255:庭師の王子様(ノーラ視点)
アスタール領にいるブリトニーから、グレイニア領にある我が家へ結婚式の招待状が届いた。
私ーーノーラは事務仕事中の手を止めて、喜ばしい知らせに目を通す。
(ついに、ブリトニーが結婚式を挙げるのね)
ずっとリカルドを想い続けていたブリトニー。
紆余曲折あったけれど、望んだ相手と夫婦になれるなんて素敵だと思う。
(アンジェラ様もエミーリャ様と結婚したし、おめでたい話題が続くわね)
友人たちが幸せになるのは、単純に嬉しい。
「それに比べて私ときたら。こんな場所で毎日毎日、ひたすら書類に目を通して……まったく何をやっているのかしら。ああ~っ、結婚したいっ!」
またネガティブな考えが頭をよぎる。
「はあ……」
サインした書類をまとめていると、横からぬっと腕が伸びてくる。
「運んでおきます」
「ええ、ありが……と? ……っ!?」
ふと我に返り、ぎょっとして腕の主を見る。
立っていたのは、機嫌の良さそうなルーカスだった。
「ちょっとルーク。なんで自称庭師がここにいるのよ」
すっかり、北の王子様の「ルーク」呼びにも慣れた私である。彼が嫌がるので、敬語もいつの間にか使わなくなってしまった。
「今どきの庭師は書類仕事の手伝いもするんですよ? ご存じないのですか?」
まるでこちらの情報が遅れているとでも言いたげな顔でへらりと嘘を吐く。
「そんな嘘には騙されないわ。手伝おうとしてくれるのはありがたいけど、それが機密書類だったらどうするつもり?」
「どうもしませんよ。あなたのお父上の件が発覚して、諸々洗われた後なのだし、今さら大した秘密なんてないでしょ?」
「うう……」
実際、彼の言うとおりである。
全部ではないものの、我がグレイニア領の情報は、がっつり国に握られている。
私は弟が成長するまでの代理の領主だけれど、実際の運営に当たって国からあれこれ口を出されている状態だ。
(まあ、ルーカス様たちが来てくれて、助かっている部分もあるのだけれど……)
ため息をついていると、ゴンゴンと乱暴に部屋の扉がノックされ、入室を許可していないのに年配の男性がズカズカと部屋に入ってきた。
「はぁ……」
ため息が深くなる。
彼は父の代からの部下だが、未だ新領主である私を軽んじているのだ。
とはいえ、人手不足のため、できれば切りたくない……。
最近、自称きれい好きのルーカスが、屋敷の大掃除を提案し続けているので不穏である。
前に植木鉢を落としてきた犯人は適切に処罰できたけれど、ルーカスは最後まで消す気満々だったし。
(この場で余計なことを言い出さなければいいけど)
不安を感じながら、私は「何か用かしら?」と、部下のほうを向いた。
「はっ、仕事をしているのかと思えば、庭師の愛人と逢瀬中でしたか。いいご身分ですな」
「……」
ゲスの勘ぐり、ここに極まれり。
(明らかに仕事の最中だと、見てわかるでしょうに)
腹は立つが、隣のルーカスから漂ってくる、不穏なオーラのほうが怖い。
「おい庭師。ここはお前ごときが入っていい場所ではないぞ! お前は地面に這いつくばって草むしりでもしていろ」
部下の男性は、ルーカスに対して横柄な態度で怒鳴る。
(やめて! 命が惜しいなら今すぐ黙って……!!)
私は心の中で叫んだ。
知らないとはいえ、彼が罵っている相手は他国の王子だ。
それも、ヤバい国のヤバい倫理観を持った、人間のお掃除が大好きな王子様である。
(もう駄目。これ以上は庇えないかもしれない)
お願いだから、不用意にルーカスを刺激しないでほしい。
国王の管理下にあるとはいえ、ルーカスは辺境のうるさい男を一人消すくらい、簡単にできてしまう。
「ノーラ嬢、僕、雑草が抜きたくてたまらなくなってきました。抜いて、埋めて、肥料にしましょう」
「ひっ……」
詳細を聞かなくてもわかる。雑草、イコール、目の前の部下である。
(逃げてぇ~! 今すぐ回れ右をして、この部屋から出て行ってぇ~!)
私は心の中で部下に祈った。
うちの庭に知り合いの死体を埋めるなんて、勘弁してくれと言いたい。
「いいね。僕も草抜きに賛成!」
また部屋に新たな人物が入ってきた。
現れたのは次期領主予定の、我が弟である。
「……っ!? ちょっと、あなたまでなんてことを言うの?」
「この屋敷には雑草が生えすぎているよ。お姉様は優しい判断ばかりしているけど、奴らが種を飛ばす前に引っこ抜くべきだ。心配しなくても、代わりに植える花は、ルークお兄様が用意してくれるってさ」
危険人物が二人に増えた。どうも弟はルーカスを崇拝しているきらいがある。いつの間にか「お兄様」と呼んで懐いているし。
「ルーク、あなた……うちの領地を乗っ取る気でもあるの?」
「とんでもない。ノーラ嬢が困るような真似はしません。僕はあくまであなたの役に立ちたいのです。弟君の仰るとおり、雑草の代わりに植える花もご用意しますよ。王都産ではなく、この領地から選別して差し上げます。なんといっても、僕は優秀な庭師ですからね!」
自信満々に言い切るルーカス。
もはや、庭師の定義から、疑わなければならない。
「さすがです、ルークお兄様! これからも一緒にノーラお姉様を支えていきましょう!」
「ええ、もちろんです。僕もずっとこの領地に居座る気でいますからね。ここは楽しいし、居心地が素晴らしい」
「ルークお兄様が、本当のお兄様になってくださればいいのに」
「ご期待に添えるよう、努力します」
私と部下を置いてけぼりにし、二人の会話は、どんどんトンチンカンな方向へ進んでいく。
血圧の高そうな部下は自分がないがしろにされているのを察し、顔を真っ赤にさせていた。
「ふざけないでいただきたい! 庭師ごときがノーラ様の夫になるなどっ! ノーラ様の夫には我が息子を……ゴフッ!」
つばを飛ばしながら大声で喋っていた部下の顔に何かが命中した。
私の机にあったはずの、ペーパーウエイトがなくなっている。
「……失礼。手が滑りました」
犯人は言わずもがな、ルーカスである。
手が滑って当たっただけでは、ペーパーウエイトはあんなに飛ばない。
激高した部下は顔を押さえながら吠えた。
「こっ、このっ!」
「ノーラ嬢、彼の息子は止めたほうがいいですよ。散財癖があって、父親に似て横柄で……頭も悪く、マザコンです。とんでもない不良物件ですよ」
「なんで、あなたがそんなことを知っているのよ」
「グレイニア領主家の庭師として、あなたの婚約者候補の一覧は全部頭に入っています」
庭師とは……謎に満ちた職業のようだ。
息子の悪口を言われ、部下の男はさらに顔を真っ赤にしている。
「無礼者っ! 庭師風情が調子に乗りおって、今すぐ引っ立てて……グハッ!」
今度は彼の後頭部に何かが当たった。
棚の上に置いていたはずの、小ぶりの一輪挿しが消えている。
今度の犯人は……あろうことか弟だった。
「ルークお兄様に失礼なことを言わないで! お姉様が優しいからって、調子に乗りすぎだよ! もうっ!」
憤慨しながら、弟は可愛く訴える。
だが、部下は後頭部の衝撃のせいで、すでに床に倒れて気を失っていた。
たぶん、何も聞こえていない。
「お姉様は、ルークお兄様と結婚するの。わかった?」
「そうですよ、ノーラ嬢には僕がつばをつけてあるんですから。肥料風情が彼女の人生を決めるなんておこがましいにもほどがあります」
薄く微笑みながら部下の男を見下すルーカスの表情は、完全に暴君王子のそれだった。
なんというか、本物の凄みがある……ではなくて。
「ちょっとルーク。なんで私とあなたが結婚する流れになっているの?」
「なんでって……僕があなたを気に入っているからに決まっているでしょう? じゃないと王の命令でも、わざわざこんな僻地に出向いたりしませんよ。面倒くさい」
「……僻地で悪かったわね。それに、この手の話題で私を揶揄うなんて意地悪だわ」
「揶揄ってなんかいません」
ルーカスは真顔で反論した。
「嘘よ! 誰も私なんかを好きになるはずない。こんな不美人で卑屈で、背も高くてガリガリで、僻地在住で貧乏な、王家に目をつけられたヤバい領地の女領主なんて」
「僕は好きですよ」
「は? えっ?」
予想外にまっすぐな不意打ちに、間抜けな声が出てしまう。
「ですから、僕はノーラ嬢が好きです。あなたの望むような心優しく誠実で若くてイケメンの貴族……ではありませんが、ノーラ嬢、僕の伴侶になってはくださいませんか?」
彼は正気なのだろうか。
正直、ルーカスは心優しくも誠実でも貴族でもないけれど、若くて友情に厚いイケメンではある。でも、私にとって彼は高嶺の花もいいところだ。
素敵な友人ではあるけれど、結婚は互いの立場的にも無理だと思う。だからこそ、そっち方面については考えないようにしてきた。
「冗談……」
「ではないです、本気です」
「でも、あなたは北の国の王子だわ。陛下の許可が下りるはずない。それに私が好きだなんて嘘よ」
「現在交渉中ですが、たぶん条件付きで許可は下りますよ。僕のノーラ嬢への気持ちは本物です。これまでは、あなたが気負いすぎないように友人として振る舞ってきましたが、いい加減まったく意識されないのも悲しくなってきました……僕、恋愛ってしたことがないので、自信がないんですよねえ」
自信がないなんて、どの口が言うのやら。
だがここで、思わぬ伏兵が現れた。
「お姉様! ルークお兄様と結婚すべきです! 彼のような優良物件を逃す手はありません!」
近くで一部始終を見ていた弟である。
「え、でも、だって……」
「だってもヘチマもないです! ルークお兄様はお姉様の心強い味方ではありませんか。それに、そろそろ結婚相手を見つけないと、あの雑草親父共の身内を夫に押しつけられてしまいますよ? あいつらはお姉様や僕を排除して、自分たちが実権を握りたがっているんです。雑草共の好きにさせていいのですか!?」
「それは駄目だけど」
「ルークお兄様は、お姉様のことが本当に好きなんですよ。僕はずっと近くで眺めていたから知っています。彼がどんどん外堀を埋めていっているのを……」
「へ? 外堀って?」
ルーカスを見たら、彼は弟に「それは言っちゃ駄目ですよ? 恥ずかしいじゃないですか」などと、笑って話しかけている。
そうして、もう一度私に向き直って告げた。
「要はですね、ノーラ嬢さえ承諾してくだされば、こちらにはあなたと結婚できる準備があるということです。僕と結婚する気になりました?」
「……あなた、もっと情緒とか雰囲気とか考えなさいよ。プロポーズとしては失格もいいところだわ。私じゃなかったら、部屋からたたき出されているわよ」
「すみません」
これがルーカスなりの本気なのだとは思う。
小賢しそうに見えて、彼は意外と不器用だ。特に気を許した相手に対しては。
北の王宮で虐げられて育ったそうだから、自分の気に入った相手にどう接すればいいのかわからないのだろう。
「私、あなたのことは友人として好きよ。ただね、普段から『結婚したい』とか。あれこれ理想を叫んだりもするけど、本当のところ、もう結婚は懲り懲りかなと思っているの。単純に怖いのよ」
見合いで出会ったヴィルレイとの婚約で、私は心に大きな傷を負った。
もしかすると素敵な夫婦になれるかもと、おそるおそる踏み出した一歩は呆気なく崩れ去り、小心者のなけなしの勇気はあのとき砕け散ったのだ。
「だから……」
だが、ルーカスは私の言葉を遮った。
「僕はあなたを傷つけません。以前婚約した家の輩と同列に考えられるのは心外です。ああ、悲しい。悲しすぎてレディエ家の全員を肥料にしたくなってきた。あいつらがいるから、僕が結婚できないんだ」
「ちょ……っ!? どうしてそうなるの!?」
彼はやると言ったらやる男だ。しんみりした気持ちが一瞬で吹き飛んでしまった。
「前々から機会があれば埋めたいとは思っていたんですよね。はー……今朝使っていたシャベル、どこに置きましたっけ」
「裏口の扉に立てかけてありましたよ、お兄様」
「ああ、そうでした。ありがとうございます」
「いえいえ、僕もお手伝いしますよ。堆肥作りは、人数が多いほうがはかどるでしょう? 僕も常々レディエ家は埋めたいと思っていたんです。以前の僕には何もできませんでしたが、今なら……」
危険な二人を見て、私は悟った。
(駄目だわ、ルーカスたちを野放しにしたら死人が出る)
そして、今のところ、彼を確実に止められるのは私だけ。そう、不思議なことにルーカスは私の言葉だけは渋々ながら聞いてくれる。
庭を死体まみれにしないためにも、私が彼を止めなければならない。
「ルーカス」
私が呼びかけると、彼は素直にこちらを向く。
「ええと、あのね……結婚についてはちゃんと考えてみるから、もう少し待ってちょうだい。急だったから、心の準備ができていないの」
ルーカスはしばらく考え、「わかりました」と微笑んだ。
シャベルを取りに行く気はなくなったようなので、ほっとする。
(困ったわね)
一番困るのは、こんな厄介極まりない状況が嫌ではないということだ。
私はすでに、ルーカスにほだされかけている。












