220:西の侯爵VS婚約者
翌朝、準備を済ませて宿を出ると、見覚えのある豪奢な馬車が道に停まっていた。
嫌な予感がする。
引きつった顔で方向転換する前に、すっと馬車の扉が開いた。
「おはよう、子豚ちゃん。いい朝だね」
「ぐふぉっ!!」
「今日も君は一段と魅力的だよ。酷いなあ、俺に内緒で王都を出るなんて」
降りてきたのは、青みがかった髪を色っぽくかき上げる、笑顔のアクセルだった。
(あああ、やっぱり。アクセル様の馬車だったか! 一回乗せられたから、覚えているんだよね)
思わず「帰って!」と叫びそうになるのをこらえる。
婚約云々がなければいいのだけれど、婚約破棄の件を母に伝えた今、彼とは関わらないに限る。
「ブリトニー……」
背後から、妙に平坦な声がかかる。
「このチャラチャラした男は、どこの誰だ?」
後ろからの圧を感じる……!
誤解されては大変だと、私は慌ててリカルドにアクセルを紹介する。
「こっ、こちら、手違いで母が私と婚約させようとしていた、西の国の侯爵……アクセル様」
説明の途中で、アクセル本人がグイグイと会話に割り込んでくる。
「はじめましてー、アクセルでーす。子豚ちゃん、様なんてよそよそしいな。アクセルって呼び捨てにしてくれていいんだよ?」
(いいわけあるか!)
背後から、繁忙期のリュゼお兄様を超える殺気が放たれているけれど、まさか、温厚なリカルドのはずがないよね。
ともかく、早くお引き取り願おうと、私はアクセルに返事した。
「いえいえ、呼び捨てなんて恐れ多い。遠慮させていただきますね。それでは、さようなら、お元気で」
「照れ屋さんだなあ。待ちなよ」
「……っ!」
真顔に戻ったアクセルが私を捕まえようと手を伸ばした瞬間、後ろから伸びた腕が私を引き寄せる。
「申し訳ないが、俺とブリトニーは先を急いでおりますので」
リカルドが、強く私を抱きしめながら、アクセルに冷たく告げた。
こんな彼を見るのは、初めてだ。
「へえ、君が噂の、子豚ちゃんの彼氏?」
「婚約者ですが何か?」
「領地も継げない貴族の次男に嫁ぐなんて。子豚ちゃんには、もっといい嫁入り先があると思うよ」
失礼な物言いに、私はハラハラした。
「アクセル様。保護者のハークス伯爵も私も、リカルドとの婚約に賛同しています」
「君を領地から出したくないわけだよね。気持ちはわかるけど」
「ご理解いただけてよかったです。それでは、失礼しますね」
「君の価値を知っていて、失いたくないのだろうなという意味だよ。でも……俺なら君に、もっと活躍の場を与えてあげられる」
的外れな彼の主張を聞いた私は、目が点になった。
「……いや、活躍とか。興味ないんで」
平穏無事に過ごせたら、それでいい。
そもそも、私が過去にあれこれやっていたのは、自らの身を守るためだ。
せっかく処刑を回避できたのだから、これからは自分の好きに生きる!
「…………」
回答がお気に召さなかったのか、アクセルは愕然とした表情を浮かべている。
彼は、何かを勘違いしているようだった。
あいにく、私はそんな前向きでパワフルな人間じゃないのだ。
大切なのは、あくまで自分と周囲の人たちと、ハークス伯爵家が管理する領地や領民。
ご大層な理想など持っていない。
ハークス伯爵領が儲かれば嬉しいけれど、それだけだ。
「だって子豚ちゃん。君、いろいろな製品を生み出して中央の国中に広めたよね?」
「ええと……」
ハークス伯爵領から出されている多くの製品が、私の作ったものだと特定されている。
アクセルが私と婚約したいのは、私が過去の記憶を頼りにいろいろ生み出していると知ったからかもしれない。
メリルの言うとおりだ。
(どういう経路でバレたの?)
確かに最近は自分で営業活動をするなどして、前面に出る機会も多かったけれど。
それでも、私一人で様々な商品を編み出したなんて情報は出していない。
「例えば石鹸。これは、君が領内の衛生環境を憂いて、製作したのでは?」
「……単なる悪臭対策です」
崇高な精神の元に作ったものではない。全部自分のためにしたことだ。
当時のリカルドに汗臭いと指摘され、自分でもそう思ったので前世の記憶を頼りに作った。
ただ、それだけ。
そして、それを偶然発見したリュゼが広めた。要するに、成り行きだ。
(……石鹸に関してはリュゼお兄様の手柄と言ったほうがいいかも)
話が平行線のままで出発できずにいると、もう一台の立派な馬車がやってきた。












