152:白豚令嬢の新たなもくろみ
「ちょ、ちょっと待て!!」
強気な私の態度に焦ったのか、青年は慌てて顔を上げ……その場で体の動きを停止させた。
以前会ったときはうろ覚えだったが、短く淡い茶色の髪に琥珀色の瞳、ややひょろりとした体つきを見て徐々に記憶が蘇ってくる。
彼は自分を観察する私を見て、戸惑っているようだ。
「あ、あ……」
「なんですか?」
「あなたはどちら様ですか……!? あのブリトニー嬢の姉か妹……いや、親戚ですか!? お初にお目に掛かります、私はダン子爵家の跡取りでケビンと申します」
「えっと……」
急に態度を豹変させる彼を直視しづらくなった私は、思わずそっと目を泳がせる。
(なに、この人! 私を別人と思ってる〜!?)
様子を窺うが、ケビンは本気で私がブリトニーではないと判断しているようだ。
なので、改めて名乗ることにした。
「あなたのことは、既に存じ上げておりますよ。私はブリトニー・ハークス、今回の件で従兄から商品に関する窓口を任されています。彼から事前に連絡が来ていませんでしたか?」
「またまたご冗談を。リュゼ様からお話は聞いております。実を言うと、あの女が相手ならこっちに都合の良い条件でうちの商品を売り込めると思い訪れたわけなのです。初めての仕事で失敗するわけにはいきませんからねえ。あ、女性には少し難しい話でしたよね? 失礼」
「その仕事……もう既に大失敗ですよ?」
駄目だ、この男。リカルドより年上だというのに……性格が幼すぎる。
彼は、あの舞踏会から何も成長しないまま領地経営の手伝いをするようになったらしい。
ケビンの親が少し気の毒になった私だった。
(なるほど。リュゼお兄様は、私の初めての交渉相手に初心者を当てたってわけね)
従兄なりの優しさかもしれないが、これはこれで複雑な気分になるお客だ。
(うーん、どうしようかなあ。ちゃんとわかってもらった方がいいよね)
彼は未だ私をブリトニーだと認めていないので、まずはきちんと認識してもらうことからはじめようと思う。
「五年前のパーティー以来ですね、ケビン・ダン様?」
「……は、え?」
「私のことを覚えていませんか? あなたに『通行の邪魔だ、デブ!』と罵られたブリトニーは、私です。ほら、髪の色や目の色も同じでしょう?」
「えっ……言われてみれば」
「それに、領内にいる私の親戚はリュゼお兄様だけです。ご存じですよね……?」
「確かに、調べではそうだったが、母を奪っただらしない男なら、他に女の一人や二人いたに違いないと思って……」
かつて、家を出た私の父親はケビンの母親と一緒に駆け落ちした。
彼は後妻と上手くいっていないようで、未だに私の父を恨んでいるらしい。
「ええと、ケビン様は子爵領を継がれるのですよね?」
「いずれ、そうなるだろうなあ。他の子供は女だけだから。この仕事も、経営に慣れるための練習だと言われたし」
私を前に堂々と「練習」と言ったケビンにおののくが、こんな状態ではまともに仕事が出来なさそうである。
「それよりも……本当に、お前、あのブリトニー・ハークスなのか……?」
「ええ、そうですよ。あれから、痩せたんです。というわけで、お帰り下さいませ」
さっさと切り上げようとした私に、ケビンが駆け寄る。
「ちょ、ま、待ってくれよ!」
「嫌ですよ。こんな失礼な人から商品を買うなんて……」
「うぐっ、お、俺が悪かったから! あの時のことは謝罪するから!」
余程慌てているのか、一人称が私から俺になってしまった。
だが、謝ることを覚えたあたり、五年前よりは成長したのかもしれない。
「頼む! 今回の取引、失敗させるわけにはいかないんだ!」
「そう言われましても」
「商品を見るだけでも!」
仕方がないので、私はひとまず彼の話を聞くことにした。
「うちは最近、絹の生産が盛んになっている。製糸技術が余所より上だから、知名度は低いが品質ならどこにも負けない! お前のところの新しい事業に何らかの形で関わりたいんだ!」
「直球ですね。ですが、うちは特に絹に困っていないんですよねえ。絹はアスタール伯爵領から買っていますし……どちらかというと、あなたのところの紡績技術の方が興味あります」
「き、絹ほど盛んじゃないが、綿もやっているぞ」
「綿!」
「え、そこに食いつく!?」
実は、私には前々から作りたいものがあったのだ。
服を作るための様々な布地――
(化粧品もそうだけど……前世では、いろんな服にも興味があったんだよね)
着心地や洗濯方法を調べているうちに、布の種類も知った。それをこの世界でも再現してみたい。
(今までは、技術が追いつかなくて出来なかったけど)
それでも私は、なるべく原価を安く抑え、高品質なものを生み出す方法を思案し続けてきた。
どうにかして再生繊維を作れないかと。
天然繊維は、絹や綿、麻や毛など、自然のものをそのまま糸にして使ったもの。
対する再生繊維とは、木や綿や麻などを一旦溶かし、その繊維を使った糸で作るもの。
吸湿性や放湿性があり、色を染めやすく、光に当たっても変色しない。
その再生繊維の中に、キュプラと呼ばれるものがある。
それには綿を採取したあとの表面に付いて残っている羽毛状の繊維を使うのだが、最終的に人工の絹のような肌触りになる。
あと、医療用のガーゼや化粧用コットン、フェイスマスクにも使えるのだ。
(あ、いいこと思いついた! 温泉に布教用のフェイスマスクを置いておこうかな。ぐふふ!)
ハークス伯爵領では、数年前からノーラのところの鉱石を使った化学実験なども行っていて、つい最近、綿や木材などを溶かして繊維を取り出すという薬品作りに成功した。
私に化学の知識はあまりないのだが、領内で研究の役割に就いている専門家が言っているのだから間違いないと思う。
彼らは、私の要望にあった薬品をついに作り出してくれた。
(時間は掛かったけど……「これをあんな風にするものが欲しい」って言ったら、出来ちゃったんだよね)
生み出された薬品を使えば、繊維を取り出してキュプラを得ることが出来る……はず。
ちなみに、木材パルプの繊維を使うとレーヨンなどが出来る。
(正装ではなく、普段着のスーツの裏地や肌着、スカーフなどの小物に使おう)
絹製品は確かに良いものだが、デリケートなのでデメリットも多い。
染みが出来やすく、光に当てると変色してしまうし、ものすごく管理が難しいのだ。
もちろん、絹を使った高級な服も作る予定だが、使える布の種類は多い方がいい。
「ケビン様、うちと共同で新しい繊維を作ってみません? 子爵家でのあなたの功績になりますよ?」
「……!」
私の言葉を受けたケビンは、わかりやすく反応した。
(ぐふふ、これは……かつてのリカルドより素直かも? ちょうど、ややこしい繊維作りの協力者が欲しかったんだよね。うち、綿の栽培はやっていないから)
ハークス伯爵領では、もともといる羊の他、最近はアルパカやカシミヤ山羊、アンゴラウサギやアンゴラ山羊を飼育している。毛が伸びてきたらはさみで丁寧に刈り取るのだ。
アルパカは、なぜかセルーニャがペットとして大量に飼育していたので、数匹もらって繁殖させた。
これについては、あとにエミーリャが「兄はモフモフが大好きなんだ」と語っている。
前世では寒い高山などに生息していたので、まさか南の国にいたなんて驚きだ。
ラクダも欲しいのだが、伝手がなくまだ手に入っていない。この辺りには砂漠がないのだ。
「じゃあ、今後の詳しいやりとりの窓口は、リュゼ・ハークス伯爵になるのか?」
「え? 服に関しては今後も私が対応しますが?」
「ブリトニー……嬢が?」
「何かご不満でも?」
「いや、でも、女性には荷が重いんじゃ……?」
「直接表に出ていないだけで、これまでも私は領地での仕事をしていました。問題ありません」
「だが……」
「ご不満なら、この話はなかったことに。さようなら」
「……!? 待ってくれ! わかった、お前でいい!」
「は?」
腕を組んで振り返る私に向かって、ケビンはプルプルふるえながら言いつのった。
「……あなたがいいです」
「わかりました」
応えると、ケビンはホッとした表情になる。
彼もまた、領地の仕事を任され始めたばかりで一生懸命なのだろう。
(予想外だけど、話がサクサク進んで良かったな)
初の仕事相手として、ケビンを選んでくれたリュゼに感謝だ。
「そういえば、ブリトニー嬢」
「なんですか?」
「最近、王都であなたの父親らしき名で呼ばれている人物を見たんだが。領地に帰って来ているのか?」
「いいえ? 人違いでは?」
「……だよな。同姓同名の別人か」
私の父は、余所の夫人と駆け落ちして姿を眩ませたのだ。
今更、実家に帰ってくることはないだろう。
その後、ケビンと細かい話をし、彼と仕事を進めていくことが決まった。












