156:帰ってきた例のあの人
そうして私たちは、ダン子爵領から無事に帰ってきた……のだが。
屋敷の様子がなにやらおかしい。
通常なら馬車で到着した私たちを、祖父が熱烈に歓迎してくれるはずだ。
(けれど、お祖父様どころかメイドや侍従すらも現れないという……)
まあそういう日もあるさと、私は素早く馬車を降りた。
帰りも、リュゼとリカルドが張り合ったせいでヘトヘトなのだ。
(いや、リュゼはリカルドをからかっている。というか、いつもの意地悪している節が大いにあるけれど……素を見せられる人間が増えるのは、いいことだよね?)
小姑の嫁いびりに発展しないよう、私は少しソワソワしながら様子を見守っている。
馬車から降りて屋敷に入ると、いつもとは空気が違う感じがした。
リュゼも、その違いに気付いたようで、整った顔を廊下の奥へと向けている。
「なにか、あったのかな」
不安な私をなだめるように、リカルドが背に手を添えてくれた。
少し廊下を進むと、侍従のライアンとメイドのマリアが現れる。
彼らは私たちを見つけると、早足でやってきた。
「リュゼ様、大変です……! そ、その……」
ライアンが困り顔で従兄に訴えかける。
「前々伯爵様が、ええと、ブリトニー様のお父上が、駆け落ちした愛人と共に戻って来ておられます!」
「…………」
私とリュゼは顔を見合わせた。
幼い私を残して蒸発した父は、長年消息不明だったのだ。
どんなに私が寂しい思いをしていても、ハークス伯爵家が多大な借金を背負って窮地に立たされていても、彼が現れることはなかった。
それを今になって、何の用があって戻ってきたというのだろう。
ライアンとマリアに案内され、私たちは父がいるという書斎へと向かった。
心なしか、リュゼの表情が固い。
(そりゃあ、複雑だよね……魔王スマイルが出ていないだけマシだけど)
私も私で、ちょっとだけ微妙な気持ちを抱えている。
(実の娘がいるというのに、愛人連れて戻って来るとはどういうことだ?)
転生している私は年齢もいっているので、ある程度達観している。
けれど、もし前世の記憶のないブリトニーが、このことを知ったらどう思うかは想像に難くない。きっと、暴飲暴食まっしぐらだ。
あの少女漫画の中でリュゼは亡くなり、もういないことになっている。
領地を回していたのは、おそらく祖父だろう。ブリトニーは王都のアンジェラに仕えていたので、伯爵家には不在。
そこへ戻ってきた父と愛人が屋敷に居座る展開は、大いにありえそうだ。
(お父様の帰還は、ブリトニーの処刑に関係ないよね?)
私は、前々から疑問に思っていることがあった。
いくらブリトニーがお馬鹿で食い意地が張っていても、国王の食事に手を出すのはやり過ぎだ。
城の厨房に出入りしているとはいえ、普通に考えて毒を盛る前の食事をつまみ食いしたりしない。
足が付く危険性が高まることは、誰が考えてもわかることだ。
ブリトニーとして生きてきた私は最初、彼女のことを否定してばかりいた。
だが、自分がブリトニーであることを受け入れてからは、彼女の考えに寄り添うことも出来るようになっている。その私が導き出した答えは……
(もしや、見境がなくなるくらい、追い詰められていたのでは?)
……ということだった。
なにはともあれ、まずは現状確認だ。父に会わないことには何も始まらない。
しかし、一度は家を出て行った彼がわざわざ帰ってくるのだから、余程の事情があるのだろう。
私は、伯父や伯母が押しかけてきたとき以上の修羅場になりそうな予感を、ひしひしと感じていたのだった。












