210:侍王子とチャラ侯爵
「あなたは、どちら様ですか?」
「ごめんごめーん、自己紹介が遅れちゃったね。俺は、アクセル・ヴァンベルガー、西の国の侯爵だよ。君の婚約者と言えばわかる?」
悪い予感が当たってしまい、私は無意識に目を泳がせた。母の用意した婚約者もまた、この催しに参加していたらしい。
西の国の若者が一堂に集う交流会なので、彼が参加していても不思議ではないし、関係者が来るだろうと予想もしていた。いざ本人を前にすると、戸惑う気持ちが勝ってしまう。
母に決められた婚約者ということもそうだが、アクセル自身が、この若さで侯爵をしているということも。
(リュゼお兄様も、あの年で伯爵だけれど。彼と同じくらいの年齢で侯爵なんて、若すぎない!? てっきり、もっとおじさんだと思っていたよ)
けれど、アクセルに伝えるべきことは一つだ。
「あの、お会いできてすぐに大変申し訳ないのですが……私には婚約者がいるのです。母の独断かつ先走りでアクセル様とのお話が出てしまいましたが、私はあなたと婚約できません」
アクセルは明るい空色の瞳を瞬かせ、垂れ目がちな目を私に向けて言った。
「それはつまり、今回取り決められた全ての話を白紙に戻す……ということでいいのかなぁ?」
「はい、ごめんなさい。母が、申し訳ありませんでした。彼女とは血が繋がっていますが、十五年間ほとんど会っていないので、近況が伝わっていなかったようです」
彼は少し考え込む仕草を見せ、困ったように微笑む。
とはいえ、彼自身も私の太った姿を前に、婚約取り消しの話題が出てホッとしていることだろう。
肥満体型の女性との恋愛を避ける男性は多いというし。
「こちらこそごめんね、子豚ちゃん」
「いえ、そんな」
「その婚約取り消し、応じてあげられない」
「……へっ?」
てっきり、簡単に婚約取り消しに応じてくれるかと思いきや、アクセルは黒い笑顔でまさかの断りを入れてきた。
「俺にも事情があるんだよ。それに、君のことは気に入ったし」
そんなことを言われても、困る!!
彼はニコニコと笑みを貼り付けたまま、ゆったりとした動作で私に歩み寄った。
まさか、マーロウと同じ嗜好の持ち主なのだろうか。
「夫人からは『体型と性格に問題ありな娘』と聞いていたけれど。子豚ちゃんは、思ったより賢そうで可愛いよね」
「ぴぎっ」
近づくついでに、首もとに息を吹きかけられ、私は立ったまま凍り付いた。
チャラい……!!
今まで目にしてきた、どの人物とも違う彼を前に、どう対応していいのかわからない。
(なんなの、この変な人は!? そして、母よ! 赤の他人に何を吹き込んだ!?)
「ですが、先ほどもお伝えしたとおり、私には既に婚約した相手がいるんです。王太子殿下も公認ですし、相思相愛の仲なんです」
「つまり、俺の入り込む余地はないと?」
「……はい」
「ならその発言、撤回させてあげるよ。子豚ちゃんは、俺と相思相愛になろう?」
いや、無理ですから……と答えても、全く彼は聞き入れてくれなさそうだ。とんでもないことになってしまった。
困惑しているタイミングで、国際交流会開始の挨拶が始まってしまう。外交関連の職に就いている貴族が、挨拶を終えた後で「メリルと西の王子が入場する」と来場者に告げる。
もう完全に、二人の婚約が決定しているかのような雰囲気である。
メリルはいつも通り、可憐なドレスで美少女ぶりを振りまきながらの登場。対する西の王子は、いぶし銀のような、どこか渋みを感じさせる武士のようなたたずまいだ。
黒く長い髪を頭の高い位置でポニーテールにしている、切れ長で灰色の鋭い目を持つ青年は、もとの世界でいう和服風の衣装を身にまとっている。それも相まって、侍感が醸し出ているのかもしれない。
よく見ると西の貴族たちも、中央の国で多い洋装の中にも、和のテイストをちりばめた衣装を身に付けている。アクセルにしてもそうだ。
(ヴィーカ様の世界観って、一体……)
登場した二人を観察していると、西の王子がメリルの手を取り会場へ向かって歩き出した。それを目にした貴族たちが、蟻のように彼らに群がる。
きらびやかな会場の中、メリルは引きつった笑顔を貼り付けて彼らに対応していた。
「さて、俺たちも行くか」
「えっ、ちょっと?」
強引にアクセルに腕を掴まれた私は、メリルたちの方へ連行される。
ガチガチに緊張していたところに友人の姿を発見したメリル。彼女は、目を潤ませながら私に両手を伸ばす。
「ああ、ブリトニー! 来てくれたのね!」
美少女の破壊力はすごい。周囲の貴族男性たちが頬を染めながら彼女に見とれている。
なぜか、西の王子とアクセルは美少女に反応していないけれど。
「メリル殿下……」
一方的に、ぎゅっと抱きしめられる私を見たアクセルが、満足げに頷きながら言った。
「やっぱり、メリル殿下と一緒に西の国に来るのは、気心の知れた令嬢がいいよね」
驚いて彼の方を向くと、逃がさないとでも言うように手を握られる。
「子豚ちゃんには、メリル殿下の侍女になってもらう予定だよ」
「……勝手に決められても困ります。私には、領地での仕事もありますので」
西の国へ嫁げる令嬢なら、私の他にもいるはずだ。
そう伝えると、アクセルが手を握る力を強めた。
「えー……俺は子豚ちゃんがいいんだよ」
「それは、アクセル様が、子豚体型を好む性癖の持ち主ということですか?」
けれど、質問を聞いたアクセルは笑いながら否定する。
「そうじゃないけど、とにかく俺は子豚ちゃんを諦める気はないからね」
メリルは困惑した目で私とアクセルを見比べる。
「アクセル、それくらいにしておけ。メリル王女の前だぞ」
横から割り入った声は、西の王子のものだ。
王子の横から、メリルが慌てて私を彼に紹介した。
「グレイソン様、こちらは私の友人のブリトニー・ハークスです。ブリトニー、この方は先ほど紹介にあったとおり、西の王子でグレイソン・アシュクロフト様」
メリルの紹介に頷いたグレイソンは、大きな体を私に向け声を上げる。
「ブリトニー嬢、側近が迷惑をかけてすまんな。このようなアクセルは珍しいのだが、よほどそなたのことが気に入ったようだ。とはいえ、無理強いはいかんぞ」
威厳のあるグレイソンの言葉を受け、アクセルはわざとらしく頬を膨らませた。












