剣武祭の開幕
「エルフリート・エデンバーグ」
騎士団本部の建物同士を繋ぐ渡り廊下を歩いている途中、エルフリートは後ろから名前を呼ばれた。
聞き慣れない声に振り向くと、魔導砲術部隊の騎士らしい背の高い男が立っていた。
色白でとても綺麗な顔をしている。
エルフリートは誰かに似ていると考えて、それが誰なのかすぐに思い当たった。
「君は……」
「ええそうです。アレクサ・ワイトドール。貴方の婚約者の弟です」
かしこまって頷くと、アレクサはズイズイと大股でエルフリートとの距離を詰めてきた。
……何の用だろう。それに、話をするにしても少し近すぎるのではないだろうか。
エルフリートが思わず後ずさっても、アレクサは容赦なく近づいてくる。
……とても近い。
エルフリートは、思わずアレクサから視線を逸らしてしまった。
エルフリートは話すことがあまり得意ではないし、相手が何を考えているのか、なかなか見当がつかないから、見知らぬ人とのコミュニケーションは特に苦手だ。
それにプラスして、このアレクサ・ワイトドールは、エルフリートの婚約者に顔がとてもよく似ている。
それがズイズイ近づいてくるので、エルフリートは普段よりも更に更に緊張した。
……しかし何の用か、聞かなければ。
エルフリートはようやくそう思い直し、後ずさる足をぎゅっと止めた。
しかしエルフリートが何かを言う前にアレクサが口を開く。用件に心当たりは全くないが、何となくアレクサは眉間にしわを寄せている気がする。
「俺、貴方の事一片の塵も残さず粉微塵にしてやりますので」
「え?」
アレクサはエルフリートを睨みつけ、前置きもなしに言い放った。
そう言う顔なのか、怒っているのか、少し具合が悪いのか測りかねていたが、アレクサはどうやら怒っているようだ。
「貴方も剣武祭、出ますよね。俺も出ます。貴方のことはあの慈悲深い姉上も流石に愛想をつかすほど、見窄らしいボロ雑巾にして差し上げますので、ご承知おきくださいね」
「?」
「姉上も、貴方の無様な姿を見れば流石に踏ん切りをつけられるでしょう」
「踏ん切り……?」
エルフリートと違ってスラスラと言葉を並べるアレクサに圧倒されながら首を傾げると、アレクサはふんっと鼻を鳴らした。
「姉上に、貴方との婚約を破棄してもらうんです」
「え……?」
「俺はね、貴方が姉上に相応しくないって言ってるんですよ」
「相応しくない……」
「そうです。覚悟しといてください。……あ、対魔導砲の防具はちゃんとつけといてくださいね。貴方を爆殺しちゃっても俺はいいんですけど、姉上がそれはダメだと言うので」
背中に背負った飛び切り大きな魔導砲をよいしょと背負い直して、アレクサは言うだけ言って去っていった。
まるで嵐のような数分だった。
だがその数分は、エルフリートにとって一時間にも二時間にも感じられた。
……婚約、破棄……
その言葉に両足を絡め取られたようにその場に立ち尽くしたエルフリートは、しばらくアレクサの言葉の意味を考えていた。
……俺が弱いと、彼女の両親に反対されて、彼女の婚約者ではいられなくなると言う事だろうか。
あの実力者の弟君を破って優勝するくらいの実力がないと、彼女を、任せられないと言うことだろうか。
「それも、そうか……」
剣武祭に限っていえば、折角代表に選んでもらえたのだから全力を尽くそうとは思っていたが、正直優勝にそこまで固執しなくていいかと思っていた。
冷やかされるのが苦手だし、エルフリートが優勝して授与式なんかに出ようものなら、物凄く緊張してしまうと思う。それに、剣武祭に関して消極的な気持ちしかないエルフリートよりも、優勝の栄誉が欲しい人が優勝するべきだ。だから、エルフリートはそこそこにとどめておこうと思っていた。
だけど、もう状況が違う。勝たないとエレーユの婚約者でいられない、というのだから。
……婚約者が、大会で優勝も出来ない程弱かったら、彼女も心配だろうしな。
いつもニコニコと話しかけてくれるエレーユの顔が思い浮かぶ。
あまり話さないエルフリートとでも、楽しそうにしてくれる彼女。いつも明るい彼女を心配させることはしたくない。
エレーユは、エルフリートのように口下手な相手にも、いつも笑顔で話しかけてくれる温かな心の持ち主で、努力家で聡明だ。
本来ならエレーユは、子供の頃に友達が全くいなかったような、口下手すぎるエルフリートの婚約者に釣り合うような女性ではないのだ。
……釣り合うように、ならなくては。
アレクサの親切な忠告を聞いて、エルフリートは改めて自分の甘さを恥じた。
そこそこにやればいいなんて、思うべきではなかった。
自分がエレーユの婚約者に相応しいと証明できることがあるのなら、なんだって全力で取り組むべきだ。
敗けてなどいてはダメだ。
少しでも、彼女に誇らしいと思ってもらえるような婚約者になりたい。
「遅刻ギリギリだよ、エレーユ」
剣武祭、当日。
騎士団の競技場前の待ち合わせ場所に、エレーユは滑り込んだ。
待っていたメリエーヌは「と言いつつ私も今来たばかりだ」と笑っていた。
「さあ、観戦席は特別設えだ。喜べ、エレーユは王宮の特別招待客ということになってる」
「何から何まで、本当にありがとうね」
「なあに、いつものことだ」
「あら、それは嫌味かしら」
「いやいや、私は嫌味を言ったことは生まれて一度もないよ」
「嘘もついたわね!」
観戦席へと続く大きな階段を上がり、酒やつまみまで用意された部屋に入る。
絨毯のみならず壁も天井も真っ赤なベルベットで、クリスタルのシャンデリアと金の装飾が施されている。
そしてそのまま手すりの下に見下ろす競技場は近く、臨場感たっぷりに選手たちが見えるだろう。
メリエーヌの恩恵を最大に享受し、エレーユは動じずに備え付けられていたソファに腰かけた。
しばらくメリエーヌと他愛のない話をしていると、剣武祭の開幕式が始まった。
そこでは騎士団長の挨拶から始まり、トーナメント形式の対戦表も発表された。
「うむ、エデンバーグ次男の初戦のカードは重騎部隊のフォースト長男か。始まりから厄介なやつを引き当ててしまった。あのフォースト長男は強いぞ。素早い筋肉達磨なんて悪夢以外の何者でもないからな」
「ふーん」
「どうだ、少しは興味があるふりをしてあげては。まだ彼は婚約者だろう」
「どうでも良いもん」
配られた対戦表を眺めていたメリエーヌは、ふんとそっぽを向いたエレーユをちらりと見た。
「本当にどうでも良いのかな?」
「……」
「エレーユは応援も全くしないつもりかな?」
「私は弟の応援に来ているの」
「両方応援すればいいじゃないか」
「……私は、エルフリート様の中ではもうすでに婚約者ではないらしいもの。私からの応援なんてきっといらないわ」
そうこうしているうちに、試合開始のラッパが鳴った。
それぞれ選ばれた騎士たちが大きな競技場の中央に出てくる。
騎士が手を振ったり武器を構えたりするたびに、大きな歓声が上がる。
剣武祭は伝統と格式あるイベントだけど、結局はお祭りだ。
観客やメリエーヌは「そこだ、いいぞ!」「かっこいいぞ!」「惜しかったな!」と声を出して応援していた。
手製の横断幕や、扇子のようなものを振ってキャーキャーと声をあげる令嬢の一団も客席に見える。
あれは今巷で流行りの推し活に似たようなものだろうか。
聞けば、輝かしい戦績がある騎士や顔の良い騎士などは似顔絵カードなどの創作物も流通しているのだとか。
まあ、流行りの話は置いておいて、客席から視線をずらせば、他の王族が隣国の要人を接待している、ここよりもっと豪華な客席も目に入った。
遠目に見ても貫禄のある要人たちが目に入る。
と、そこで浅黒い肌の背の高い男と目が合ったような気がした。
どこかの国の要人には違いないが、あまり見覚えはない。
果たしてどこの国だったかと考えていると、トーナメントの最初のニ、三組が試合を終えていた。
改めて本日の主役たち、競技場に注目すると、エレーユも見慣れた姿がそこに現れた。
「ほらエレーユ、次はアレクサだな」
「本当ね」
「ああ。あいつまた背が伸びたな。相手は重装兵か。あの機動力では魔導砲に分があるが、この大舞台に立つのだから当然魔導砲の対策も仕込んでいる筈だ。さて、どうなるか」
身を乗り出したメリエーヌに続くように、エレーユも限界まで競技場に近づいた。
真っ先に気が付いた様子のアレクサが、ひらひらと手を振ってくる。
「アレクサ、頑張って!」
エレーユの声が届いたのか、アレクサは乾杯の仕草をした。
もう勝利後のワインのことでも考えているのだろうか。
マイペースな弟らしいと思いながら、エレーユもジェスチャーを返した。
「さて、姉上も見ているのでかっこよく仕留めます。気持ちよく爆殺して差し上げましょう」
試合開始の合図が鳴ると同時に、アレクサは相手の重装兵の懐に飛び込んだ。
「魔導砲で遠くからコソコソ撃って来るかと思いきや、わざわざ近接戦を仕掛けるなど愚の骨頂だな!」
自分の武器のリーチに相手が自ら入ってきたことに高笑いし、重装兵はハンマーを振り上げた。
しかしアレクサは逃げることも避けることもせず、仁王立ちの相手の足の間に滑り込んだ。
そしてニッコリ笑い、振り下ろされるハンマーに狙いを定めて魔導砲をぶっ放した。
「吹き飛ばしてしまえば、近くても遠くても当たりませんよね」
結構な重量ある筈の魔導砲を持って走り、滑り込みながら照準を定めるアレクサの異常さに重装兵は息をのんだようだったが、すぐさま防御姿勢に移った。
武器は失ったが、まだ諦めた訳ではなさそうだ。体勢を立て直すつもりなのだろう。
「逃がしませんよ」
しかし、勝利の基本は相手の隙を見逃さない事。
体勢を立て直す前の重装兵に向かって、アレクサは魔導砲を恐ろしい勢いで連射した。
イベント中なのにまるで殲滅を任務としている時のような容赦のない攻撃に、会場はアレクサの勝ちを確信した。
というかみんな、この時ばかりは勝ち負けよりも重装兵の安否を心配していたに違いない。
立ち昇った砂煙の中、重装兵はもう戦闘不能であると思われた。
しかし煙が収まると、しっかりと地に立つ重装兵が現れた。
「蚊が刺したかな?」
「雑魚の台詞ですよ、それ」
「雑魚も何も、正直な感想だよ」
「まあいいです。それよりその盾、対魔導砲の特別製ですね」
「そうだ。魔力を使った攻撃は全て跳ね返す」
「重装兵は優秀な防具制作課があって羨ましいです。その点、魔導砲術隊は武器全部外注なんで、カスタムは自分でするしかないんですよね」
残念そうなアレクサの顔を見た重装兵は、顔面を隠していて完全防備だったが、確かに勝ちを確信したように笑った。
「そうだ。騎士団の盾・王国の守護者である重装部隊を破れる者はいない!我々はどんな攻撃にも対応した盾を揃えている!」
距離を取ったアレクサではなく客席に向かって、重装兵は宣言した。
重装部隊の宣伝も兼ねているらしい。
「メリエーヌ、あれが今期の予算を注ぎ込んで作ったっていう魔導砲の対策かしら?」
「そのようだな。今年の重装部隊は製作課のアピールも兼ねて、相手に合わせて盾を替えてくる気だろうな。よく考えられている。いくらアレクサでも、あれを破るのは至難の業だぞ」
アレクサは武器種を変えられないが、盾で魔導砲の対策をしてくると言うのはなかなか。
攻撃が全く通らない無敵の相手なんて、いくらアレクサでも勝てないかも知れないぞ。とメリエーヌは顎を撫でていたが、エレーユは不安そうな顔をしていた。
ただ、そのエレーユの不安は、弟が勝てないかも知れない不安ではなかった。
「あの方、相手が普通の魔道砲撃手なら勝てていたと思うけど」
「さきほどの攻撃は貴様が卑劣にも隙を突いてきたにもかかわらず、私は完全に防ぐことができた。魔導砲はもう私に効かないことが分かっただろう?降参しないのか?」
重装兵はまだ魔導砲を構えたままのアレクサに話しかけた。
先ほどまでアレクサの勝利を確認していた会場は、もう既に重装兵が勝つムードに引きずり込まれている。
「降参ですか、そうですね……その盾、魔法が一切効かないんですもんね」
「その通り」
「分かりました」
アレクサは項垂れたように見えた。
いや、よく観察すれば項垂れたのではなく、屈んで魔導砲に何かを込めた。
「じゃあ物理で殴りますので、降参はしません」
バアン!!!
重轟な音と共に空気が裂けて、重装兵が吹き飛んだ。
「な、なにが起こった?」
「わわわ、メリエーヌ、揺さぶらないで。一瞬すぎて私も分からなかったわ」




