ。若干じと目でトウヤをにらんだ後、盛大なため息をついた。肩から全身の力を前方に投げうつような動作つきで。
「ああーもう! 君が来たら君の世界の面白い話で盛り上がるつもりだったのに! 具体的には君の思春期特有の青臭い失敗談で!」
「馬鹿にするつもりの間違いだ!!」
やれやれ、と言った風に両手を空に向けた女性に向かってトウヤは突っ込みを入れた。既に彼女のペースに乗せられてしまっている事にも気づかずに。
「じゃー、うちに上がっていく気はないのかー?」
「という事はやはりお前、元勇者キティだな?」
「そーだ、と肯定させてもらうよ」
キティはあくびをしながらいい加減に答えた。
「バンブルーシュを引き抜くほどの神威召喚者。君に興味があるんだトウヤ・オボロガサキ」
「……なぜ俺の名前を知っている。元勇者キティ?」
トウヤはバンブルーシュを引き抜いた。中のリゼはため息をついていいのか、鼻を鳴らしてしまえばいいのか分らず、結局無言のまま静観を決め込む事にした。
「誤解しないでくれー。ストス家を含む貴族たちは君の情報を横流ししていない。私の信条に誓ってそれは確かだし、この情報は私個人が収集したものだよー」
「なら、どうやって?」
キティは無邪気そうに笑うと、人差し指を立てた。
「例えば、神威召喚の儀式の場に私が紛れ込んでいる事もあるかもしれない。あるいはー、騎士団の誰かに変装した私が紛れ込んでも、気づかれない事もあるかもしれない、よねー」
「……お前の、スキルか?」
「ご明察ー」
キティはそう言うと小さな紙片を取り出すと、トウヤに差し出した。
「これは……?」
「とある女騎士に扮していたのだけど、その本物がそこに閉じ込められてるから、助けてあげるといいよー」
「まさ……か……!?」
信じられないトウヤに向かって、勇者は笑顔で答えた。
「全く、影に貫かれて死体を演じるのも苦痛だったんだからなー?」
「あ……ああ……」
トウヤは警戒も忘れて、感激に打ち震えた。涙が頬を伝い、言葉は意味をなさず、倒れそうになる体を必死に支えた。
「ま、全部嘘だが許してくれ」
「……え?」
トウヤは愕然とした。愕然として、次の瞬間には激怒した。自らの感情をもてあそんだがためではなく、女騎士の死を嘲笑ったように思えたために。
「この世界は残酷だ。誰にとっても、私のような勇者にとっても。もちろん、君にとっても、ね」
「そんな事はどうでもいい!!」
トウヤはバンブルーシュを振りかぶらん勢いで叫んだ。実際、今すぐにでもキティを斬って捨てるつもりですらあった。
「ところで君に一つ問おう。とーや、今女騎士は生きているのか? それとも死んでいるのかー?」
「……どういう意味だ?」
「そのままの意味さー。もしかしたら私のさっきの申告は真実かもしれないし、虚偽申告かも知れない。君は君自身が確認するまで彼女の生死を判ずる事は出来ない。死んでもいて生きてもいる。そんな状態だろー?」
「悪趣味なシュレディンガーの猫だな! ふざけるな! 答えは簡単、俺が確かめれば済む話だ!!」
トウヤは剣を振り下ろしたが、それはキティにかわされた。不自然なまでの、瞬間移動のような動きによって。
「少し待てー。信じてもらえないかもしれないが、私には敵意はないんだー」
またしてもキティは背後に移動していたのだ。
「そのどちらでもない、矛盾した状態をいかに解決し納得するつもりかに興味があっただけだー」
「そんなの決まっている!」
トウヤは当然のように言い放った。
「俺の信じる世界は、目の前に実在する!!」
「ははっ、矛盾を蹴り飛ばすような、良い回答だよ、とーや」
キティは急に嬉しそうに言うと、ニヒルな笑みを返した。
「一応聞くけれど、私と戦うつもりかー?」
「ああ」
「そっかー」
キティは両手をあげて伸びをした。あたかも寝起きのように緩い表情で、軽い笑顔で。
「それじゃあ、」
しかし、キティは次の瞬間ありえない現象をもたらした。
「こんな家屋は必要ないかー」
何かが燃え尽きるような音に驚いたトウヤが振り返ると、キティの家が炎に包まれて砂糖細工のように崩れていた。そしてそのまま不自然に燃焼し、いつの間にやら炎に包まれて消え去った。
呆然とするトウヤに、元勇者は続けてとんでもない事を言った。
「こんな土地ももういいかなー」
キティが一言、そうつぶやくと、
「!!?」
火が地面を舐めるように走ったかと思う間に、突如地面が消失した。トウヤは必死で受け身を取る。冷たくしまった砂がトウヤを迎えた。クッションになるほど柔らかくもないが、岸壁ほど絶望的な硬度でもない
けれども、問題の所在はそこではなかった。
「これは……砂漠!?」
トウヤは背中を打ちつけた砂に触れ、周囲を見渡し、立ち上がって確信した。いつの間にか、周囲は岩原から砂漠へとって代わってしまった。
「さて、まずは私のスキルの性質を看破してみなよとーや?」
呆然とした表情のトウヤの目の前で、火の粉の舞う砂漠の中に屹立した元勇者は戦装束をまとっていた。
軽装の騎士と言った出で立ちだ。鎧の可動部などつなぎ目は赤く染められている。手には幅の広い両刃の剣を持っていた。
「自己紹介がまだだったね。初めましてとーや。私はキティ。元勇者にして、世界で一番、正義という言葉からは程遠い女だよー」
「ご丁寧にどうも」
トウヤは戦々恐々としながらも、バンブルーシュをしっかりと構えた。
「俺は新しい勇者の朧ヶ埼刀夜。世界で一番、挫折という言葉からは程遠い男だ!」




