96:開き直った元婚約者
ミラルドに刃物をちらつかされ、私は思わず尻込みしてしまう。
(なんとかしなきゃ……!)
しかし、私が手を出すより早く、駆けつけたリカルドがミラルドを突き飛ばした。
転倒したミラルドは、棚に全身を打ち付ける。
「大丈夫か、ブリトニー」
「うん、ありがとう」
ミラルドがぶつかった棚にあったのは、大量の塩。それが、上から彼の全身に降り注いでいる。
リカルドがさりげなくミラルドから距離を取っているのは、おそらく兄の体から漂う悪臭のせいだろう。
彼は麝香の香りに敏感だ。
「くそっ! いつも邪魔ばかりしやがって! お前さえいなければ……俺は苦しまずに済んだ! 何も考えずに、アスタール伯爵家の跡取りとして幸せに生活できたはずなんだ!」
塩を払い落としながら叫ぶミラルドに向かって、リカルドも口を開く。
「甘ったれるのもいい加減にしろ! 伯爵家の跡取りが、何の苦しみもなく幸せなだけの立場だと思っているのか!?」
リカルドが、他人に対して声を荒げるのは珍しい。
私との初対面の時はツンツンしていたけれど、ここまでではなかった。彼は、基本穏やかで真面目な性格だと思う。
でも、リカルドの言うことは尤もだ。私の従兄のリュゼだって、跡取りという立場のせいで、苦労ばかりしている。
(この間も、疲労で体調を崩して倒れたし。今も、北の街で戦っているはずだし)
けれど、決して出来の良くない私は、ミラルドの言うことも理解できてしまう。
(もし、私が男だったら、リュゼに嫉妬していたと思うし。だからといって、ミラルドみたいな真似はしないけど)
せめて、彼にもっと人望があれば、話は違っていただろう。
幼い時からリカルドに親身になって接していれば、弟は優秀な補佐として愛する兄を支えたかもしれない。
だが、彼は自ら味方となるはずのリカルドや、彼の両親たちを裏切った。
現状は、今まで全ての積み重ねであり、その結果だ。
倉庫の入り口付近では、味方の兵士が倒した敵を捕えていた。
リカルドはミラルドに剣を突きつけたままである。その目は……据わっている。
(リ、リカルド!?)
兄を殺す気はないようだが、様子がおかしい。
「ミラルド、なぜブリトニーに剣を向けた? 錯乱していたとはいえ、本気で彼女を殺す気だったのか……?」
「そんな女、どうだっていいだろう。そこまで感情的になるなんて、そいつに本気で惚れているのか?」
「だったら何だ?」
リカルドは、素でミラルドの言葉を肯定した……!
それを聞いた私の頰が急激に熱くなっていく。
(いやいやいや、ときめいている場合じゃないから)
敵を拘束した味方兵士に頼んで、ミラルドも拘束してもらう。
「必要なものを持って、急いで戻らないと」
怪我をした人々のために、早く精油を役所へ運ばなければならない。
あれこれしているうちに、かなり時間が経ってしまった。
味方の兵士二人はミラルドを連行し、残りのメンバーで精油を運び出す。
(さて、問題は帰り道だ)
敵と味方が戦っている中を、荷物を抱えて役所へ行かねばならない。
リカルドと共に意を決して外へ出ると……!
「あれ……? 予想外に静かだなあ」
私たちが倉庫の中にいる間に、あれほど激しかった争いが静まっていた。












