77:王都では例の香水が猛威をふるっていた
リカルドを見送り、私は部屋へと戻った。
(なんだか、まだ心臓がドキドキ言ってる)
とにかく、気がかりだったリカルドに会えてよかった。
あれだけのことをしたというのに、こちらの勝手な行動を怒ってもいないみたいだし、これからも仲良くできそうである。
屋敷から連れて来たメイドのマリアに菓子類を封印してもらった私は、二ヶ月後のお茶会を目指し、ひたすらダイエットに取り組む。
部屋の中でも筋トレだ。
「そういえば、ブリトニー様。新製品のまつ毛の件、王女殿下にもお知らせした方が良いかと思いますが」
「そうだね。完成したら知らせて欲しいと言われていたし」
マリアが言っている製品とは、前世風に言うと「まつ毛エクステ」と「付けまつ毛」である。
一年前に私が付けて実験していたところ、アンジェラの興味を引いてしまった。
まつ毛エクステの装着は、残念ながら不器用な私にできないが、マリアが技術を取得してくれた。
技術者を育てるためのマニュアルも完璧に用意している。
「ところで、ブリトニー様。城の中を歩いて、気になったことがあるのです」
「どうしたの?」
「その、たまに見かける貴族の女性たちが……なんというか、とても臭いのです」
「えっ……?」
「山奥にいる獣そのもののような。いいえ、それを凝縮したような強烈な匂いの方が、そこかしこにいるのです」
「まさか……!」
私の頭の中を、王都で流行していた香水店がよぎった。
(こんなところにまで、被害が及んでいるなんて!)
リカルドが危惧していたことが現実になりそうだ。
舞踏会が悪臭の会になる日が来るかもしれない。
(ハークス伯爵領の、きつくない香りの香水が流行ってくれればいいけど)
私は、リュゼと一緒に販促活動を頑張ろうと心に決めた。
そんなことを考えていると、部屋の扉がノックされる。
性急な叩き方に、マリアが首を傾げつつ外を確認してくれた。
「ブリトニー! ごめん、匿って!」
扉が開くと同時に駆け込んできたのは、従兄のリュゼだった。
珍しく、彼の髪や服が乱れている。
「お兄様、どうしたのですか?」
「城内ですれ違ったご令嬢たちに追いかけられて、露骨に縁談を迫られて……ちょっと身の危険を感じているんだ」
「……縁談って」
「僕が独身で、ハークス伯爵を継いだからだろうね。王都に住む令嬢や、その両親が僕の部屋になだれ込んできて」
よほど凄まじい目に遭ってきたのか、リュゼの顔色が悪い。
王都の令嬢は、とてつもなく積極的でたくましいようだ。
思わず笑いそうになるが、従兄を見るとかなり憔悴している。
私はリュゼを長椅子へ案内し、マリアに頼んでお茶を用意してもらった。
従兄の隣に座って、彼をねぎらう。
「リュゼお兄様、お疲れのご様子ですね」
「度重なる襲撃と、臭いにやられたせいかな」
「臭い?」
「前にブリトニーが改良していた、あの獣臭い香水だよ。押しかけてきたご令嬢や、その母親が皆その香りをまとっていて……あの部屋は、換気しないと使えないだろうな」
力なく笑うリュゼは、なんだか体調も悪そうに見える。
「お兄様、どこか具合が悪いのではないですか? 本当に、香水だけでそんなことになりますか?」
「ふふ、心配いらないよ。少し休ませてもらったら、部屋に戻るから」
「そういうことを言っているのではなくて、本当に体が辛いんじゃ……」
「だから、なんともな……」
ティーカップを置いてそう言いかけた従兄の体が、不意に私の方へ傾ぐ。
「お、お兄様!?」
どさりと私の方へ倒れこんできた従兄は、苦しげに呼吸している。
(これ、相当ヤバイ状態じゃない?)
私は、彼をずるずると引きずって自分のベッドの上に乗せた。
まだ意識のあるリュゼは、「平気だから」と言って抵抗したが、全然体に力が入らない彼なんて私の敵ではない。
無理やり布団をかけて強制的に休ませる。
「なにが平気なのですか、お兄様? 虚勢を張るのもほどほどにしてくださいよ」
しばらくして、マリアが呼んできた医者が来て診察したところ、原因は「過度の疲労」とのこと。
今までに積もり積もった無理が、とうとう体に現れたらしい。
(伯爵になってからのお兄様は、かなり忙しそうだった。相当我慢をしていたのかな?)
リュゼはまだ、隙あらばベッドを抜け出そうとしている。
人に弱みを見せるのが嫌なようだ。
私とマリアは厳戒態勢で彼を監視した。
従兄は他人に弱みを見せたことがない。
彼の両親がやらかした時は動揺していたが……それでも、あっさりとしたものだった。
けれど、本当にそれが従兄の本心だったかといえばわからない。
(伯爵になってからも、愚痴なんて一言も聞いたことがないんだよね)
完璧な従兄のことだからと、特に気にかけなかったが、よく考えると彼は恐ろしいほどに多忙だ。
周囲に見せていないだけで、相当参っているのではないだろうか。
「お兄様、今日はゆっくり休んでください」
「ブリトニーは大袈裟なんだよ。そろそろ、ご令嬢たちも諦めただろうし、僕は部屋に……」
「ダメです! 体調が戻るまで、無理はさせませんから」
私は、彼が寝ているベッドの前で仁王立ちした。












