166:白豚令嬢、怪力を発揮する
侯爵令嬢エレフィスのダイエットは、中々進まなかった。
何故か途中から参戦してきたイレイナ夫人の方が、先に痩せている始末だ。彼女はノリノリでダイエットを楽しんでいる希有な人間だった。
エレフィスの前に立ち塞がっている最大の壁は食事管理だ。
「嫌です、食事制限なんて!」
この日も、エレフィスはしぶとく抵抗していた。
「ちょっと甘いものや油の多いものを控えるだけでいいんですってば。肉や野菜を多めに食べてもらったら大丈夫なので」
「甘いものが好きなだけ食べられないなんて、耐えられません! それから、野菜は嫌いなのです。小麦ラブなのです!」
「お気持ちはものすごーく分かります。けれど、糖質の高いものは食べ過ぎるとまずいんです。ゼロとは言いませんので、少し減らしてください」
というのも、エレフィスの食事や間食が、パン、ケーキ、パン、ケーキの連続だったからだ。
かつて日本で得た知識によると、糖質を取りすぎると急激に血糖値を上げてしまうらしい。
すると、脂肪が蓄積されやすくなってしまい、時には血管が傷つき危険でもある。
「お腹も減ってしまいますわ」
「間食は、ものによりますが大丈夫なんで。むしろ空腹だと筋肉が落ちてしまうので、ナッツなどを食べてください」
彼女を説得していると、イレイナ夫人が割り込んできて言った。
「ブリトニー様は、ちょっと娘に優しすぎるんじゃなくて? もっとビシバシやっていただかないと」
まさかのダメ出し。しかし、エレフィスにも共感してしまうので心を鬼にしづらい。
「こういうのは、優しさや詳細な説明よりも、勢いでやってしまった方がいいのよ!」
「……と言いますと?」
「そうね。例えば、『もっとしっかり野菜を食え! このベーコン共!』とか『そこの豚トロ、筋トレが止まっているぞ! さっさと動け!』とかかしら? 王都に住む庶民の間では、スパルタ式ダイエットがブームらしいの」
イレイナ夫人は、過激な発言をした。
(いやいやいや。侯爵家相手に、そんな発言出来るわけないよ〜……!)
言われたらやらざるを得ないが、今のエレフィスには逆効果だと思う。ただでさえやる気がないところへ叱咤し続けたら……確実に挫折の道へ進むだろう。
しかし、今までよりも厳しめにしないと、効果がないという夫人の意見も一理ある。
「分かりました。食事に関しては、少し考えがありますので……午後から買い出しに行って来ます」
私はエレフィスのために、彼女が好きなものを少し取り入れることにした。
穀物でも、玄米、大麦、ライ麦、そば粉などは、白米や小麦より太りにくいと言われている。
この中央の国に売られているのかは分からないが、運良く近場の市場にあればすぐ料理に使用することが出来るだろう。
お忍びスタイルで、私は街へと繰り出した。
エレフィスの住む屋敷は、王都の中心街から少し外れた高級住宅が並ぶ地域だ。ここには、他の貴族の屋敷などもある。
道も綺麗に整備されており、治安は王都で一番良く、傍には品の良い店が揃っていた。
今回私が行くのは、もっと下町の方……様々な食材が並ぶ市場がある場所だ。少し離れているので馬で移動する。荷物持ち兼馬番の使用人が一人ついて来てくれた。
簡易的な布製の屋根が取り付けられた市場の中で、目当ての商品を探していく。馬からは降り、一人での散策だ。
田舎暮らしでは滅多にお目にかかれない雑多に並ぶ食品や喧噪は、私の好むものだった。いつか、ハークス伯爵領もこんな風に栄えた街にしたいと思う。
しばらく進むと、雑穀を扱う店を発見した。目当ての品……ライ麦とそば粉がある。これを使ってライ麦パンやガレットを作れば、エレフィスも少しは満足してくれるかもしれない。
お金を払って、中身がぎっしり詰まった袋を担ぐ。
「おい、お嬢ちゃん。そんな細腕で重い袋を二つも担げるのかい?」
心配した店主が声を掛けてくれる。今の私は庶民スタイルなので、気さくな感じだ。
「大丈夫です、ご心配なく」
日頃から鍛えていたからか、これくらいの重さなら普通に持つことが出来る。両肩に大きな袋を乗せて、私は来た道を戻った。
市場の道を進んでいると、不意に誰かが私の肩に手を置いた。ぶつかったわけではなく、トントンと声を掛ける感じの叩き方だ。
「はい……?」
袋を担いだまま振り返ると、目の前に淡い茶色の髪をした見知らぬ女性が立っていた。庶民風の服を着た、どこにでもいそうな感じの女性である。ただ、彼女の瞳は夜の闇のように真っ黒で、その色に妙な既視感を覚えた。
「どうかしましたか?」
聞いてみると、女性は険しい顔をしながら口を開いた。
「あなた、ブリトニー・ハークスで間違いないわね? 用件だけ言うから聞いてちょうだい」
「……えっと」
戸惑う私に構わず、女性は話を続ける。
「私はヴィーカ。偶然あなたを見かけたから忠告しに来たのよ、転生者さん。時間がないから手短に言うわね」
「……!」
思いがけない言葉を掛けられ、私はまじまじと女性を凝視した。
限られた人間しか知らない、転生者という言葉を使うなんて、私や南の国のセルーニャと同じだということだろうか。
警戒していると、女性は少しだけ笑みを浮かべた。
「隠さなくてもいいわよ、私はどちらかというとあなたの味方だから。あなたの行動や体型を見れば、少女漫画のブリトニーと別人だって誰でも分かるし」
女性は、少女漫画という言葉を使った。これは、元日本人ということで確定だろう。
彼女は、早口で話を進める。
「それで忠告というのはね、私の祖国……北の国に気をつけろってことなのよ」
「あなたは、一体?」
「あら、変ね。庶民風に変装しているから、私のことが分からないのかしら? 私は『メリルと王宮の扉2』の悪役王女、ヴィーカ・リア・ホスヒーロよ。今はこんな格好だけどね」
「ええっ!? 2って……!?」
私は驚いた。『メリルと王宮の扉2』が世に出ているということに。そして、彼女がそこの登場人物だということに!
というのも、私は続編の情報を聞き及んでいたものの、連載される前に転生してしまっていたのだ。
当然、ヴィーカのことなど知らない。












