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第5章ー10

 7月5日、山県首相は閣議を開いていた。

 議題は北京にいる邦人や列強の外交団を救援することについてである。


「既に6月12日の段階で、英からはいざという時には日本に派兵を要請したい旨の依頼を受けております。英の歓心を買うためにもいざという際には速やかでかつ大規模な派兵が必要と考えておりました。一刻も早く陸軍を派遣しましょう」

 青木外相が発言した。


「しかし、陸軍を派遣するというのはどうかな」

 桂陸相が水を差した。

 横では、山本海相もその発言に肯いていた。

「私としては、陸軍の派遣は見合わせるべきだと考える。日本が陸軍を派遣することは、清国の領土に野心を持っているように欧州の列強に疑われかねない」

 桂陸相は発言した。


「英の要請を無視するというのですか」

 青木外相は桂陸相を難詰するように言った。

「陸軍を派遣しないと言っただけだ。海兵隊を送ればいい」

 桂は内心を押し隠して言った。


 この閣議の直前、桂陸相は山県首相と密談を済ませていた。

「桂、北京には海兵師団を送るぞ。文句はないな」

 山県首相にとって桂陸相は一の子分である。

 山県首相の発言には遠慮がなかった。


「なぜです。陸軍の武威を輝かす絶好の機会ではないですか?しかも、英の派兵要請というお墨付きもある。陸軍を何でしたら数個師団送ってもいいのでは?」

 元々、桂陸相は陸軍派遣慎重派ではあったが、北京の情勢は一刻も早く救援を要する有様である。

 本来なら、6月21日の清国の宣戦布告直後に、1個師団の動員を掛けてもよかったくらいである。


 それなのに、山県首相は海兵隊の総動員を6月25日に山本海相に命じただけで、自分には陸軍の動員はもう少し待て、と言う有様だった。

 そして、今回は陸軍は派遣しないという。

 桂は山県の真意を疑った。


「理由は幾つかある。まず第一に、陸軍は万が一の対露戦の準備に忙しいので清国に派兵して無駄な時間を使いたくない。第二に海兵隊を派遣した方が、列強を刺激しなくて済む」

 山県は、一旦、そこまで言った後で口をつぐんだ。

 だが、奥底には更に別の山県の真意があるように桂には思えた。


「正直に更に言っていただけませんか。他にも理由があるのでしょう」

 桂は言った。

「ばれたか」

 山県は笑って話を続けた。


「日本の海兵隊は、質的には我が陸軍に伍するか、それ以上のものさえ持っている。それは、桂にも否定できまい」

「それは日清戦争で思い知らされましたよ」

 桂はしみじみ言った。


 ばん馬をはじめとし、疫病対策等々で海兵隊は陸軍を質的にしのぐ。

 陸軍の一部からは海兵隊は小規模なのでできるのだという声があり、それに桂も少し同意したいところがあるが、しのいでいるという事実は間違いない。


「日本の海兵隊が実戦で欧州列強の前で優秀さを示せば、陸軍も同様、いやそれ以上に優秀であると欧州列強は勝手に考えるのではないかな」

 山県は言った。

 桂も肯いた。


「そして、私情だが、本多海兵本部長から会津出身の柴五郎中佐を海兵隊で助けたいと懇願されてしまった。かつて会津を攻めたのは我々薩長なのにな」

「よく山県首相に言ったものですな」

 桂は首を振った。


「それだけ、海兵隊は北京に行って柴中佐らを救援したいと思っているのだ。この想いに応えてやっても悪くはあるまい」

「そうですな。我々陸軍は後詰に回りますか」

 桂は山県に同意した。


「わしも桂陸相や山本海相の考えが相当だと思う。海軍は速やかに海兵師団の編制を完結し、天津へ向かわせるように。それ以上の増援は情勢に応じて再検討する」

 山県首相は言った。

 海兵師団の派兵が閣議決定された。

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