70:我儘王女の本音
「とにかく、アンジェラのやることなすことに、いちいち構っている暇はない。私は……」
「マーロウ様、あなたは王女殿下のたった一人のお兄様でしょう?」
私がそう言うと、王太子は困ったように目をそらす。
「そうは言ってもだな」
「確かに、彼女は攻撃的な性格で周囲から遠巻きにされているようですし、やっていることも常識に反することです。けれど、身内であるマーロウ様が見捨ててしまえば、王女殿下は本当に一人になってしまいます」
「私に、また妹を諌めろと?」
「王女殿下に注意できるのは、国王陛下とマーロウ様だけですよ。親身になって彼女の話を聞いてあげられるのも……おそらく」
メイドや他の貴族に、プライドの高い王女は弱みを見せないはずだ。
先ほども体調が悪かったというのに、私の前で完璧にそれを隠し通していた。
「リュゼお兄様からお聞きになったことがあるかもしれませんが、王女殿下は昔の私とよく似ているのです。もちろん、体型の話ではありませんよ?」
以前のブリトニーの自信のなさや、様々なストレスからくる我儘な行動は、程度こそ違えどアンジェラと同じである。
過去に、誰か一人でもブリトニーと向き合い、真剣に叱ってくれたのなら……きっと、白豚令嬢は違う人生を歩んでいた。
ブリトニーは、傍若無人に振る舞いつつも、ずっと苦しんでいたのだ。
……白豚令嬢に苦しめられていた人間も多いけど。
「確かに、学生時代、リュゼの話の中にブリトニーのことも出てきていた。だから、初対面で君と話をした時、想像していた人物との違いに驚いたのだ。アンジェラの話し相手の件も、元はと言えば、リュゼの従妹なら気が合うのではと思ってのことだった」
マーロウ王太子の見立ては、だいたい合っている。
少女漫画の中で、ブリトニーはアンジェラの良き子分だった。
「そんな私も、今では、ある程度立ち直ることができました。けれど、時々思います。もっと早くに自分を諌めてくれる人間がいればと。ただの甘えなのですが」
「ブリトニー……」
「こういうことって、なかなか自分からは言い出せないです。特に、周囲に味方のいない人間ならなおさら」
私には、祖父やリュゼがいた。
間違った溺愛で孫をダメにした祖父に、白豚を見限り義務感だけで接してきた従兄だが……それでも、誰もいないよりはマシだった。
この二人がブリトニーの行動を止めることはなかったが、味方として精神的な支えになっていたことは事実である。
けれど、アンジェラの周囲には、そんな人物すらいない。
仕事で王女に接している者と、遠く離れたところで彼女を侮蔑している者しか存在しないのだ。
その孤独は、どれほどのものだろうか。
極端な話、アンジェラは自身の寂しさを埋めるために、外見に異常なほど執着しているのだと思う。
(外見が良くなれば、マーロウ様と同様に注目してもらえると考えているのかもね……)
それが、却って身内の反感を買っているのだが。
アンジェラの外見に対する熱意はすごい。
「王女殿下は、まだ十五歳です。あの性格ですから、とてもしっかりしているように見えますが……かなり気を張り詰めているのではないかと思います。できれば、もう少しだけ優しくしてあげることはできないですか?」
しばらく黙りこんでいたが、マーロウ王太子はゆっくりと私を見て言った。
「……わかった、ブリトニーがそう言うのなら、やれるだけやってみよう」
「ありがとうございます」
「だが、やはり、私は自信がない。申し訳ないが、アンジェラの元へ同行してもらえないだろうか?」
「いや、ダメですってば! 王女殿下は、私なんかに弱っている姿を見せたくないと思うんです!」
「そう言わずに! 何かあったときは、私が責任を取るから!」
「何かあってからじゃ、遅くないですか!?」
言い訳する私を、マーロウ王太子はズルズルとアンジェラの寝室へ引き込んだ。
※
アンジェラの寝室は、白と黒で統一されていた客室とは全く違う雰囲気が漂っていた。
(というか、全部ピンク!)
彼女の寝室に足を踏み入れた私と王太子は、少し動揺する。
メイドくらいしか立ち入る者がいないせいだろうか、王女の部屋はフリフリヒラヒラのレースが溢れる桃色の空間だった!
棚の上には、ファンシーなぬいぐるみが置かれており、天蓋付きの猫足ベッドのカーテンにはリボンがそこかしこにあしらわれている。
「これはすごいな……」
「マーロウ様、ドン引きしている場合ではありません。王女殿下に声をかけてあげてください」
「ああ、そうだな」
所在無さげにベッドの脇に佇む彼は、苦しそうな表情の妹をそっと見下ろした。
「お兄様……?」
「アンジェラ」
体調が悪く余裕のないアンジェラは、マーロウ王太子と共に入室した私に気がついていない。
私はベッドから少し離れた場所に待機した。
助けを求めるようにこちらを向く王太子に、ジェスチャーでアンジェラを気遣う言葉をかけるように指示を出す。
「だ、大丈夫か、アンジェラ」
「一体何の用ですの、お兄様? 私、今はあなたに構っている余裕がありませんの。見ておわかりにならないかしら?」
「…………」
王太子は、無言でこちらを振り返った。
半眼になった彼をジェスチャーで慌ててなだめる。
(マーロウ様、抑えてー! 相手は病人です!)
今まで、ほとんど交流がなかったので、アンジェラの反応は仕方がない部分もある。
マーロウ王太子には気の毒だが、ある程度の根気が必要になるだろう。
「熱を出した妹が心配で様子を見にきたというのは、用事のうちに入らないのか?」
「今まで、私に何があろうが我関せずだったお兄様が、急に何を言い出すのです? 悪いことを企んでいらっしゃるのですか」
「どうしてそうなる? 企み事が得意なのは、アンジェラの方だろう」
「えっ……で、でしたら、お兄様は、本当に、その、私を心配して来られたというのですか?」
「だから、そうだと言っている。具合が悪いと言うのに、どうして昨日からパーティーに出たり、無茶な真似をしたんだ?」
「それは……ブリトニーを探していたんですの。今回、二年ぶりにこちらへ来ると聞いたものですから」
(ええっ、私のせいー?)
まさか、こちらに矛先が向くとは思わなかった。
「そ、そんなに、彼女に会いたかったのか?」
「そうですわ。私に正しい意見をくれるのはブリトニーだけなのです。あの娘は、私の美に足りない部分を的確に補ってくれるのですわ」
「お前は、またそんなことを言って……外見に一体いくら金をつぎ込む気なのだ」
ため息をつく兄に向かって、アンジェラは言い返す。
普段なら兄妹の会話などしないのだろうが、熱に浮かされている今、アンジェラは深く考えることができず饒舌になっているようだ。
「お兄様には関係ありませんわ。あなたには、私の気持ちなんてわからないのですから。生まれながらに美しく、他人から注目される。そんなお兄様と一緒にいるだけで、私は周囲から言われるのよ……『王や王太子に似ていない、平凡で地味な妹姫』って。勉強だって、仕事だって……凡人の能力しかない私は、お兄様に敵わない。私みたいなパッとしない人間が他人に評価されるには、お兄様以上の実力をつけるしかないのに……っ! それすらも叶わない!」
マーロウ王太子が慌てている。アンジェラが泣き出したのだ。
「だからっ、私はっ、少しでも美しくなるしかないのです。『地味で平凡だ』と、周囲から舐められないために。お兄様と比べられ、惨めな思いをしないために。陰で馬鹿にしてくることのない、信頼できる人間に出会うために」
「アンジェラ? それは、事実なのか?」
「…………」
「どうした、アンジェラ?」
「…………」
なおも話しかけようとする兄に対し、妹の返事はない。
言いたいことだけ言うと、アンジェラは勝手に眠りに落ちたようだった。












