149:白豚令嬢、温泉視察に行く
春の早朝、町角の大木は白い花を咲かせ、舞い散る花びらが情緒ある風景を作り出す。
木製の素朴な荷台に品物を載せた町人たちは、朝の挨拶を交わしながら市場へ向かっていた。
それを馬上から眺めつつ、私とリカルドは目的地の温泉施設へと向かう。
ハークス伯爵領で主要な町は三つ。南の町、西の町、そして中心にある領主の町――ここは、ハークス伯爵家のあるところだ。街でなく町なのは……察して欲しい。今後の課題である。
今回温泉施設が作られたのは、領主の町である。ここは領地の中でも流行に敏感な場所で人口も多く、余所から領民もやってくる。
件の温泉施設は、町の広場付近に建築されていた。
私は馬上にいるのだが、いつになくリカルドが近い。
今回は少ない供を連れての視察で、私はリカルドと同じ馬に乗っていた。
「あの、リカルド?」
「なんだ?」
応える声がものすごく甘い。誰だ、後ろに座っているのは本当にあのリカルドなのか!?
私自身、ものすごく彼に振り回されている自覚がある。
「この辺りで馬を下りるか?」
私を抱き込み、顔のすぐ近くでリカルドが囁いた。
「う、うん。そうだね」
自分で下りようとしたのだが、後ろからリカルドに静止される。
先に下りた彼は、私に向かって両手を広げた。
「ほら、ブリトニー」
「えっと……」
戸惑っている間に、リカルドは私を抱いて馬から下ろした。
太っていないので、今の私は世の平均的な女性の重さだ。
大人っぽく微笑まれて、顔に血液が集結する。
(ぐふうっ! 反則、その笑顔!)
そんな私の心中を知ってか知らずか、リカルドは洗練された動作で私をエスコートし続けた。
馬を下りて少し歩くと、温泉施設がある。伯爵家の温泉とは違い石造りの堂々とした大きな建物で、元々この場所にあった巨大倉庫を改装したものだ。
近くには病院もあり、湯治にも利用できる。数軒先では個人経営の宿が営業していた。
浴場の中は男湯と女湯に分かれ、脱衣スペースや軽食スペースが用意されている。
そして、湯上がりには出口で販売されているハークス伯爵領産の牛乳がオススメだ。
他には、私が直接手がけている石鹸類や化粧水なども売られていた。
(今はシンプルな浴場だけど……そのうち、岩盤浴も出来るようにしたいな。儲けが出ればお兄様に交渉してみよう)
この温泉施設は無料ではない。料金は取るが庶民でも日常的に利用できる金額だ。
まだ営業はしていないので、自由に中を見て回れる。
「うわぁ、広い! これなら、大勢入っても平気だね」
「そうだな、よく出来ていると思う」
「ところでさ、リカルド……」
「ん、なんだ?」
目線を下に落とせば、私の右手とリカルドの左手が恋人繋ぎになっている。なんとなく面映ゆくて私は挙動不審になっていた。
(嬉しいけど恥ずかしい。これが婚約者というものなの!?)
首をブンブン振り「なんでもない」と告げた私は、建物のさらに奥へと歩を進めるのだった。
「疲れたのなら、休むか?」
「だ、大丈夫! 近頃の私、体力が無尽蔵にあるから」
これは事実である。
様々な鍛錬を乗り越えた私は、さらに強くたくましい令嬢に成長してしまった。
最近は領地で本格的に剣術訓練も行っており、仕事では重い書類も運び筋肉が増えていく日々だ。
リュゼやリカルドには及ばないが、年頃の女子としては強い方だと思う。
先日、王太子のマーロウから手紙が届いたのだが、そこには王都での剣の師匠――城の騎士団の元鬼団長がハークス伯爵領へ行きたがっていると綴られていた。そして、マーロウ自身もお忍びの機会を狙っているという。
彼の危険な土産が非常に気になるところだが、今の体型を戻したくないので絶対に甘い誘惑には負けないのだ!
「日頃の体力を過信したら駄目だぞ。ブリトニーに何かあれば俺はただじゃいられないからな?」
「ありがとう、後で休憩するね」
しばらくして、二人の会話に第三者の声が割り込む。温泉施設の責任者になる人物だ。
「あの……せっかくですから、二人とも温泉を利用されてみてはいかがでしょう? 使い勝手などの意見も伺いたいですし。試しに湯は引いてあるので、今なら貸し切りで入れますよ?」
その提案に私はリカルドと顔を見合わせた。
「ちょうど、男湯と女湯で両方見られます。あ、婚約者同士ですし、一緒に入られますか?」
責任者の冗談を受け、私は思わず真っ赤になって飛び上がった。
しかし、リカルドは真面目な顔で答える。
「いや、今は婚約期間だから止めておこう。そういうのは、リュゼに禁止されている」
「ちょっ……!? リカルド、『今は』って?」
戸惑いながら質問すると……彼はいたずらっぽく、けれども意味深に笑ってみせた。
やっぱり、今日も私はリカルドに翻弄されっぱなしなのだった。












