45:白豚タックルは強力だった
横たわった床が、ミシミシと嫌な音を立てて軋んでいる。
私が太いからというわけではなく、もともと古い建物だからだろう。きっとそうだ!
六十キロを切った私の体重は、小柄な十三歳の少女にしては重いものの、大人の男性よりは軽い。
目標体重まで、あともうひと頑張り……というところまで来ているのだ。
「ブリトニー、こっちへ来い」
いつのまにか、自由の身になったリカルドが、すぐ近くに立っていた。
「リカルド、どうやって縄を解いたの?」
「あそこの柱に尖っている部分があって、そこに擦り付けて切った」
見ると、部屋の隅にある古い柱から、尖った釘が何本も飛び出ている。
手抜き工事という言葉が、私の頭をよぎった。
「よし、私も縄を切ってくるわ」
よろよろと立ち上がり、動きだそうとしたその時、不意に誰かの足音が近くで聞こえた。
「まずい、誘拐犯が上って来たぞ」
焦ったリカルドが小声で叫ぶ。
「リカルド、私の後ろに隠れて!」
両手足が使えない状態で、部屋の隅にリカルドを突き飛ばした私は、彼の手前に座り込んだ。
同時に床の一部が開き、そこから敵の男が顔を出す。
床の穴は、三、四人が余裕で通れる広さで大きいが、ここへ来たのは一人だけらしい。
「大人しくしているようだな。今、他の奴らが金を回収しに行っている……心配しなくても、すぐ解放してもらえるぜ?」
体の表面積の広さのおかげで、リカルドは見事に私の陰に隠れていた。
敵は、彼が拘束を解いていることに気づいていない。
私は、か弱い伯爵令嬢を演じてみる。
「知らない男の人が、たくさんいて怖いわ。今、この建物内にいるのは、あなただけなの?」
「頭の悪いお嬢ちゃんだな。だから、他の奴らは、全員金の回収に行ったと……」
「ふぅん?」
ニヤリと笑い立ち上がった私は、ゆっくりと男に近づいて行った。
良いことを思いついたのだ。
敵は、縄で両手足を縛られたまま、ドスンドスンとジャンプして進む白豚令嬢に困惑している。
……床、抜けないよね?
「おい、ブリトニー? 何をする気だ?」
後ろにいたリカルドが、慌てて立ち上がった。
「リカルド、危ないからそこで待っていて。すぐに、ここから逃げ出せるようにしておいてね」
「おい、お前、縄は……?」
男が、リカルドの拘束が解けていることに気づいたようだ。
しかし、皆まで言わせない!
チャンスは今しかないのだから……!
「おりゃあっ!」
私は敵にタックルし、一緒に床の穴から階下へ飛び降りた。
ものすごい音と共に、体が階段に打ち付けられて下まで落ちる……男を下敷きにして。
「ぐあっ!」
一声鳴いた男は、思ったよりも大きなダメージを受けたようだ。
敵の中でも、戦闘能力に秀でていない人間だったのだろう。
下への激突と、上に落ちた私の重さのせいで全身が痛み、身動き出来ない様子である。
男を突き飛ばした隙に、リカルドだけでも逃がそうと思ったが……敵が動けなくなるとは、運が良かった。
(白豚令嬢でよかったー! いや、喜んじゃダメだけれど……!)
か弱く、吹けば飛ぶような令嬢だと、なんの重りにもならない。
私は、生まれて初めて自分の体重に感謝した。
「ブリトニー!」
リカルドが、慌てて降りてくる。
彼は、机の上に置かれていた果物用ナイフを手にし、私の縄を切ってくれた。
それを使って、敵の男の手足を縛り上げる。
「ありがとう、リカルド」
「いや、俺も助かったから感謝している。けどな……」
私の両頬に手を置いた彼は、宝石のように澄んだ緑色の瞳でじっとこちらを見つめた。
「あんな無茶はするものじゃない。両手足の自由がない状態で階下に飛び降りるなんて、一歩間違えると大怪我をするところだったんだぞ」
「……うん、ごめん。勝算はあったし、タイミングは見計らったんだけど」
リカルドの言っていることは、至極真っ当だった。
タイミングがずれたり、男が抵抗して体勢が崩れれば、自分も床に打ち付けられ、下手をすれば骨折していたかもしれない。
それに、運悪く男が無傷の場合、逆上させてしまう恐れもあった。伯父と伯母は「無傷で捕えること」と命令していたみたいだけれど。
「心臓に悪い……無理をして、俺だけでも逃がそうとしたんだろう。そんなことをしても、俺はお前を置いて行く選択はしなかったぞ」
彼は、心底私を心配しているという表情で、こちらの顔を覗き込んでくる。
どこまでも真面目でまっすぐな人物だ。
(……今の体勢も、心臓に悪いと思うけどな)
年頃の令嬢なら、きっとコロリとリカルドに惚れただろう。
少し成長した彼は、私でも戸惑うくらい誠実な良い少年に育っているのだから。












