215:白豚令嬢、母と再会する
ムーア公爵家の屋敷に押しかけた私は、母から漂う香水の匂いに耐えていた。
(それ、私が開発した香水だよね。明らかに付けすぎだけど)
だが、私の我慢に気づかない彼女は、開口一番に嫌味を投げかけてくる。
「あらまあ。噂には聞いていたけれど、ずいぶん健康的な体つきですこと。私なんて食が細まる一方で……羨ましいわ。痩せたなんて噂も耳にしたけれど、デマだったようね」
両親に自分への愛など期待していないけれど、やはり母は娘に特別な感情を持ってはいないらしい。
長居するだけ無駄なので、私はさっさと話を切り出した。
「本題に入らせてください。問題を片付けて領地に帰らなければならないので」
「可愛くないのは、見た目だけではないわね。せっかくの親子の再会なのに」
真っ赤な唇を引き結び、不快そうに眉をひそめる母は、凄みのある美人。
(ぜんぜん、私に似ていないよね)
私は早速、婚約の話を彼女に告げる。
母は勝手なことを言っているが、当主のリュゼを通さず婚約を決めるのは不可能だ。
彼女はリュゼを子供だと思って侮っているかもしれないけれど、彼は現在のハークス伯爵なので。
(それにしても変だな)
屋敷の主である公爵が全く顔を見せない。
(アクセル様との婚約は、ムーア公爵家に利益をもたらす縁談。でも、公爵家には男子しかいないから、母と縁のある私が選ばれたんだよね?)
それなのに、挨拶一つないとは、一体どういうことなのだろう。
(顔や人柄を見ておきたいとか、自分の家のために嫁いでくれるから礼を言いたいとか、なんかこう……あるんじゃないの?)
母だけが、こうして私やアクセルに対応している。
アクセルはと言えば、涼しい顔をして、私たちのやり取りを聞いていた。
「私には、既に婚約者がいます。なので、こちらのアクセル様との婚約はできかねます。あと、現伯爵であるリュゼお兄様を通さない縁談話は困ります。それから、私が西の国の侯爵と婚約しているなどと、変な噂が出回っているようですが、軽率な発言は国際問題に発展するので控えてくださいね」
言いたいことを全部羅列すると、憤慨した母が噛みついてくる。
「生意気なこと言わないでちょうだい。あなたなんて、なんの取り柄もないどころか、全てにおいて並の令嬢以下なのだから、黙って私に従えばいいのよ。どうして、こんな良縁を断るの!」
「だから、既に婚約しているんですってば。相手はアスタール家のリカルドです。知らないんですか? ちなみに、国王陛下並びに王太子殿下や王女殿下公認の仲です」
母は、不思議そうに瞬きしている。
いくらなんでも、娘に興味がなさすぎなのでは、というツッコミはさておいて、彼女が婚約話を撤回してくれるのを待つ。
だが、そこで隣から横やりが入った。
「僕が最初に聞いていた話とずいぶん違うなあ、ジェシカさん。娘さんの言う話が真実であれば、あの話はなかったことに」
瞬間、母の顔が青ざめる。
「お待ちになって! 婚約は破棄させますわ! よくある話でしょう? 王太子殿下たちはともかく、私が国王陛下に掛け合いますから! 陛下が納得なされば、きっと周りの意見も変わりますわ!」
ムーア公爵家とアクセルは、何らかの取り引きをしているようだ。
母は何を必死になっているのだろう?
(……それにしても、私への態度と違いすぎない?)
とはいえ、彼女の慌て様は気になる。
「公爵夫人、『あの話』とは、なんのことですか?」
私が質問すると、母は派手な化粧を施した目元をつり上げる。
「あなたには関係のないことよ!」
「……いや、一応、私は婚約騒動の当事者ですけど?」
「お黙りなさい! アスタール家なんて、落ち目じゃないの! さっさと婚約破棄しなさいよ!」
余裕のない彼女は、私に当たるかのように叫び散らした。
感情に振り回される今の母とは、話をするだけ無駄だろう。
「私のことは、今までどおり放っておいてください。血は繋がっていますけど、あなたとはすでに親子ではないので。それでは、私はこれで失礼しますね」
領地までは遠いので、とりあえず王都の幽霊屋敷へ戻る予定だ。
立ち上がると、母がものすごい形相で叫んだ。
「私がわざわざ、お前みたいな醜い容姿の娘の未来を心配してあげているのに! なんで親に逆らうのかしら! どうせ、アスタール家にも捨てられるわよ!!」
もはや、「あなた」から「お前」呼ばわりになっている。
「だから、放っておいてくださいってば。リカルドはそんなことをしません。そうそう、父の近況をご存じですか? 窃盗で捕まって今はハークス伯爵領の牢屋にいるんですよ。一度、会いに行ってあげたらどうです?」
捨て台詞を吐いて屋敷をあとにしたが、一緒に来たアクセルが何を考えているのかまではわからないままだった。












