199:実らない努力と白豚令嬢の企み
そうして、さらに数日後。ノーラの実家に「北の国が撤退した」との連絡が入った。
かなりの痛手を負ったようで、「すぐに攻め返しては来ないだろう」と言われている。
他領や王都の軍が出るまでもなかった。
ひとまず戦いが終わり、リカルドやノーラの父親が屋敷に帰ってくる。
ハークス伯爵領の兵士たちもゾロゾロと歩いてきた。
「お帰りなさい! リカルド、皆!」
夏に近づきつつあるノーラの実家の前庭で、私は愛する婚約者に飛びつく。
彼の無事がとても嬉しい。
「ブリトニー! 元気そうで安心した」
「リカルドこそ、怪我もないみたいで良かった」
私の渾身の抱きつきを難なく受け止めたリカルドを見て、ハークス伯爵領の兵士たちが「それでこそ、お嬢様の婚約者だ!」と喝采を送っている。
ノーラは「リカルド様って逞しいわよね」と驚いていたが、彼女の好きなリュゼは、その上を行く怪力である。
一同は無事を称え合い、束の間前庭に感動のひとときが訪れた。
だが、穏やかな雰囲気を壊したのは、ノーラの父親だった。
彼はつかつかとノーラに近づくと、断罪するかのように彼女に言い放つ。
「ノーラ!! 今回の件は全部お前の責任だ! 私は、お前を勘当する!」
唐突な宣言を聞いた屋敷の者や、帰ってきた兵士たちの間にざわめきが広がる。
私とリカルドも驚いてノーラの父親を見た。周囲の動揺に気をとめず、彼は私やリカルド、他の者にも主張する。
「レディエ家関連の悪事は、全てノーラがしでかしたことだ。私たち家族には何の関係もない!」
ノーラの弟から話を聞いていたが、あまりにも身勝手な言い分に反論したくなる。「私たち家族」の中に、ノーラは含まれていなかった。
(いくら他領へ嫁いだ身でも、これは酷い)
それに、ノーラの父親は、レディエ家へ鉄を融通していた中心人物だ。
身内になったからと深く考えず取引を開始している。
これまでは慎重に鉱石を輸出していたものの、レディエ家があくどく稼いだ法外な金に目が眩んだようだった。悪事の内容は関知しないところだろうが、少しは疑うべきである。
(嫁ぎ先を失った、これからの娘の身を案じもしないし)
ノーラの父親は今回の事件をノーラのせいにし、彼女の処遇ごと厄介な責任問題を解決する気なのだろう。
つまり、これから先、ノーラを実家に留める気はゼロということだ。
牢屋なり修道院なりに送り込む気満々らしい。
王都から実家へ駆けつけ、私や弟たちと協力し、戦いを終わらせるため奔走していたノーラ。
貧しかった東北の地。幼い頃の、あまり楽しくはない思い出の残る地。
けれど、彼女は、ここの領民のため頑張った。
ノーラは父親の言葉を予期していたようで、下を向いて黙っている。表情までは見えないが、彼女の体は震えていた。ショックを受けているに違いない。
私もまた、同様に震えていた。主に怒りで。
リカルドは黙っているが、気持ちは同じのようだ。険しい表情をしている。
(信じられない。ノーラ父め、あとで覚えていろ……)
今、ここで騒ぎ立てても、戦後処理の邪魔になるだけだ。根本的な解決にならない。
私は、ノーラの処遇改善と、彼女の悪評払拭のための計画を頭の中で練った。
ノーラの父親がやらかした証拠は、後方支援のついでに回収済みである。ぐふふ。
※
北の国に勝利し、諸々の事件が一段落したことで、夜はノーラの家でささやかな宴が開かれた。
明日発つ予定の私やリカルドは、この宴に強制参加である。
とはいえ、忙しいのはリカルドだけで、令嬢の身である私はお気楽なものだ。
北東の地では、女性は話し合いの場に堂々と出たりしない。宴でも、飾り程度の役割しか果たさないようだった。
この地の産業は採掘業などの力仕事が中心。そういう土地柄なので、自然と男性の力が強くなるのだろう。
(ここほどではないにしろ、全体的に保守的な国民性だしね。だからといって、ノーラへの風当たりの強さは許せないけど)
リカルドはノーラの父親に捕まってしまった。長話から逃げられないようだ。
なので、私とノーラは揃って屋敷の外に出た。静かに話せる場所を求め、二人で前庭を歩く。
私たちは、花壇の傍のベンチに並んで腰掛けた。月明かりに照らされた芝生が、夜風を受けてサワサワと音を立てる。
やがて、ノーラがポツリポツリと話し出した。
「私ね、こうなることを、どこかでわかっていたの。お父様が全部の責任を私に押しつけて、家族の縁を切りたがっていること」
私は静かに彼女の話を聞いた。ノーラの弟が教えてくれたことは事実だった。
「国に反逆した家と婚約した令嬢なんて、もう貰い手がいないわ。結婚はまだでも、相手の家にいて結婚秒読み状態だったから……外聞が悪すぎる。都合良く、物好きなイケメン貴族が嫁にもらってくれるなんてことは起きないのよ」
ノーラは恋愛小説が好きだそうだ。物語の中に、そういうシチュエーションがあるらしい。
「大丈夫だよ、ノーラ。私がそんなことさせない! アンジェラ様も味方になってくれるよ。だって、ノーラはレディエ家の悪事を暴いて皆に知らせてくれたんだもの!」
「ありがとう、ブリトニー。あなたがいてくれて良かった。私だけだったら、きっとどこまでも沈んでいたから」
「ごめん。私、今までノーラの家の事情を知らなかった。友達なのに、何もできなくて……」
「私が言っていなかったんだもの。現場を見ていないのに、知らなくて当然だわ」
小さく息をついたノーラは、自分自身について話し始めた。
「私、嫌なことがあっても、我慢して努力を重ねていれば、いつか報われる日が来るって信じてた。でも、そんなの嘘ね。現実は全然違う。我慢と幸せな未来はイコールで結べない」
そっと頷き、彼女の話の続きを待つ。
「幼い頃から、お父様の言うとおりに生きてきたわ。でも期待に添えなくて怒られて、否定の言葉ばかり投げつけられて……いつもビクビクしながら顔色を窺ってた。理不尽なことを命令されても、逆らえなかったの。黙って従わないと、『やる気すらないのか』とさらに罵声が飛んでくるから」
ノーラの頬に一筋の涙が流れた。「我慢して耐えること」と、「やる気や努力の問題」は違う。
記憶が戻るまでの昔の私は、ノーラと一緒だった。
他人から容姿について嫌なことを言われても、耐え続けていた。いつか救われる日が来るんだと根拠のない希望を抱きながら。
その分、別の場所……暴食や散財やメイド虐めで発散していた黒歴史があるので、ノーラの事例と同じようには語れないが。
「ノーラ、もう我慢しないでいいよ。あなたの父親のために努力するんじゃなくて、自分のために別のことを頑張ればいいんだよ! 今までだって、ノーラは命令以外で自主的に動いていたでしょう?」
きっと、ノーラがいくら頑張っても、彼女の父親は娘を認めたりしない。
これまでもノーラは領地のために勉強し、鉱石の取引にも遠巻きながら関わっている。
結果的に美味しい部分は父親の手柄になり、駄目な部分は全部ノーラのせいにされてしまったけれど。
「うちの化粧品の原料の泥を提供してくれたり、領地で採れた鉱石をアクセサリーに加工する案に協力してくれたり。それは、ノーラが動いてくれたから実現できたんだよ」
今の彼女は無力じゃない。いくらでも自分の実力で未来を切り開いていける。
「だから……ええと、私と一緒にもっと楽しいことをやろう!」
大事な場面なのに、格好いい言葉が出てこない。結局、いつものような、締まりのない物言いになってしまった。
でも、悲壮な表情だったノーラは、少しだけ笑顔に変わっていた。












