162:使者があらわれた
木でできたドアノブを引き客室に入るなり、前方から明るい声が響いた。
「やあ、ブリトニー。リカルドも本当にハークス家にいるんだね、婚約おめでとう!」
見えたのは、真っ赤な髪を後ろに束ねた異国の王子様。
「エミーリャ様、こんにちは。ありがとうございます」
そして、そんな彼の後ろでは、金髪を結い上げ外出着に身を包んだアンジェラが上品な仕草で立ち上がっている。
彼女はつかつかと私の傍まで歩み寄り、そっと手を取った。
「ブリトニー、やっと会うことができましたわね」
「アンジェラ様、お元気そうでなによりです。エミーリャ様とも仲睦まじいご様子で……」
「なっ……! 何を! そ、そそそんなことっ、ありませんわよ!」
赤面しながら必死で否定するアンジェラは、実にわかりやすい。エミーリャの方は、慣れた様子で微笑んでいた。
「この通り、婚約者殿は素直じゃなくてね。愛おしい女性の本音を聞き出す方法があれば、ぜひリカルドに教えてもらいたいよ」
エミーリャが面白がって色々言うので、アンジェラの顔がますます赤くなっていく。
傍目に見ても、とっても仲良しそうだ。
「そ、そんなことよりも! 今日は、ブリトニーにお話があって来たのですわ! この件はリカルドも無関係じゃありませんので、一緒に聞いてくださって結構ですわよ!」
アンジェラとエミーリャの向かいの長椅子に、私とリカルドは腰を下ろす。
落ち着いたところで、アンジェラが話を切り出した。
「今回ハークス伯爵領を訪れたのは、とある件の使者を引き受けたからですの。少しデリケートな問題ですし、余計な横やりを避けたかったので直接私が訪れたわけです」
彼女が外出するのはとても珍しいことだが、慣れないながらもその口調はしっかりしており、引き受けた任務を全うしようという強い意志が感じられる。
「デリケートな問題?」
「そう。マーロウお兄様の、愛妾問題ですわ!」
鋭く言い切ったアンジェラは、ビシッと扇で私を指した。その言葉だけで分かってしまう。
父が言っていた王宮からの使者が、アンジェラやエミーリャなのだと。
(けれど、これは好機? アンジェラ様なら、私やリカルドの事情を知っているもの)
きっと、頼めば力になってくれるはずだ。
睫毛を伏せたアンジェラは、淡々と話を進めていく。
「お兄様の婚約問題の件、当事者のブリトニーなら知っていますわね?」
「は、はい」
「数回打診があったかと思いますが、あなたはそれを辞退しました。私は、ブリトニーが城に留まるなら毎日楽しいですし、それもアリだと思いましたが」
「無理です、荷が重すぎです」
「まあ、大多数の貴族の意見では、ハークス家より、もっと格上の妻が望ましいというものでした。愛妾なら……」
「いいえ。愛妾も、ちょっと……」
「あなたなら、立派な公妾になれるかと思いますけど。まあ、私も妾を持つのには賛成できません。妹のこともありますし、つまらない争いの種は生み出すべきではありませんもの」
「そ、そうですよ。私を王太子殿下の愛妾にしても、なんの得にもならないです。ですので、今回父が王宮側に余計なことを言ったみたいなのですが、無視してくださると助かります」
必死に訴えると、アンジェラは小さくため息をついて扇を膝の上に置いた。
「ブリトニーなら、そう言うと思いましたわ。それに、あなたをお兄様の妾にすれば、あの寄生虫がもれなくひっついてくることですしね……国のためにもなりません」
「寄生虫とは?」
「わざわざ王都から使者を引っ張り出した、ブリトニーの父親のことですわ。今回は、あなたのことが心配で、私がその役目を引き受けましたのよ」
「ありがとうございます、アンジェラ様」
「兄も『ブリトニーに嫌われるような真似はしたくない』と言っておりました。婚約者がいるにも関わらず、無理矢理妾にする形を取るのは本意ではないと」
「そうでしたか……」
マーロウには申し訳ない気持ちでいっぱいだ。
彼の醜聞に繋がる事態を避けたいということもあり、今回は事情を知っているアンジェラが動いたのだろう。
「申し訳ありません、アンジェラ様。」
「気にすることなくってよ! そもそも、こちらへ引っ越す予定なのですし」
「えっ!? 引っ越すとは!?」
「まだ公になっていませんが、アスタール家から取り上げた領地が、私たちに与えられることになったのですわ」
「あらら。ということは、北の国の侵攻があった場所に、南の国のエミーリャ様がいらっしゃるんですか……」
中央の国にはマーロウという立派な王太子がいるので、エミーリャやアンジェラは他に領地をもらって臣籍に下る。
その場所が元アスタール伯爵領の一部というのは、ちょっと露骨だが……北への牽制のつもりだろう。
「ハークス伯爵領と行き来しやすくなって、私は嬉しいんですのよ」
アンジェラは「おほほ」と機嫌よさげに微笑んだ。












