194:ツンデレ王女と幻の王子(アンジェラ視点)
私――アンジェラは、閉じ込められた船内の部屋を捜索していた。
だが、黒茶色の塊が入った木箱が詰まれているだけで、特に役立ちそうなものはない。
しばらくすると、船の乗組員たちが部屋に入って来た。
(まだ、何も見つけられていないのに……)
焦りだけが強まる中、彼らは床に転がされた私を哀れむような眼差しで眺める。
手にしている盆の上には、質素な食事が用意されていた。固そうなパン、そして野菜屑の浮いたスープと水だった。
特に空腹ではないが、次いつ食べられるか分からない。
(まだ、私を殺す気はないでしょうし)
私はそれらを食べることにした。食事のため、腕の拘束だけ外される。
大人しくしているせいか、警戒されてはいないようだ。
食事の後、再び腕を拘束されることはなかった。
(今のうちに、足の拘束も緩めておきましょう)
逃げ出したいが、部屋には鍵がかかっていて外に出られない。他に窓もない。
時折、船酔いのフリをして甲板に出た。停泊していても水の上なので、船は少し揺れるのだ。
場所はおそらく王都の西の港で、周りには同じような大きめの船が並んでいる。
乗っている船がまだ港にあることを確認した私は、小さく安堵のため息を吐いた。
今いる船着き場の周囲は、比較的人の少ない位置らしい。時折、別の船の乗組員が通るだけだった。
(大丈夫、まだ戻れますわ)
大声を上げて助けを呼びたいところだが、民間人を巻き込むわけにはいかない。
王女を攫うくらいなので、私のいる船の男たちは武装している。巻き込まれた人々が怪我をするのは目に見えていた。
それに、今船から飛び出しても、すぐに連れ戻されそうである。
(チャンスを待つしかないですわね)
私は見張りの男を観察した。部屋の外へ出る際は、必ず誰かが立ち会うことになっている。
明るい場所で目立つ少し色白の肌は、北の国の人々の特徴だ。
北の国と中央の国のゴタゴタに巻き込まれてしまったのだと悟った。
中々出港しないのは、何かを待っているからだろうか。
(人? 物? あるいは、誰かからの命令?)
数日船上で過ごしたが、まだ船は出航しない。
水平線を睨んだ私は船の通路を把握し、さらに脱出の準備を進めることにした。
幸い、大人しい王女に対し、いちいち目を光らせる者はいない。
チャンスが訪れたのは、その翌日のことだった。
部屋にいると、にわかに船の上が騒がしくなったのだ。
今いる場所は甲板の階段を下った先の小部屋。食事を持ってきた男たちが、部屋の外を目指して駆けていく。
(あら、鍵を閉め忘れていますわよ?)
味方が助けに来てくれたのか、別の敵が攻めてきたのか。
判断が付かないが、金属のぶつかる音が聞こえたので、私は怖くなり身をすくませた。
(じっとしていては駄目。これはチャンスですわ!)
足の拘束も外したので、私は自由の身だ。逃げないという選択はない。
甲板の様子を見つつ、恐る恐る歩を進める。
途中、見覚えのある城の兵士の服が見え、勇気づけられた。
船上で戦闘中の兵士や乗組員たちは、まだ私に気づいていない様子だ。
船の乗り口へ近づきたいが、その辺りは敵が密集していて通れない。確実に見つかってしまう。
迷っていると、乗組員が私のいる方へ移動してきた。気づかれないよう、私は船の後方へ回る。
(どうしましょう……)
海に飛び込めば楽だが、私は泳げない。ほぼ城から出ないので、今まで必要がなかったのだ。
(城内に小さな池や噴水はありますが、あそこで泳ごうとは思わないですし)
けれど、入口へ行けない以上、海上を移動するのが最善と思われる。
船の後方へ近づこうとすると、乗組員の一人が私に気づいたようで声を上げた。
慌てて船の縁まで移動し、外へ身を乗り出す。
「なんで、こんな場所にいるんだ!?」
乗組員が喚き、私は恐怖で足がすくんだ。何も考えられなくなる。
海の方から幻聴まで聞こえてきた。
立て続けに色々あったせいで、頭がおかしくなってしまったのだろうか……
(嫌ですわ、エミーリャがこんな場所にいるはずないのに。彼の声が届くなんて)
つくづく、未練がましい自分にうんざりする。それでも気になって、声のする方を向いてしまった。
(……あら、幻覚まで見えてきましたわ!)
小舟に乗ったエミーリャが、私の名を呼びながら手を振っている。
全部都合のいい妄想だ。
だが……このまま乗組員に捕まれば、私を盾にされ、兵士たちは身動きが取れなくなってしまう。
(この期に及んで、さらに誰かの足を引っ張るのは嫌ですわ!)
大きく息を吸い込み、船の縁に腰掛けて海の方へ体を倒す。
(捕まるくらいなら、国のお荷物になるくらいなら……私は、エミーリャの幻のもとへ行きます)
仰向けになった私は、そのまま海へ身を投げた。
自分の他に、もう一つ……ドボンと水音が聞こえた気がする。乗組員が追ってきたのだろうか。
水を吸ったドレスは重くなり、私はどんどん海の底へ沈んでいく。
けれど、不意に背中に何かが触れ、体が浮上した。
(えっ……?)
どんどん水面が近くなり、ついに私は海上に顔を出す。混乱する私の体を誰かが後ろから抱えていた。
前方から、小さな船が数隻近づいて来る。乗っているのは中央の国の兵士たちだ。
「エミーリャ殿下、アンジェラ殿下! 今引き上げます!」
兵士の力強い腕が伸ばされ、数人がかりで私は船上へ引き上げられる。
ぐったりする私の後ろから、もう一人船に乗り込んできた。先ほど、自分を抱え助けてくれた人物だ。
礼を言わねばと振り返ると……また幻がいた。
「夢かしら」
その人物は、濡れた赤髪を掻き上げながら首を傾げてみせる。
「何が夢なの? そんなことよりアンジェラ、大丈夫? 塩水、飲んでない?」
「……ええ、多少飲みましたが平気です。夢ですし」
「だから、何が夢?」
疲れて朦朧とし始めた頭で、私は幻の質問に答える。
「だって、エミーリャは南の国へ帰ったはずですし。こんな場所にいるはずがありません。これは、私の望みを描いた都合のいい夢なのです」
そう言うと、幻は不思議そうに飴色の目で瞬きした。
「それで『夢』なんて言っていたのか。誰に聞いた話か知らないけど、俺は南の国には帰らないよ?」
「嘘です。こんな状態の中央の国にいるメリットなんてありませんもの。どうせ政略結婚なのですから、さっさと南の国へ帰るのが一番賢い選択ですわ。残念ですが、危ない目に遭うよりマシです」
「なるほどね」
エミーリャの目が細まり、ゆっくり彼の腕が伸ばされる。二人の距離が縮まり、唇に熱が触れた。
「これでも、夢だと思ってる?」
目の前の相手を見ると、ニマニマと腹立たしい笑みを浮かべている。
そこで、私はハタと正気に戻った。
(まさか……このエミーリャは本物!? ……そんな、どうしましょう!?)
大変な醜態をさらしてしまった! 恥ずかしい言動の数々に思い当たり、私は顔から火が出そうになる。
笑みを深めたエミーリャの、私を抱える腕の力が強くなった。
「そうかそうか。俺がいなくなったら『残念』だと思ってくれていたんだね。そして俺に会いたいと望んでくれていたんだ? 素直なアンジェラも可愛いな」
「なっ……!」
反論しようとしたが、それより早くエミーリャが私を強く抱きしめた。肩越しに温かな体温を感じ、思わず言葉を飲み込む。
「アンジェラ、無事で良かった……」
「……っ」
優しい声音に、目頭が熱を持ち視界がにじむ。
義務を果たそうと海に身を投げたけれど、本当は怖くてたまらなかった。自分はここで終わると覚悟した。
そうなる前だって、知らない場所で一人にされ、不安で仕方がなかったのだ。
泣き顔を見られないように、私は彼を抱きしめ返す。
エミーリャは、全てを分かっているかのように、しばらくそのままでいさせてくれた。












