95:麝香兄さんの暴走
ミラルドは、なおも話を続けた。
「病気を言い訳にしなければ、普通に暮らすこともままならない! リカルドさえいなければ……俺は堂々と次期伯爵を名乗れるし、父上だって考えを改めるはず! だいたい、おかしいんだ。最初は、お前を俺の補佐に付けると言っていたはずなのに!」
「それは……」
応戦しながら言葉を紡ごうとするリカルドを遮り、ミラルドは私を睨みつけながら言った。
「そこの女が原因か。父上はハークス伯爵がお気に入りだからな。大方、その娘との婚約を条件にして取り入ったのだろう」
「それは違う、現にブリトニーとの婚約の件は保留にされているだろう?」
「なら、どうして今もそいつと一緒にいる? 本来なら、お前はハークス伯爵領へ来ていないはずだ……味方にこちらのことを探らせていたが、お前が王都を出ていると聞いて驚いたぞ」
ミラルドは、私とリカルドの婚約について詳しく知らないようだ。
勘違いを続けている。
この場にいても足手まといだし危ないので、私は狙われにくいように倉庫の奥へ移動した。
近くには、香料の入った瓶がたくさん置かれている。
その中には麝香の原液もあった。
「女を狙え! そいつは、捕獲して連れ帰る!」
「ええっ!?」
余計なことを言うミラルドのせいで、敵の兵士たちが一斉に私を見た。
そのうちの一人が、味方の兵士を突破してこちらに迫る。
「嫌ーっ!」
私はとっさに麝香の原液の入った瓶を投げた……が、勢い良く飛んだ瓶は兵士に当たらず、奥にいたミラルドの額に直撃して割れた。
彼の悲鳴が聞こえてくるが、こちらはそれどころではない。
敵兵に捕まるわけにはいかないのだ。
倉庫の奥へと走る私を追う敵兵。
味方は手一杯でこちらへ来られない。
(これは、自分でなんとかするしかなさそう)
運良くバスソルトの完成品が置いてあったので、中身を掴んで敵に投げる。
「これでもくらえ!」
「うわああっ!」
目の中に塩が入った敵は、真っ赤な目に涙を浮かべながらも襲いかかってくる。
だが、その動きは鈍い。
「お祖父様直伝、護身術!」
私は襲いかかって来た敵兵の腕を引き寄せると、その小指を反対方向へとつかんで折り曲げた。
「痛い! 痛だだだだだだ!」
かなり地味だし力も要らないが、この小指攻撃は本当に痛い。
そのまま悶える敵の頭をつかんで、近くの棚の角に叩きつけてみた。
最初に投げた塩が効いたのか、敵の動きは鈍く倒し易い。
(よし、気絶したね)
「こ、このっ……!」
それを見たミラルドは、怒りをあらわにして私の方へ走って来る。
麝香の原液を浴びたせいで、かなり獣臭い。
「くそっ、倉庫内の物を持ち帰るのはやめだ。こうなったら、お前だけでも連れて帰る……!」
当初の彼の目的は倉庫内の原料だったようだ。
アスタール伯爵領に石鹸やバスソルトの技術を持ち帰りたかったのだろう。
ミラルドが私を攫うのは、リカルドの目的を邪魔するためでもあるし、私から製品情報を聞き出すためだと思われる。
きっと、彼はそれを自分の手柄にする気だ。
(そんなこと、させない!)
でも、少し問題がある。
先ほどの敵兵とは違い、ミラルドは抜き身の剣を手にしていた。
今までの相手は、こちらが令嬢ということもあり、侮って素手で襲いかかってきたので対抗できたが……
(剣相手だと、下手をしたら死んでしまうんじゃない?)
私が祖父から学んでいるのは、普段役立つことの多い護身術で、どちらかというと格闘術寄りのものだ。
剣術も一応学んでいるが、普通の令嬢が帯剣する機会はほとんどないということもあり、訓練は後回しになっている。
木剣を使っての打ち合いならしたことがあるが、本物の剣は扱ったことがない。
(……こんな状況になるなんて、予想できないし!)
「ブリトニー嬢、抵抗しないならこちらも剣を下ろそう。だが、そうでなければ、どうなるかわからないぞ?」
迫り来るミラルドに向けて、思わず私は心の中で叫んだ。
(捕獲するんじゃなかったの? 私を殺す気ー!?)
一体、何がしたいんだ!?












