85:良い知らせ、悪い知らせ
「……というわけで、お兄様は領地に戻ってしまったの」
リュゼがハークス伯爵領に発った数日後、私は東の庭を抜けた先で壁にもたれながらリカルドと話し込んでいた。
少し離れた場所では、この日も城の騎士たちがブートキャンプをしている。
初夏の暑さに苦しみながらも、彼らは頑張って鍛錬をしていた。どういうわけか、私は騎士たちに顔を覚えられている……なんで、同志を見るような目で微笑みかけてくるの!?
「そうか、リュゼは強いが……心配だな」
「うん」
従兄本人は大丈夫だと言っていたが、危険が伴う仕事なので心配ではある。
「ブリトニー、こんな時に話すのは不謹慎なのだが……その、アスタール伯爵領の跡を継ぐ件、なんとかうまく行きそうだ。父は次期伯爵に俺を指名してくれた」
「え、本当?」
「ああ。そのことで両親揃って俺に話があるらしく、今王都に向かっている。兄は留守番だ」
「そっかぁ……リュゼお兄様が無事に戻って来たら、そのことも話したいね」
「そうだな。婚約を許してもらえるよう、俺も頑張る」
リカルドがおずおずと手を差し伸べて来たので、私はそっと彼の手を取った。
しかし、いい雰囲気のところで背後から声がかかる。
「リカルド……あなた、前々からブリトニー嬢と仲が良いとは思っていましたが。彼女とそういう関係だったのですね」
「……!?」
ニマニマと微笑みながら黒い瞳で私たちを見つめているのは、北の国の第五王子であるルーカス・リア・ホスヒーロである。
「……ルーカス。わかっているのなら、少しは遠慮しろよ」
まだ、そういう関係というわけではないけれど。二人の間柄を肯定するリカルドに対し、私はドキドキしてしまった。
「そうしたいのは山々ですが、急ぎお知らせした方が良い話がありましたので。キスが終わるまで待てなくてすみませんね」
「なっ、キ、キスなんて、婚約前なのにするわけないだろう!」
「おや、そうですか?」
「あ、当たり前だ!」
リカルドの顔は、ゆでダコのように赤く染まっている。
(前に、抱きしめられたことはあったけれど……)
そのあたりをきちんと考慮してくれる彼は、とても紳士だ。
「えー。さっさと二人の関係を公にして、無理やり婚約にこぎつけてしまえば楽なのに」
「ルーカス、なんてことを……!」
「だって、人前でキスさえしてしまえば、ブリトニー嬢を嫁にもらいたいという相手はいなくなりますし、自動的にあなたの元に……」
そして、この王子は見た目に寄らずぶっ飛んでいた。
大きくため息を吐いたリカルドは、話題を変える。
「で、急ぎの話とはなんだ?」
「ブリトニー嬢に伝えたいことがありまして……実は、ハークス伯爵領で少々問題が起きているようです」
弾かれたように、リカルドが顔を上げる。
彼と同様に私もルーカスの方を見た。
「僕の祖国――北の国との国境沿いに出た野盗を退治しに、ハークス伯爵が領地へ戻りましたが、予想外に苦戦を強いられているのだそうです」
「……ルーカス様は、どこからその情報を?」
「これでも一応王族なので、各地に部下を送っています。僕としましては、北の国とこの国が戦を起こす事態は避けたいですので。今現在も、かなり気まずい思いをしていますし」
「そういえば、リュゼお兄様も、ルーカス様が様子を探ってくれていると言っていましたね」
友好の象徴としてこの国に留学しているルーカスからすれば、今回の件は「何を余計な真似をしてくれているんだ!」と憤慨したくなる事態だろう。
「というわけで、今回の件で僕はこちらの国の味方です。わかっている範囲のことをお伝えしますね。このことは、まだマーロウ王太子にしか伝えていません」
私とリカルドは、黙って頷く。
「まず、今回の件の首謀者はおそらく僕の姉の一人です。ちょっと夢見がちで頭が可哀想な人なんですが、ハークス伯爵領の商品が魅力的に思えたらしく、手出ししたくなったみたいですね。彼女はもともと野心家で、前から南下したいという野心を抱いていました。一方、僕の両親は様子を窺っています。姉の計画がうまくいけば乗り、失敗すれば切り捨てるつもりでしょう……」
「放任主義すぎませんか?」
「ブリトニー嬢の言いたいことはわかりますよ。僕からは、申し訳ないとしか言えません。話を戻しますが、姉の配下の野盗は北との国境沿いに現れているはずでした。当然、ハークス伯爵もそれを前提に動いています」
「ええ、そうですね」
「しかし、なぜか領地の南側も野盗被害が出ているそうです。西の海岸沿いも……」
「どういうこと? 南に西って……」
ここを出て行く前、リュゼは「内通者」を疑っていた。
(お兄様の予想が当たったの? 一体誰が?)
とはいえ、従兄なら、なんとかできるだろうとも思っている。
ここから領地までは、休まず馬を飛ばして一日半といったところだ。
「リュゼお兄様が領地に着きさえすれば、十分解決できるのでは?」
「まあ、そうですね。実際、ハークス伯爵は上手く指示を出して対応していました……昨日までは」
整った顔を曇らせたルーカスは、不吉なことを口走った。












