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弟の提案

「あら。メリエーヌから手紙が来てるわね。招待状？」

エレーユは本日分の手紙を順に開封していたが、一等に仰々しい封筒を手に取り、呟いた。

先日会った時、メリエーヌはどこかへ行きたいとも、どこかへ行くといいとも、エレーユには何も言っていなかった。

招待状をいきなり送りつけられて全く当てはなかったが、エレーユはペーパーナイフを優雅に使い、封筒を開けた。

その真っ白い招待状の中身がなんなのか、エレーユが確認する前に、コンコンと私室の扉がノックされた。

「あら」

エレーユは招待状を確認する手をとめ、顔を上げた。

誰だろう。

扉を開けるために席を立つ。

「姉上、御在室ですか？」

扉の向こうからは、少し低くて若い声がした。

よく知っている声だ。

声の主に見当をつけたエレーユは、そういえば今日は帰ってくると聞いていたわね、と思い出し、そのまま扉を開けた。

「姉上、姉上！お元気でしたか！お変わりありませんか？ずっと会えなくて寂しかったです！」

「ずっと会えなかったって、一か月前には会ったのに」

「一か月は長いです。３０日もあるんですよ。一日が三十回も！」

エレーユが扉を開けると、転がらんばかりに身を乗り出してきたのは、予想通り弟のアレクサだった。

アレクサは屋敷の中だと言うのに愛用の大きな魔導砲を背中に背負ったままで、防具も付けたままだった。

騎士団に務めているアレクサは任務終わりにそのまま屋敷にやって来て、エレーユの部屋に直行して来たようだった。

「防具も取らずに、なにをそんなに急いで来たの？」

「俺、今年の武術大会の魔導砲術部隊の代表者の一人に選ばれました」

「え？！」

騎士団の武術大会と言えば、各部隊で選ばれた精鋭同士がトーナメント形式で日ごろの成果を発揮して戦う一大イベントだ。

出場者になれば、その実力は相当なものだと騎士団に認められたということになる。

さらにそこで優勝をしようものなら、出世は確約されたも同然だ。

「すごい！すごいわ、アレクサ！」

「はい！俺、出るからには優勝します」

エレーユが思わず声を上げると、喜んだ姉を見てさらに嬉しくなったのか、アレクサもエレーユにつられてぴょんぴょん跳ねた。

「全力で応援するわ！アレクサなら絶対優勝よ！頑張るのよ！」

「はい！頑張ります。だから俺が優勝した時、姉上に宝剣の授与を頼めますか？」

「宝剣の授与？」

「はい」

「でも、それって私で良いのかしら？」

「姉上がいいんです」

武術大会の優勝者は、代々騎士団に伝わる宝剣の一年間の所有が認められる。

それは大会の表彰式で大々的に授与されるとても栄誉なものだ。

そして優勝者は、授与式で宝剣の授与を担当する人物を任意に指名できる仕組みになっているのだ。

元々は国王が担当していた役回りであったが、ある時、代役を務めた王女に優勝者の騎士が宝剣の授与と共にプロポーズをして恋を実らせたことが発展して、好意を伝えたい女性だったり妻や婚約者を指名する習わしになってしまった。

ちなみに、二年前のその大会ではメリエーヌの婚約者のクライスが飛竜隊の代表として出場して優勝し、メリエーヌに宝剣を授けてもらっていた。

そして王女であるメリエーヌとの貴賤結婚を国王に認めさせたのだ。

エレーユはごつい魔導砲を背中に背負って、身長もエレーユよりはるかに高くなってしまったアレクサを仰ぎ見た。

宝剣の授与なんて大役を姉なんかが受けてもいいのか分からないが、可愛い弟の頼みであれば断る道理はないか。

エレーユは、期待の眼差しを向けてくるアレクサに向かって頷いた。

「じゃあ、宝剣渡す練習しておくわね。それから優勝したら、お祝いに美味しいレストランへつれていってあげる」

「ありがとうございます！姉上！俺、邪魔をする奴らを全て抹殺して絶対優勝を勝ち取りますので！」

「怖いわよ！」

武術大会は日ごろの訓練の成果を皆に見せる華やかなイベントでもあるし、死人を出すわけにはいかない。

弟を宥めつつ、エレーユは苦笑いした。

「でも、応援してるから頑張るのよ」

「はい、命に代えても」

「重いわよ！」

後衛の砲撃手なのに、前線に転がり込んで魔物の超至近距離で魔導砲をぶっ放し、前衛の騎士たちすらヒヤヒヤするような肉薄した戦い方で、敵味方問わず戦地を震撼させた逸話を持つアレクサならやりかねない気がして、エレーユは再度、「無理はしないように」「死人は出さないように」と念を押した。

「それはそうと姉上、折角ですし今日は夕食を一緒に食べましょう」

「ええ、いいわよ」

「ありがとうございます、姉上と食べる料理が一番おいしいです。姉上と食べる料理の味を知ってしまったら、他はゴミカスで味がしないと感じる程です。……さ、レストランの予約をしておいたので行きましょう。姉上がずっと行ってみたいと言っていたところですよ」

「え、もしかして大通りのオープンキッチンのところ？」

「そうですよ、姉上」

「ええ、嬉しい。あそこ、メリエーヌの名前使わないと予約とるのも一苦労なのよね」

「ふふ、次からは俺の名前で予約をとってもいいですからね」

こうして日が暮れてから、エレーユは高級なレストランに合わせて少しだけ衣裳替えをして、アレクサと共にレストランへ向かった。

アレクサは父親にまで脳筋と言われるような弟なのにエスコートは完璧で、相手が姉だったとしても恐ろしい程に完璧な淑女扱いでもてなしてくれた。

これで戦闘狂な一面が無ければもっとモテて、とっくの昔に恋人でも婚約者でもいただろうに勿体ない。

席に着いたアレクサはエレーユの食べたいものをすべて把握し、すでにコースを注文してあると微笑んだ。

「姉上の食前酒はポーラワインですよね。俺もそれにします。乾杯しましょう」

「ありがとう。じゃあ乾杯ね」

「乾杯、姉上」

料理が運ばれてきて、それに舌鼓を打ちながら楽しい話で食べ進めていると、アレクサが「そういえば」と顔を上げた。

「姉上はエルフリート・エデンバーグと今どのような状況なのですか？」

「え？あー……」

歯切れの悪い返事を返すと、厳しい目つきだったアレクサの顔が仏のように和らいだ。

「ふふ、何か嫌な事でもありましたか？」

「まあ……」

「そうでしょう。俺は最初から、あの男が嫌いだったんです。姉上もようやく同じお気持ちに？」

「なんというか……とりあえず彼とは、婚約破棄を、考えているの」

折角楽しい夕食なのだから、あまりこの話はしたくないなと口籠ったエレーユとは反対に、アレクサは更に顔を輝かせた。

「いいじゃないですか！素敵です姉上、是非婚約破棄しましょう」

「そうね、お父様とお母様に相談してから……」

「家に迷惑などかかる筈がありません。父上も母上も、姉上がずっと家にいてくれるならこの上なく喜びますよ。もちろん俺も。さあ、今すぐパパッと破棄しましょう」

「まあ、勢いは、大切よね……」

「なんですか。姉上にしては歯切れが悪いですね」

「そうかしら……」

何度も婚約破棄をしてやると思い、書類まで準備をしたけれど、いざ身内に話をしてしまうと少しだけ怖気付いてしまった。

このままアレクサのこの勢いで両親にまで話が届き、あれよあれよという間にエルフリートは婚約者ではなくなってしまうのではないか。

……いや、婚約は絶対に破棄したいのだから、それでいい筈なのだけれど。

「あ、そういえばエルフリート・エデンバーグも飛竜部隊の代表で剣武祭に出ますよね」

「え？」

ふと話題を変えたアレクサの顔を見たまま、エレーユはフォークに刺していた肉を取り落とした。

「えっと、剣武祭？」

「そうです」

「あの、王国でも5本指に入るくらいのお祭りに？エルフリート様が出場するの？」

「あれ、姉上知らされていませんでしたか？」

「……」

剣武祭とは、年に一度王宮主催で開かれる大きな武術大会で、騎士団にとっても国民にとっても一大イベント。

他国からも来賓を招いて、騎士団の選りすぐりの精鋭たちがその力と技を競い合う、歴史ある大会。

それに出場するなんて結構大切な事の筈なのに、エレーユは全然知らなかった。

……私、エルフリート様からは何も聞かされてないわ。こんなにすごい話なのに。

やっぱりエルフリート様は、もう既に私のことを婚約者とも大切だとも、微塵も思っていないのでしょうね。

これは、エレーユが婚約破棄を突きつける前に、エレーユが婚約破棄を突きつけられてしまうかも知れない。

でも、それならそれでいいかも知れない。

いっそ、さっさと息の根を止めてくれれば楽になれる気がする。

「姉上、大丈夫ですか？」

「あ、ええ、大丈夫よ」

エレーユは慌てて頷く。

少しの間、息をするのを忘れていた気がする。

アレクサに気づかれないように深呼吸をすると、エレーユは何食わぬ顔をして食事に戻った。

しかし、姉の様子を鋭く観察していたアレクサは、小さくため息をついた。

「エルフリート・エデンバーグは、やっぱり爆殺した方がいいですね」

「爆殺？！」

「そうです。心配することはありませんよ、姉上。俺がエルフリート・エデンバーグを飛竜ごと粉微塵にして差し上げます」

「粉微塵とか爆殺とか、アレクサが言うとちょっと冗談に聞こえないわ」

「冗談ではないですから」

アレクサは冗談なのか本気なのかわからない笑みを浮かべ、エレーユにデザートは何がいいかと聞いてきた。

「良い頃合いですのでデザートにしましょう。姉上はマカロンがお好きですが、チョコレートフォンダンもお好きですよね。食後の気分によって決めたいかと思い、まだオーダーはしていません」

爆殺からのデザートという謎のコンボを決めたアレクサの言葉に苦笑いをしたエレーユは、デザートのメニューを引き寄せた。

……もういっそのこと、全部爆発してくれたらすっきりカタが付くかしら。なんて、流石に弟を犯罪者にはできないわね。

メニューと睨めっこして散々悩んだエレーユは、デザートに対してはスッキリとカタをつけた。

チョコレートフォンダンをデザートに選び、その日の食事を終えたのであった。

ちなみにメリエーヌからの手紙は剣武祭の招待状であり、エレーユがそれを承諾したのは、アレクサがエルフリートと接触した後のことだった。