172:お菓子王子の真実
リカルドを運んだ後、私はエレフィスが城に来ていることを知らされた。
私を迎えに来てくれたようなので、彼女に会うため用意された部屋に向かう。
客室の一つで、エレフィスは所在なさげに長椅子に座り込んでいた。
ぐったりと腰を下ろす彼女の下で、クッションがUの字に大きく沈んでいる。
「エレフィス様、迎えに来てくださったんですね」
「ええ。少し歩いたから、疲れてしまったわ」
「わざわざ、すみません。少し休憩してから帰りましょう」
伝えるべきことは、全部伝えた。それ以上に今出来ることは少ない。
私はエレフィスと侯爵家へ一旦戻ることにする。
二人で休んでいると、何やら部屋の外が騒がしくなった。足音と口論が聞こえてくる。
「ですからっ、早急に婚約を……!」
「くどい! 父上はご健勝だし、私は焦っていないんだ」
「しかし、あなた様がご婚約されないことには、アンジェラ殿下やエミーリャ殿下のご結婚も遅れることとなります」
「先にすればいいじゃないか。いちいち俺のせいにするのは止めろ」
「王太子殿下を差し置いての大々的な結婚は……」
知っている声が聞こえてくる。
話し声の主はマーロウ、一緒にいるのは大臣の誰かかもしれない。
王太子マーロウの結婚は慎重に行う必要もあり、まだ婚約者はいない。
けれど、この世界の男性は三十代での初婚など普通にあり、まだまだ余裕でいられる。
もっとも王族は、この方針から若干外れており、大臣などは焦っている……と、以前マーロウ自身が漏らしていた。
彼の婚約問題は、まだまだ解決しないらしい。
部屋の中に私たちがいることに気付いていないのか、マーロウたちはそのまま話を続けている。
「有力候補の方々をリストアップしましたから……」
「大臣、余計なお世話だと言っている。もう少し待ってくれ」
「事情は分かっておりますが、そうはいきません。ほら、侯爵家のエレフィス様なんてどうです?」
話が急に自分のことになったせいか、エレフィスが気まずげに視線を彷徨わせている。
それでいて彼女は、話の展開を気にしているようだった。
「ほら、彼女でしたら家柄に問題はありませんし、マーロウ殿下のお好きな体型でしょう?」
大臣は、エレフィスを推している模様。
しかし、マーロウは静かに大臣の意見を否定した。
「彼女だけは、ありえない。絶対に……」
豪奢な部屋の中に落ちる、気まずい沈黙。
もぞもぞとソファーカバーを弄りながら、エレフィスの様子を横目で窺うが、特に変化はないようだった。
しばらくして、外からの物音は聞こえなくなった。
マーロウと大臣は去ったらしい。
そして、エレフィスがドスッと音を立てて立ち上がった。
「すみません、ブリトニー様。少し用事を思い出しました。すぐ戻るので、待っていてくださる?」
「へ? あ……」
答えあぐねている間に、エレフィスは体の向きを変えてのしのしと歩き、部屋を出て行ってしまう。
私は声もなく彼女を見送ってしまった。
エレフィスの横顔が、なぜか酷く辛そうに見えたからだ。
(もしかして、エレフィス様は、マーロウ様のことを好いているんじゃ……?)
だとすれば、一向になびかないマーロウの反応や、彼の今の言葉は彼女を深く傷つけただろう。
(それに、エレフィス様が色々理由を付けて痩せないのって……まさかね)
ともかく、彼女を追いかけようと決めた私は、客室から外に出た。
広い廊下には誰もおらず、窓からは午後の光が差し込んでいる。エレフィスは、まだ遠くへ行っていないはずだ。
階段を降りると、ふらふらと庭へ出て行くエレフィスの姿が見えたので、急いで後を追う。
あんな顔をしている彼女を、放って置けなかった。
出口は小さな中庭の一つへ繋がっているが、今はエレフィス以外誰もいないみたいだ。
一部屋ほどしかない小さな中庭は、採光用に作られているのだろう。華美な花などは飾られておらず、中心に休憩用の長椅子が置かれているのみだった。
どっかり腰を下ろしたエレフィスは、今にも泣き出しそうな顔で空を見上げている。
いつも穏やかに微笑む彼女からは、考えられない表情だ。
少し気まずく思いながらも、私は扉を開けて中庭に降り立った。
気配に気付いたエレフィスが、ぐるりと首を回して私を見つめる。
「ブリトニー様?」
「ごめんなさい、エレフィス様。ちょっと、悲しそうにされていたから……気になって」
「ご心配を掛けてしまったようですわね。申し訳ありません」
「いいえ。こちらこそ、勝手に追いかけ来てしまって……あの、エレフィス様はもしかして、マーロウ殿下のこと」
ためらいがちに問いかける私を見て、エレフィスは小さく吐息を漏らした。
「あんな場面を見られてしまったからには、隠していても仕方がありませんわね。ええ、そうですわ。私は幼少の頃からマーロウ殿下をお慕いしております。ですが、彼から相手にされていない……それどころか避けられていることは理解しているのです」
やはり、エレフィスはマーロウのことを憎からず想っていたのだ。
だとすると、私の存在はさぞ面白くなかったことだろう。
想い人の前に突然現れた謎のデブ。その正体は、貧乏伯爵家の駄目令嬢。
王宮側はマーロウが私に求婚したことを隠しているが、近しいものならば彼の普段の態度から察するものがあったはずだ。もっとも、それを公に言うようなことはしないだろうが。
きっと、エレフィスだって、薄々勘付いている。
その上で普通に接していてくれたのだから、出来た令嬢だ。
「昔は、こんな風ではなかったのに……」
俯いたエレフィスは、当時のことを語り始めた。誰でもいいので聞いて欲しいという風だったので、大人しく彼女の横に腰掛ける。
「私とマーロウ殿下は、幼なじみだったの。昔は、一緒に城で遊んでいたわ。当時はアンジェラ殿下よりマーロウ殿下と親しかったのよ」
当時のアンジェラは暗黒時代だったはずだ。下手に手を出さないのが身のためである。
その辺り、エレフィスは上手く立ち回っていた。
「私が喜ぶからと、彼は頻繁にお菓子をくれてね。いつも、それが楽しみだった」
僅かに、だが確実に罪悪感が募っていく。
かつてのエレフィスの居場所を、私は知らず奪っていたのだ。
そして同時に知った。
マーロウがお菓子を配りたがるのは、幼少期の彼女の影響だったのだと。
「ある日、私は彼の秘密の部屋に招待された」
「秘密の部屋?」
「当時のマーロウ殿下には、両親にも臣下にも黙っていた趣味があったのよ。でも……」
そこまで言ったエレフィスは、急に沈んだ声になる。
「私のせいなの。私が不用意なことを言ったせいで、マーロウ殿下を深く傷つけてしまった。彼はその傷を今も引きずっていて、私は少しずつ距離を置かれて……以前のようには戻れなくなってしまったのよ」
「エレフィス様……」
「悪意があったわけじゃないの。ただ、なんとなく思ったことを口にしただけ。『まるで女の子みたいですわねえ』って。それも、マーロウ様の趣味に対してのことじゃなかった」
それは、過去にアンジェラが教えてくれた話と似ていた。
彼女は、エレフィスが、マーロウの趣味を女々しいと口にしたのだと教えてくれたのだ。
でも、今目の前にいるエレフィスは、マーロウの趣味に対して『まるで女の子みたいですわねえ』と言ったわけではないらしい。
私は、話の続きを促すことにした。
「……と言いますと?」
「彼の態度に対して言ったのです。自分の好きなことに対して、周囲の顔色をキョロキョロと窺って。好きなら好きと堂々としていればいいじゃない。女々しいわ……という意味だったのですが。どちらにしろ駄目ですわよね。彼を否定してしまって」
「当時は幼く、言葉も足らず。どうしたらいいのかオロオロしているうちに、彼との溝は深まってしまったのです」
マーロウは、今でもずっとそのことを引きずっているのだろう。
ある意味、エレフィスの女々しいという言葉は当てはまっている。












