第5章ー15
「撃てば当たるというのは、砲兵士官にとっては侮辱されたのと同じなのだが」
黒井中佐は思わず独り言を口に出してしまった。
8月5日の昼、北京への救援軍の進撃を阻止しようと目の前にはどう見ても10万を超える清国正規軍と義和団の混成部隊が展開しているが、ずっと砲兵士官の路を歩んできた黒井中佐にしてみれば、単なる砲撃の的に過ぎなかった。
それなのに、彼らは我々の砲撃準備を嘲笑するかのように隠れようとしない。
砲撃が始まるのが迫っているのに、悠々と立っている眼前の混成部隊は、黒井中佐にしてみれば、自分たちの砲撃を嘲笑しているようにしか思えなかった。
「そう言うな。砲撃だけで敵が敗走してくれればいいことではないか。前面にいるのが単なる射的の的だというのには同意するがな」
そんな声が聞こえ、黒井中佐は思わず振り返った。
第1海兵師団に所属する砲兵大隊長中で最上位の自分にそんな声をかけるのは誰だ。
だが、自分に声をかける人物が付けている階級章とその顔が目に入った瞬間、反射的に黒井中佐は敬礼した。
自分とは1階級差の大佐とはいえ、その人物は文句なしに格上で、かつ自分の先輩だった。
黒井中佐の敬礼に答礼して、その人物は言った。
「それで、砲撃準備は準備万端整っているか」
「はっ、海兵師団が保有する48門の山砲は完全に射撃準備が整い、いつでも一斉射撃可能です。それにしても何故、ここにおられるのですか」
黒井中佐は疑問の声を挙げた。
目の前の人物、内山大佐は苦笑いをした。
「本来は第1海兵連隊長のわしがここにいる理由か?林提督に第1海兵連隊は自分が直接指揮するから、内山大佐は海兵師団の砲兵隊全般を指揮してほしい、と依頼された。自分は第1海兵連隊長ですが、と思わず言いかけたが、林大佐の目が据わっていたから、これは断ったら、斬られそうだと思って、ここへ逃げてきた。あの様子だと、砲撃が終わり次第、一斉射撃を目の前の敵に浴びせかけた後、林提督は第1海兵連隊の先頭に立って突撃を掛けそうだな。わしの本職は砲兵だから、間違っているとは言えないのがつらいところだ」
「北白川宮師団長に仲裁してもらうというのはどうでしょう」
「北白川宮師団長もここしばらく、ずっと待たされていたから、いらいらしている。わしが、砲兵隊の総指揮を黙って執るのが、海兵師団の平和のために一番いいことだ」
内山大佐は首をすくめた。
そのしぐさを見た黒井中佐は苦笑いするしかなかった。
「無駄話はそれくらいにして、そろそろ砲撃を開始するか。これ以上砲撃開始を遅らせたら、林提督率いる第1海兵連隊がこれ以上は待てない、といって勝手に突撃を始めかねないからな」
内山大佐は言った。
「大佐の話を聞く限り、同感ですな」
黒井中佐は答えた。
「砲撃開始命令を掛けさせてもらうぞ」
「大佐の御心のままに」
黒井中佐はおどけて答えた。
内山大佐はそれを見て笑った。
「砲撃開始、全弾、目の前の敵にぶち込め」
内山大佐は号令をかけた。
海兵師団の保有する48門の山砲の一斉砲撃が始まった。
新型の31年式速射山砲に更新されていることに加え、海兵師団の砲兵の練度は高い。10分間の間に各砲は30発を目の前の敵に撃ちこんでいた。
目の前の清国正規軍と義和団の混成部隊は大混乱に陥った。
「一斉射撃を浴びせた後、突撃開始、目の前の敵を蹴散らせ」
林提督が第1海兵連隊に号令をかけた。
「第3海兵連隊は自分に続け」
斎藤一大佐も同様の号令をかけた。
海兵師団の突撃が始まった。
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