いにしえのチャットルームの扉が開かれますわ~!
マンションの窓を雨が叩く。今夜は荒れ模様らしい。有名アミューズメントテーマパークも、強風のため花火は上がらなさそうだ。
夕食の席で花音は執事に確認する。
「あなた、わたげではありませんわよね?」
「当然、違いますとも」
即答である。
執事と羊の語感はどこか似ている。ふわふわとした白川わたげの正体がカチカチな鋼慶一郎というギャップを念頭におきつつ、花音は男のサングラス顔を指さした。
「おかしいですわね。わたげ……とは言いましたけど、何も知らなければ違うかどうか以前に、綿毛だと勘違いするものですわ。いつものあなたなら『お嬢様、急に綿花の話とは驚きました』とでも言いそうじゃない?」
「揚げ足をとるばかりが執事の仕事ではございません」
「揚げ足取りは仕事のうちに入りませんわよ」
サングラスで表情の読めない執事に花音はため息で返す。相手はどこ吹く風だ。
「お嬢様は『わたげではありませんわよね?』とおっしゃいました。わたげが、なんらかの組織の構成員を指す隠語である可能性や、わたげという人物名では? と推測した上で否定したに過ぎません」
本当に口ばかり達者である。「そうですわね」とお嬢様が軽く流すと――
「お嬢様……私は常にお嬢様を見守りその安全を最優先で確保することを約束いたします」
「当然でしょう。金持家の執事なのだもの」
「ですが、あまり無茶はなさらないでください」
「無茶なんてしていませんわ」
「先日は突然大阪に向かわれたので、慌てて追いかけたのです」
「それは……ええと……ごめ……当然でしょうあなたの職務なのだから」
花音はうまく監視の目をごまかせていたつもりだったが、この執事はついてきていたらしい。
少女はまったく気づかなかった。
「できる限り、お嬢様の日常と平穏を乱さぬよう心がけてはおります。小中大福様には気づかれることもしばしばでしたが。あの方には野生の勘のようなものがあるようです」
「あ、あらあら? わたくしも当然気づいていましてよ」
と、花音は胸を張る。ただの虚勢である。
思えば大福が時々感じていた視線は、グラサン執事のものだったのかもしれない。
「まさか学園内にまで入り込んではいませんわよね」
「はい。もちろんでございます」
「警備体制も整っていますし、あなたのような目立つ風貌の不審者が入ってきたら大騒ぎですわね」
「我が身のデカさを嘆くばかりです。ああ、私が高校生であれば二十四時間お仕えできるのに」
「主人を前に堂々とストーカー宣言。給与査定に響きましてよ」
「失礼いたしました」
夕食の卓越しに青年は恭しく頭を下げた。
ともあれ――
学園はある意味閉じられた場所だ。外部から不審者が入ってこようものなら、警備員に囲まれる。
調査すべき噂にあった凸系ユーチューバーが、先日それで捕まっていた。刑法130条、建造物侵入罪でご用である。
花音が手を下すまでもなく解決した。
それこそ忍者でも無い限り、忍び込むのは難しい。
監視カメラに警報器もあれば、警備だけでなく用務員も常駐しているのだ。
……夜の校舎で忍者を目撃したという用務員の田中保は、別の何かと見間違えたのかもしれない。
「お嬢様の健全な学園生活がこれからも続くよう、願っております」
執事はゆっくりと顔を上げる。
淡々とした口ぶりに花音は「あなたの方こそ余計なことはしないでね」と、釘を刺した。
食後にアッサムのセカンドフラッシュをミルクティーで楽しむと、花音は書斎に閉じこもった。
小説投稿サイトを開いて白川わたげにDMを送る。
今度、新作のプロットについて相談したい。という内容だ。ここまでずっと支えてくれた人だから……とSNSのアドレス交換を申し出た。
すると――
パスワードとアドレスが添付されてきた。不用意に踏むべきではないのだが、わたげからの招待である。
リンク先はフリーのチャットルームだった。
画面は白を基調としているが、レイアウトは――
学園の裏サイトと同一である。
少女の胸が悲鳴をあげそうになった。必死にこらえる。
『星宮きらら』が入室しました
『白川わたげ』が入室しました
星宮きらら『おはこんですわたげさん』
白川わたげ『こんばんわです~! おはこんは朝か夜かわからないからですよ? 今は夜じゃないですか?』
きらら『そういえばそうですね』
わたげ『ところで先生! ついに新作始めちゃうんですね!?』
きらら『あの、どうしてチャットルームなんですか? 他の人に見られたりしません?』
わたげ『パスワード設定してますし大丈夫ですって。ご相談の秘密もきっちり守りますし、やりとり終わったら全部残さず消しちゃいますから!』
きらら『機密性ならスマホの方がいいような気がします。それにログも残ってくれていると、あとあと思い出すのに便利なので……』
わたげ『えっと、恥ずかしいんですけどスマホがなくてSNSとかもできなくて』
かわされてしまった。と、花音はキーボードを打つ手を止める。
わたげは名前や反応から同世代の女の子だと認識していたけれど、もしかするとインターネット老人会世代という可能性も微粒子レベルで存在しそうだ。
きらら『なるほど』
わたげ『なんだかリアクションがおじさんっぽくないですか?』
きらら『そんなことないです、わたしJKですから!』
お嬢様の方が逆に不審がられてしまう始末である。
きらら『じゃあ、さっそくなんですけど。今度の新作はとあるお金持ち学校に編入した主人公が、その学校で巻き起こる噂を調査することになるんです』
花音が本題に入ったところで、現実世界の窓が真っ白く染まった。
何度か明滅したかと思うと――
ドゴンッ! ガラガラピッシャーン!
と、部屋を揺るがす轟音が鳴り響いた。
雷鳴ではなく砲撃でもされたような音だ。
背後の扉が開く。執事が隙間から半分顔を覗かせた。
「お嬢様ご無事ですか?」
「無事に決まっていましてよ。雷くらいで何を焦っているのです。金持家の執事たるもの常にエレガントであってほしいものですわね」
「それほどの減らず口……おっと失礼いたしました。普段通りのお嬢様であらせられて、この鋼、安心いたしました」
「口が滑っていましてよ。この分だとクビにする日も近いかもしれませんわね」
「お優しいお嬢様からの叱咤激励、痛み入ります」
「ポジティブがすぎます。ノックもせずに扉を開けるなんて執事失格ですからね」
「以後、気をつけます。では、良い夜をお過ごしください」
部屋の敷居をまたがず扉が閉まる。
花音はノートPCの画面に視線を向けた。
わたげの返答はまだない。落雷の影響でインターネットが切れてしまったかと、花音は他のタブで動画サイトを開いてみたが、普通に読み込めた。
きらら『もしも~し! わたげさん?』
きらら『どうしましたか?』
きらら『わたげさ~ん?』
きらら『わたげさんわたげさんわたげさんわたげさんわたげさんわたげさんわたげさんわたげさんわたげさんわたげさんわたげさんわたげさんわたげさんわたげさんわたげさんわたげさんわたげさんわたげさん』
最後は某アメリカ風な名作レトロRPGのラスボスのようになってしまうお嬢様だが、結局この日、わたげがチャットに戻ってくることは無かった。




