悪魔の誘惑
キスティが展開した影を見て、悪魔が呟いた。
「ああ、やっぱ予備戦力持ってたか。察するところ、使い魔かね。ていうか動物霊使ってセクハラしてんじゃねーよマスター。そういうとこ嫌いじゃないけどな」
「いやあれは確かに僕の思考も混じってるけど、それでも猫の思考が大半だよ? 本当だよ?」
「ああそう。ま、どうでもいいさ。それよりどうする。各個撃破のチャンスだぞ」
「アリエルっていったっけ。壁になれる堕天使で、お前の部下っての。彼女から落としてくれ。これは今日を乗り切る上で絶対条件だ。彼女というナイトに守られてたら、何をどうしてもクイーンには届かない」
「任せとけ。多分だが、なんとかしてみせる。まあ見てな。なんなら堕天使共全員をこっちに引き入れてやるぜ」
「これが失敗したら正直尻尾を巻いて逃げるしかないんだ。頼んだぞ」
「私はどうしましょうかご主人様」
「僕の近くで護衛。敵に狙われたら囮として活躍してくれ」
「了解です」
さっそく、悪魔はアリエルに狙いを定め、声を響かせる。
もちろん、他の悪魔たちやキスティには聞こえない音域を使っている。
「アリエル。愛しい我が配下アリエル。我が声が聞こえるか」
「……はい。聞こえます、閣下」
「私はお前に命じねばならんことがある。だがそれは、お前の主を裏切ることではない。むしろお前の主の為なのだ」
「相変わらず戯言がお上手ですね」
「私はいつだって人の為を思っているよ。それこそ太陽の方に負けないほどにね」
「そのような言い方をなさるから、傲慢などという罪を被ることになったのですよ」
「まあ、それはいい。私が傲慢なのは私が最もよく知っている。ところで、君の主に欲はあるのかね? 人間にとって大切な、幸せそのものといってもいい代物だが」
「人並みに欲があるようには見えません。清廉潔白、といいますか」
「そして友達がいないのだな。組織でも孤立しているのではないかね?」
「……おっしゃるとおりです」
「哀れな女だ。優れているがゆえに、優れた立場を与えられていないのではないか。ひとごとながらそう心配してしまうよ」
「返す言葉もございません」
「そんな君のご主人様に、素晴らしい伴侶を用意した。なんとその男は、私に『全人類と友人にさせろ』と契約を迫ったのだ。もちろん君の主人も、その友人の中に含まれている。私はこの契約になんとしても答えねばならない」
「欲なき者の伴侶には、より欲の大きものを、ですか。確かに釣り合いは取れます」
「なんの、我が契約者の欲は、汝の主では釣り合いが取れぬほどの、途方も無い幸福で満たすだろう。そしてその幸福は、お前にも分け与えられるのだ」
「つまり閣下は、寝返りをせぬまでも味方せよ、と仰せですか」
「然り」
「魅力的な提案です。貴方様のお言葉は、常に魅力と黄金に満ち溢れている」
「では、よろしく頼む。なに、我が契約者を追い立てることなく、それとなく守ってくれればそれでいい。後のことは、我々が成すであろう」
「ご随意に」
「てなわけで、説得してきたぜ。で、なにしてんだマスター?」
「穴掘ってる。どうやったら意表を突いて近付くことができるかなと思ったんだけど、やっぱ上からか、下からかの二択だよね」
「埋めちまえこんなもん。それそれ」
「あ、てめえ何しやがる! せっかく低級霊さんたちが力を貸してくれたってのに」
「下から埋まって足掴んでゾンビのつもりか何か知らんが、一体誰がそんな状態からの説得に心ときめかすっつ―んだよ。アホ」
「吊り橋効果ってあるじゃないか。それを狙ったわけ」
「驚かす側に直接なってどうすんだよ。いいからマスターは、真っ向から口説き文句でも考えときな。なーに、友達いねえような奴なんて甘い言葉の一つや二つで簡単に落ちるぜ。我が身を顧みてみりゃわかるだろ?」
「えっと、それはつまりご主人様が悪魔様にメロメロってことですか?」
「嫌な表現をするんじゃない。なまじ間違っていないだけに嫌度が倍増してるじゃないか」
「素敵ですねー」
「ああ、もう、なんでもいいさ。それより次の作戦だ。情報屋を落とすか、使い魔を追うか。いっそ時間が来るまで身を隠すのもありだな」
「明けの明星が登るまであとどれくらいだ?」
「あと一時間もしないうちに。日の出まで二時間ってところだろうな。つまり、俺達は一時間後に勝負を仕掛けて、それから一時間のあいだに決着をつけるのがいい」
「太陽が出てからでは駄目か?」
「まるっきり駄目ってわけじゃないが、俺の力が弱まる。俺の力は太陽によって減衰しちまう。なんといっても輝きが違うからな」
「わかった。そのプランでいこう。じゃああと一時間、なんとか凌ごう」




