吾輩は院長である 胃薬はもうない ~なぜ病院は赤字なのか(R7年11月現在)~
吾輩は、とある市立病院の院長である。
病床数(入院ベッド数)は300であるから、小さくもなく大きくもない一般的な地方都市の病院をイメージしてもらうのがよいだろう。
今年度より、勇退された前院長から引き継いだ院長職であるが……はっきりと言おう。
うん、病院ってクソだ。
こう言うと、あたかも私が不良医師のように思われてしまうかもしれないがそれは違う。
大学医局から派遣されてこの病院で働くこと十余年。この地域に愛着もあり、患者の診療にも熱意をもってあたってきたという自負もある。
医師として、この地域で人の命を救う仕事を全うしてきたと断言できる。
ならばなにがクソかというと、病院を取り巻く状況とそれに対して打てる手がほぼないことだ。
患者のことにまい進すればよかったただの医師時代に比べ、役職が上がるごとにその範囲は経営に及んでいく。
公立病院は公営企業。つまり民間企業と同じようにその収益をもって経営を行わなくてはならないというのが原則になっているのだから当然だ。
うん、それはわかる。でもね
それって、なんて無理ゲー?
令和6年度決算において、公立病院のおよそ9割が医業収支で赤字になっている。
これ業界として終わってね?
こういうことを知ると、どうせ放漫経営の結果だろ、どこかと癒着していて高い機器を購入して、そのキックバックを医師がもらっているせいだ、といかいう人もいるが、それは古の時代の風説を信じ込まされているだけだ。
まあ、現在もそういう人がいる可能性はあるが、もし疑うのであれば一度病院で働いてみるといい。
うちの病院なんて、職員の机とか何十年前のものだよってくらいところどころ錆が浮き、クソ重い歴史を感じさせるものだぞ。
電気代節約のために、患者の通らない通路の照明は抜かれているし、職員しか使わない便座のヒーターは切られて冬はひやっとする。
業者に頼むお金がないから、職員が枯れた木の枝の剪定をしたりしているくらいだ。
材料などのメーカーには何度も値段交渉をし、嫌な顔をされながらも経費の節減を図っている。やれることをやっていない訳ではないのだ。
あと誤解が多いが、そもそも公立病院の医師はそこまでの給料をもらっていない。
なんかブランド物で身を固め、車はレクサス、海外旅行に年に何度も行くようなイメージを持っている人もいるが、そんな医師はごく一部だ。
実際、院長の私の車は、10年物のプリウスである。まあ私自身、あまり車に興味がないこともあるのだが。私的な旅行にもしばらく行っていないし、月に数回外食をすることが贅沢と言えば贅沢だろう。
ちなみに我が生涯の相棒(現役看護師)曰く、
「夫が医師なのにケチ臭い、とか言われると殺意が湧く。そもそもそんなにもらってへんわ! なにより医療関係者は命削って稼いでんねん! しかも2連休すら取れること珍しいのに、学会、研修以外でどうやって海外旅行行くねん! ブランド物? それより睡眠時間よこせや!」
とのことである。
実際医師の平均寿命は一般に比べ短いという統計も出ている。医師の働き方を考えると、あながち彼女のいうことも間違いとは言えない。
まあ婦長として、彼女も色々な責任や穴埋めが必要な役割を担っている。思うところはたくさんあるのだろう。
ストレス発散のために彼女が通っているボクシングジムで鍛えた拳が、今のところ私に飛んでこないのは僥倖だ。
さて、ではなぜそんなに節約して、医師に払う給料が法外に高いわけでもないのに病院は赤字なのかという話だ。
これは簡単に言えば医業の構造上の問題と、公立病院の役割のためだと私は考える。
昨今、物価や人件費は著しく高騰し、それに比して薬や診療材料、委託業務料、器械購入費、工事費なども増加傾向にある。
それ自体は仕方がないことだ。相手は民間であるし、それが時代の流れであるのだから当然だろう。
さて、そうなると自然に費用は増大していくわけだが、そうなった場合一般企業ならどのような手を取るか考えてみて欲しい。
身近にある食料品などで考えるとわかりやすいかもしれないが、普通は商品の値段を上げるのだ。
まあ値段を上げずに内容量を減らすという手段をとる企業もあるが、どちらにせよ売却単価を上げるという方針に変わりはない。
企業努力で、仕入れ先を変えたりして経費を節減させ値段を据え置いている企業がないとは言わないが、それにも限度がある。
経費節減の限度がくれば、黒字を維持するためには収入を増やすしかとりうる手段はないのだ。
そこで考えるのが病院である。
じゃあ病院も料金上げればいいじゃんと思うかもしれないが、基本的に公営企業が取り扱う医業は診療報酬という形で厚生労働大臣によって決められている。
2年に1度、診療報酬は改定されているのだが、逆に言えばこの診療報酬に縛られた病院は勝手に値上げなどできないのだ。
しかもこの診療報酬改定が、うーん、まあ端的に言ってひどい。
診療報酬をよくすれば、国民皆保険制度としている日本では政府の負担は大きくなる。だからなんとかして数字を無理くり合わせ、なるべく値上げしないようにしているようにしか私には見えないのだ。
まあ違う見解を持っている人はいるので、あくまで私の個人的な所感ではある。
財源には限りがあることは、この院長職についてよくわかるようになったが、公立病院の約9割が赤字になっていることを鑑みれば、その上げ幅が現況とあっていないことは明らかだろう。
総理が変わったことで、その流れも変わってくれることを祈ってはいるが、どうなるか先行きは不透明だ。
この傾向が続けば、ほどなくして公立病院の倒産が始まるだろうから、それから動き始めるかもしれない。
まあそのころには、この病院もないかもしれないが。
民間病院じゃないんだし、公立病院で倒産はないでしょ。と笑われるかもしれないが、それは認識が甘いと言わざるを得ない。
実際、公立病院である夕張市立総合病院は、夕張市の財政破綻により2007年に閉院している。
そんなのは特殊事例でしょ、と考えることはできるが、公立病院でも閉院に追い込まれることがあるということに違いはない。
さて赤字の公立病院を誰が支えるかと言えば、当然そこを所管する自治体になる。
つまり病院の赤字が膨らめば、それをフォローする自治体の経費もかさむわけだ。
それが財政を圧迫していき、他の事業に影響をもたらすようになれば、夕張市の二の舞にならないために先に公立病院を閉院するという選択肢もないとはいえない。
いつまでもあると思わない方がいいと、僭越ながらアドバイスしておこう。
それに加え、消費税の問題も頭が痛い原因ではある。
一般的に私たちが何かを買う時には消費税がかかってくる。基本10%で、軽減税率で8%。食料や家電など何か物を買う時にかかるので最も身近な税と言っても過言ではないだろう。
この消費税であるが、企業や病院が買う時にも当然のことながらかかってくる。
病院で言えば、薬剤や診療に使う注射や包帯などの診療材料、MRIなどの医療機器、委託業務に至るまでほぼ全ての経費にかかってくる。
まあそれは当然のことなので問題はない。当院もちゃんとお支払いをしている。
通常、この仕入れにかかった消費税は、商品を売るときにその購入者から消費税をとることで賄うことができる。
つまり最終的な支払者である客が消費税を負担し、それを売った店が代理で国に払うという形になるわけだ。
だが病院に関して言えば、診療などのそのほとんどの売り上げについては非課税。つまり税がかかっていない。
どれだけ診療をしようと、基本的に患者が消費税を負担することはないのだ。
となると最終的な消費者である患者から取ることのできなかった消費税をどこが負担することになるかというと、それは病院になる。
当院のような中規模の病院でさえその負担は数億円単位であり、これが経営を圧迫していることは紛れもない真実だ。
いちおう先に挙げた診療報酬の中に消費税分が含まれているから問題ないというのが政府の見解ではあるのだが……うーん、それ、正気で言っている?
いや、なんか数字上診療報酬の中に含まれていますよってデータ出しているけど、うちの決算を鑑みると明らかに無理があると思うのだが。
たしかに一部の病院はそれで足りているかもしれないが、総合病院系は別で考えたほうがいいのではないかというのが個人的な見解である。
少しうがった考え方をしてみると、末端である病院に、ひいてはそれを補助する地方自治体に負担を押し付けているだけのような気しかしないのではあるが、真相は謎だ。
まあここらは一病院が何を言っても変わらないので、お国のほうで何かが変わってくれるのを期待するしかないところではある。
では、ここからは少し方向性を変えてなぜ公立病院は赤字になりやすいのかについて考えていこう。
先に挙げたように、診療報酬という形で病院の料金は決められている。
それに縛られ赤字になるのであれば、民間の病院なんてなくなるのではないか、というのは正しい考えだ。
まあ実際に病院の倒産件数を見てみると右肩上がりで増え続けており、それを証しているようにも見えるが、実際に黒字経営を続けている民間病院は確かに存在する。
ではなぜ民間病院は黒字経営を続けられるのだろうか。
語弊のないように先に示しておくが、民間の病院についても大変な苦労をして黒字を達成している病院は多い。民間だから以下に述べる理由で簡単に黒字になっているとは思わないでいただきたい。
さて本題に戻って、黒字経営を続けられる1番大きな理由としては、彼らが儲かる医療を行っているからということがある。
儲かる医療の代表格としては、やはり美容医療系のクリニックだろう。
端的に言えば目を二重にしたり、脂肪吸引したり、骨格を削ったりして、自らを美しくする場所である。
その是非については特に言及はしない。自分の体、自分の人生を、自分で稼いだお金で『かえる』場所というだけである。
それは置いておいて、なぜ美容医療系が黒字経営の場所が多いかと言えば、彼らの行為は保険診療外であり、その値段設定を自分たちで決めることができるからだ。
簡単に言えば、黒字になるように料金設定をする権利を持っているからということになる。
これは非常に簡単でわかりやすい構造だ。一般的な企業と何ら変わることはない。
美しくなりたいという人々の需要が消えることはなく、それに相応の金をかける人々もまた少なくない。
儲かるような高い金額にしても、評判が良ければ客は来るのだ。お金はあるところにはあるのだから。
ちなみにすごく個人的な、偏見のとても混じっていると自認しているところではあるが、世間一般の人々が思い浮かべるウェーイ系の医者については、この美容医療系の医師が多い。
彼らは病気や怪我の治療を目的としていないため、手術の予定はあらかじめ決められており、深夜勤務もなく、それなのに我々より給料が高いことも多いようだ。
つまり時間、金ともに余裕があるのだ。そりゃあ、ウェーイの1つもしたくなるだろう。
昨今のタイパ、コスパを意識する若者がその道を選ぶのも仕方がないと、私自身理解はしている。
もちろん志高く人の命を救うために医者を目指す若者は多く、美容医療を選んだからと言って怠けているというわけではないのだが。
そもそも怠ける者は大学時に振り落とされており、医師国家試験までたどり着いている時点で努力を重ねていることに疑いようはない。
ただ、医療人材が不足する中で、そちらばかりに行かないでほしいと願うくらいはいいのではないかと思っている。
さて盛大に横道にそれてしまったが話を戻すとして、美容医療以外について考えると、基本的に診療所などは専門分野を絞ることで最適化を目指し黒字を達成していることが多い。
呼吸器科専門、皮膚科専門、眼科専門など、その医師の専門分野に特化するわけだ。
その医師の腕がよく、さらに人当たりもよければ、良い評判が広がり経営の安定化を図ることが可能になる。
専門特化であるため、医療機器や診療材料なども限定され経費の節約をしやすいということもあるだろう。
もちろんそれは言うほど簡単なことではない。そこには我々の想像もつかない苦労があるはずだ。
それに当院としても、地元の民間病院や診療所の医師の方々とは切っても切れない関係である。
当院に患者を紹介してもらったり、当院で治療し症状が軽くなった患者を逆に紹介することもある。
いわば持ちつ持たれつの関係性なのである。これは悪い意味ではない。適切な場所で適切な治療を行うことが健全な医療の大前提なのだから。
この関係性が崩れれば、待っているのは地域医療の崩壊だ。
だからこそ当院としても、民間の病院、診療所の方々が黒字経営でき、存続していただけるということが非常に重要になってくるのである。
さて、では一方、当院のような公立病院について考えてみよう。
先の民間の例にのっとって儲かる医療に力を注げば、黒字化するということもできなくはないだろう。
だが、ここは公立病院、つまりその診療方針にはそれを所管する自治体の要望が少なからず入ってくるのである。
それはどういうことか。
簡単に言えば、儲からないけど住民の生活のためには必要な診療を持つのは当然だよね、ということである。
わかりやすい例でいえば産婦人科だろう。
基本的に少子高齢化が進む日本において、出産を扱う産婦人科のニーズは年々低下傾向にあるのが現実だ。
えー、でも民間の綺麗なクリニックとかで美味しいお祝い膳を食べたり、家族そろって楽しそうに撮られている写真がSNSに挙がっていたりするし、儲かるんじゃないの? と思うかもしれない。
たしかに健康で、なんの異常もなく出産する場合なら、リスクはそこまで高くない。それほど日本の医療水準は高く、安全性は担保されている。
それでもなお絶対とは言い切れないのではあるが。
そして、そうではない胎児ももちろんいる。
なにがしかのリスクを抱えた胎児の出産の場合、そういったクリニックでは断られてしまうことが多い。
その受け皿となっているのが、公立病院や大学病院などの大病院になるのだ。
リスクのある胎児の出産。成人に比べはるかにか弱く、非常にデリケートな取り扱いが必要になるのは誰でもわかることだ。
患者は少なく、非常に高度な技術やそれに伴う道具を必要とし、そしてその診療報酬は決まっている。
つまり患者が来るだけ、いや産婦人科を設置するだけで損をする可能性があるということだ。
そしてどれだけ力を尽くしたと言っても、それに限界はある。
医師は神ではなく、ただの人だ。全ての人を救うことなどできず、救えなかった命に対して詫びることしかできない。
そして次の命を救うべく切り替えるしかないのだ。
だが子を失った親はどうだろうか。
十月十日、自らの体の中で育った胎児が亡くなったことの喪失感は筆舌に尽くしがたいほどのものだろう。
それは容易に想像がつくなどと言ってはいけない領域であり、その傷が消えることは決してない。
その痛みは長く続き、そしてそれは時に怒りへと変わる。
なぜ私の子は死ななくてはならなかったのか。
この病院でなければ、この医者でなければ、この指示がなければ、きっとこいつらのせいで私の大切な子は死んだんだ。
許さない、許さない、許さない!
そして、その怒りの行きつく先は、病院を相手取った訴訟である。
実際、産婦人科の患者から起こされる裁判は、他の診療科の率に比べ突出している。
我が子を想う親の気持ちを考えれば、それは仕方のないことなのだろう。
さて、少し暗い話になってしまったが、感情の面はいったん横に置き経営という面から産婦人科について考えてみる。
上記の事情からもわかるように、産婦人科の患者は減少傾向にあり、来院する患者も難しい症例のものばかりで、それに対応するために専用の器械などが必要となり赤字が濃厚。
そのうえ訴訟リスクも高い。
つまり経営の黒字化のみを考えるのであれば、ないほうがいいという結論になってしまうのだ。
もちろん各病院の周辺状況や所属する医師によって結論は変わってくる。とはいえ多くの病院では似たようなものだろう。
だが公立病院で産婦人科を持つ病院は少なくない。
赤字を垂れ流しながら、その一因となる産婦人科を閉鎖しないのは、そこに自治体の要望があり、そして地域医療の最後の砦としての矜持を持っているからである。
産婦人科以外にも、救急医療、小児科、精神科、リハビリテーションなど頑張ってもなかなか収益としては厳しい科は多く、そして公立病院は最後の砦としてそれらを守らなければならない。
そりゃ、赤字になるでしょ。
だって地域医療を維持するという目的のために、黒字化への最善の道をふさがれているのだから。
さてこうして長々と赤字となった言い訳をしてきたわけであるが、黒字となっている病院もあることは確かだ。
我々としてもその病院がなぜ黒字なのか、どうすればそれに近づけるのかを研究し、改善を行っている。
とは言え、周辺環境などの影響も大きく、全てを真似できるかと言えばそうではないのだが努力は必要だろう。
正直な話、住民の方々は公立病院の経営状況がどうなのか知っている人のほうが少ないかもしれない。
知っている人であっても、まあ自治体がバックについているんだし、大丈夫でしょと楽観視している方々もいる。
だが今のような状況が続けば、いきなり公立病院が潰れる日は遅からずやってくるだろう。
今、私が願うのは令和8年度の診療報酬改定が良いものであることだけだ。
もしそれがだめなら……はぁ、想像しただけで胃が痛くなる。
机の上の瓶に手を伸ばし、その中身が空であるのを見て手が止まる。
あぁ、そういえば昨日の議会対応の打ち合わせの後で飲んでなくなったんだったか。
早く胃薬が必要のない生活に戻りたいものだが、あと数年はお世話になるしかない。
さて内科の医師に診察をしてもらって、胃薬の処方をお願いするとしよう。
このエッセイは、私の住んでいる県から公表された決算資料、周辺の自治体病院の決算報告、医師関係の団体のホームページや資料、大学でその関係の道に進んだ友人に聞き取りした内容などを元に構成したフィクションです。
間違いがないように気をつけているつもりではありますが、もしかしたら実情と違う部分はあるのかもしれません。
ただ1つの問題提起の題材としては良いのではないかと思い投稿させていただきました。
医療関係者の方などで、ここは間違っている、実はうちもそう、などありましたら感想欄にて一言いただければ幸いです。
最後になりますが、お読みいただきありがとうございました。




