242:侍王子と西の医師について
三人で話していると、コンコンと扉がノックされた。
侍従らしき声が、西の王子グレイソンの来訪を告げる。婚約者のメリルに会いに来たようだ。
彼とも話したいと思っていたので、渡りに船である。
部屋に入ってきたグレイソンは、私を見て僅かに口元を緩めた。
「ブリトニー嬢。いや、もうブリトニー夫人と呼んだ方がよいか。あなたに会えればと考えていたのだ。うちのアクセルがまた迷惑をかけたようで、申し訳ない」
「いえいえ、殿下が自ら謝ることではありません。アクセル様は何か勘違いをされているようで、私にレニ様の代わりが務まると思っておられるのです。話によると、彼は医療の専門職だそうですが、私は門外漢で……」
「ああ、わかっている。あなたの活躍は聞き及んでいるが、レニほど医療に特化したものではない」
「はい。命に関わる分野ですので、うかつに素人が手を出しちゃ駄目だと思います。アクセル様に対しても、お断りのお返事をさせていただいているのですが」
「あれは、聞く耳を持たんな。あやつほどレニの恩恵を受けた者はおらぬから、気持ちはわかるが」
グレイソンは磨き抜かれた端正な美貌を曇らせ、大きくため息を吐いた。「聞く耳を持たない」という部分には、心から同意したい。
「ところで、レニ様という人について、私は医療の専門家ということしか、わからないのです。詳しく知りたいのですが」
「レニは男爵位を持つ侯爵家のお抱え医師で、平民だったがその才能を買われ、妹と一緒にアクセルに拾われた。アクセルの生い立ちは複雑でな。幼くして、傾いた侯爵家の当主に据えられ苦労した。だが、レニのおかげでヴァンベルガー侯爵家は大きな力を得たのだ。もっとも、レニは昨年に亡くなったが」
アクセルがやたらとレニに固執するのは、彼に対する依存心があったからかもしれない。代わりになる人物を必死に探した理由が、なんとなく理解できた。
「あの、レニ様がいなくても、彼の代わりを務められる人はいますよね? 専門職の方々なら、知識を引き継げるのではないでしょうか?」
「それが……そうもいかないのだ。レニは自身の知識を秘匿していて、正確な情報は本人しかわからない。自分の立場を守るため、敢えて隠したのだろうな……あれは、そういうずるいところのある男だった。侯爵家でのレニは、アクセルよりも強い発言権を有していたのだ」
「ちなみに、レニ様はおいくつ?」
セシリアの兄ならば、リュゼくらいの年齢だろうか。
「ふむ、生きていれば三十歳の手前だな」
「思ったより年上ですね」
「妻帯者で、何人か愛人も囲っていた。しかし、彼女たちにも仕事の内容は一切知らせなかったらしい」
「徹底していますね。知識を共有して助手を増やした方が、新しい仕事にも取り組めるしいいと思うのですが」
「私もそう感じるが、レニは生涯助手を持つことがなかった」
同じ転生者だとすれば、文明レベルを変えてしまう事態を懸念し、敢えて情報を広めなかった可能性がある。
(でも、率先して医療を施したみたいだし……グレイソン殿下の言うとおり、立場を守りたい人だった線が濃い。妻の他に愛人が何人もいたなら稼がなきゃいけないし)
何か記録が残っていれば、誰かが引き継ぐこともできただろうに。
考えていると、グレイソン殿下が懐から一冊のノートを取り出す。
「これは、レニの部屋にあった書き置きだ。しかし、暗号が使用され、何が書かれているのか解読できなかった。アクセルと共に、現在読み解いている最中でな」
「部外者に見せても大丈夫ですか?」
「ああ、ブリトニー夫人なら構わん」
「では、拝見します」
ノートを受け取った私は、慎重に暗号を読み解……こうとして固まった。
(こ、これって……日本語じゃないのー!)
しかも、ページに書かれているのは、重要な医療情報などではなく……ただのノロケ日記だった。
妻や愛人とのキャッキャウフフな日々が、やたらと詳しく記されてある。
ペニーがヤキモチを焼いただの、ポプリが色仕掛けをしてきただの……
プライベートな内容を見せられて、どうしたらいいのかわからない。
しかし、中身がわからないグレイソンは、真剣な眼差しでノートを見つめていた。












