147:白豚令嬢、婚約する
王太子マーロウ一行が、大貴族を捕縛して無事に城へと帰還した。
城にいた者たちは、彼らの無事を喜んでいる。もちろん、私――ブリトニーもだ。
マーロウは死亡していないし、リュゼやリカルドにも大きな怪我はないと聞き、思わずほっと息を吐く。
まだ直接彼らに会えていないが、先に情報だけでも聞けて良かった。
しばらくすると、リュゼが私の部屋へやってきた。元気そうな彼を見て心底安堵する。
「リュゼお兄様、おかえりなさい。本当に無事で良かったです!」
「君も、無事そうで良かった。エミーリャ殿下から話は聞いたよ、襲われたんだって?」
「刺客は無事に捕らえられましたし、私も無傷です。心配ありませんよ」
「うん、それでも……すごく不安だったんだ。本当に、怪我がなくて良かった」
ぎゅっと私を抱きしめるリュゼの深い海のような瞳が、優しくこちらを見つめる。
それでいて、彼は少し難しい顔で私を椅子へ促した。
「……ブリトニー、大事な話があるんだ」
ただならぬ空気を感じた私は、素直に近くの椅子に腰を下ろす。
しばらく沈黙していたリュゼは、私の隣に腰掛け戸惑いがちに口を開いた。
「ねえ、ブリトニー。あれから、そろそろ半年が経つね」
従兄の言葉を聞いた私は、ノーラのお見合いの際に彼に提案された内容を思い出す。
リカルドが何も手柄を立てられなかった場合、私はリュゼと婚約するという条件……約束を。
大きな手柄を上げられる事件など滅多に起こるものではない。
しかも、夏から冬にかけてはバタバタすることが多く、じっくりと取り組む系の仕事は出来なかった。
私もリカルドに協力したくて駆け回ったが、未だ大きな手柄はない。
細々とした活躍はたくさんできたが、リュゼがそれだけで納得するとは思えなかった。
「お兄様……」
恐る恐る従兄の顔色を窺うが、いつも以上に表情が読めない。
ただ、凪いだ海のような青い瞳で彼は私を見つめていた。
静かな室内には、時計の針の音だけが響いている。
「マーロウ殿下から、君に再度婚約の打診が来たよ。何もなしに断るわけにはいかない、ということはわかるね?」
「はい……」
少し困った部分もあるが、マーロウのことは嫌いではない。
でも、彼との結婚は考えられなかった。それは、私の望む未来と相容れない。
王太子からの打診を退けるため、私は別の相手との婚約を確実にする必要があるのだろう。
「もう一度、君に確認しておきたい。僕との婚約は、まだ考えられない?」
真剣なリュゼの表情を見た私は、黙って頷いた。
リュゼのことも好きだが、それは大切な家族としての好き。私にとって、彼は兄のようなものだ。
時間を経れば夫婦として上手くやっていけるかもしれないが、今の私はリカルドに恋をしている。
そんな中途半端な状態で、リュゼと婚約するような真似はしたくない。それは、リカルドとリュゼのどちらにとっても不誠実なことだ。
しばらく時間が経った後、ゆっくりとリュゼが口を開いた。
「君は、あくまで僕を家族として見るんだね」
「ごめんなさい、お兄様……」
謝る私を制したリュゼが、落ち着いた声音で言った。
「僕としたことが、初手を間違えてしまったのかな。もう少し早く自分の気持ちに気付いて、君に意識してもらえるように振る舞っていれば良かったね」
一息ついた彼は、静かにゆっくりと言葉を紡ぐ。
「それじゃあ、仕方ないけど……」
「……っ!」
従兄の口から何が出てくるのか戦々恐々としていた私は、次の言葉に耳を疑った。
「君とリカルドの婚約を認めようと思う」
「……………………え?」
私が声を漏らすと同時に、部屋の外で何かがぶつかったような音が響いた。
(何の音? 誰か、いるの……?)
黙って立ち上がったリュゼが扉を開けると、動揺した表情のリカルドが腕をさすって立ち尽くしていた。
(扉に腕をぶつけたのかな?)
さっきの音は彼だったようだ。
「リカルド、ちょうどいいところに来たね。君にも話しておきたいことがあるんだ」
部屋にリカルドを招き入れたリュゼは、優雅な動作で椅子に座ると私たち二人を見て言った。
「二人の揺るがない気持ちと、リカルドの活躍に免じて……僕は君たちの婚約を条件付きで認めようと思う」
「………………!」
信じられないというように固まる私とリカルド。
やがて、リカルドがガタリと音を鳴らして椅子から立ち上がった。
「どういうことだ、リュゼ……!? 俺は、婚約成立の条件を達成していない!」
「君は実直すぎて要領が悪い。大きな手柄を立てるチャンスを、みすみす逃したね」
思い当たることがあるのか、リカルドは押し黙った。
「だけど、おかげで僕は助かったよ。怪我をすることなく城に帰れた……これは、君の助けがあったからだ。感謝してる」
「だが、それだけで婚約なんて……」
「仮婚約、だよ? 条件付きの。できないようなら、この話は白紙に戻す」
リカルドの言葉をリュゼは否定して微笑んだ。
(よくわからないけれど、リカルドの活躍で……お兄様は私たちを認めてくれた?)
こちらの心情などお構いなしに、リュゼは笑みを浮かべながら言葉を続ける。
「リカルド、君には僕の片腕としてハークス伯爵領で働いてもらいたいんだ。実は今、ハークス伯爵領は深刻な人手不足に拍車がかかっていてね。急いで人材を育成しているんだけど、追いつかなくて。だから、領地経営の知識を持つ君を引き入れたい」
「だが、今の俺はマーロウ殿下の元で宮廷貴族への道を進もうとしていた」
「それは難しいよ? アスタール伯爵家の君にとって、今の宮廷内はやりづらいだろう? 王太子の取り巻きになれても、それは彼のお気に入りの話し相手の一人……という位置づけ。確固たる地位じゃない。逆に、それなりの立場を手に入れようとすると、反逆者であるアスタール家の者という立場が足を引っ張る。まったく、ミラルドは余計なことをしてくれたよね」
「う……」
「ハークス伯爵領の者ならリカルドの事情は全部把握しているし、むしろ事件解決に手を貸してくれたことを感謝している者が多い。皆、喜んで君を受け入れるよ」
リカルドは、眉根を寄せてリュゼの言葉を真剣に聞いている。
しばらく悩んだ後、彼は静かに頷いてリュゼを見た。
「お前は、それでいいのか? 俺ばかりが得をしているみたいだ……」
「リカルドは、『僕を救う』という実績を残した。手を伸ばせば届いたはずの手柄を放り出してね」
「だが……!」
「条件は達成されたし、僕は約束を守るだけ。それで? リカルドはどうしたいの?」
真面目なリカルドは、苦悩に満ちた表情を浮かべて悩み始める。
しばらく葛藤した後、彼が緑色の瞳でリュゼを見つめた。
「俺は、リュゼの条件を飲みたい。ブリトニーと婚約したい」
リカルドの答えを聞いたリュゼは満足そうに頷き、そっと席を立つ。
「……それじゃあ、僕はマーロウ殿下に君の婚約話を伝えに行ってくる。彼には気の毒だけれど、国のためにもこうした方がいい。王妃教育を受けていないブリトニーに、王太子の伴侶は務まらないからね。愛妾なんて論外だし。殿下のことだから、すぐには納得されないとは思うけれど、ブリトニー自身の意思は尊重してくれるはずだよ」
何を言えばいいのかわからないまま、私はリュゼを目で追っていた。リカルドも同じ状態だ。
部屋を出て行く前に、リュゼは目を細めて振り返る。
「……わかっているとは思うけど諸々の処理が済んでいない今、君たちは仮婚約の身だ。リカルド、結婚前にブリトニーに手を出したら……この国にはいられないと思って? 僕の一存で、いつでも君たちの婚約は破棄できるんだからね?」
「…………っ!?」
スッと目を細めたリュゼを見て、リカルドが青くなる。私も背筋が震えた。
彼は、やると言ったらやる。そういう人物だ。
「リュゼ、待ってくれ。お前は……」
「話は済んだよ、リカルド。城へ戻って早々に悪いけれど、ブリトニーをよろしくね」
今度こそ部屋を出て行く従兄を見送りつつ、私はリカルドに視線を移す。
「あ、あの、リカルド。その……」
まだ茫然自失状態の彼は、気力を振り絞って私に応えた。
「ブリトニー、これからよろしく頼む」
「え、あ、こちらこそ……」
「……まだ現実味がなくて、混乱している。夢みたいな話だが」
二人とも空気の抜けた風船のように頼りなく、ただじっとしている。
こうして、私たちの仮婚約は成立した。
徐々に立ち直ったリカルドが、私との距離を遠慮がちに縮める。
少しの困惑と熱がこもった眼差しで見つめられ、心臓がきゅんと甘く脈打った。
(望んでいたことだけれど、こんな日が来るなんて思わなかった)
そして、思いの外、リカルドとの距離が近いような……
従兄に申し訳がないような、複雑な気持ちを残しつつ、私もリカルドとの仮婚約を受け入れた。
※
あの後、リュゼはマーロウから私への婚約打診の件を断り、彼に私とリカルドとの婚約の件を話してくれた。大貴族の屋敷へ旅立つときに不穏な言葉を口にした王太子を心配していたが、彼も無事に帰ってきてくれて良かったと思う。
ともかく、マーロウの死亡フラグ問題はこれで解決しただろう。
アンジェラは良い王女となったし、ノーラには婚約者が出来た。メリルは少し困った部分もあるが徐々に改善してきている……と思いたい。
このまま何もなければ、兄妹仲が悪化することはなさそうだ。
(残る危険要素は、私の処刑だけ……!)
少女漫画でブリトニーが罪を犯し、処刑されるのは十七歳の時点。
いよいよ、本腰を入れて生存戦略を練らなければならない。今の時点でできる対策は全部やってきたけれど、予想外のことが起こる恐れもある。
例えば、ミラルドの暴走や今回の大貴族の事件のように。
(どうして少女漫画はモブのストーリーを省略するのか! いや、モブに視点を当てたら全く別の話になっちゃうけど)
主人公視点から危機予測をするのは、かなり手間がかかる上に、どうしても抜けが出やすい。
今後に向けて色々対策を立てた私は、ふと妙なことが気になった。
(今回の一連の事件、今考えると何かが引っかかる。まるで、この国の王族を排除する意図があるような……いや、偶然かな?)
リカルドの話では、大貴族の従えていた兵士の中に、マーロウを攻撃した者がいたようだ。
そして、私と共にいたメリルも、二回危険にさらされていた……一度目は命を狙われ、二度目は人質目的の誘拐だったが、もし誘拐が成立していれば、街道事業をねじ曲げた要因として彼女の評判は悪くなっていただろう。
必然的にアンジェラが残って、彼女自身か夫となる男性が次の国王となる。
少女漫画で悪役アンジェラ自身が兄妹の排除を狙ったみたいな展開だ。
(今の彼女は、そんなことをしない……そうなると、得をするのはエミーリャ様だけれど。あの人は私やメリルを助けてくれたし、違う気がする)
考えながら歩いていると、廊下の向こうからルーカスが現れた。
はっきりとした確証はない。けれど、このとき私は彼の瞳を見て違和感を覚えた。
漆黒の瞳に浮かんでいるのは親しみではなく、何の感情も読めない底知れぬ闇。
(なんだろう、これは……どう考えても好意的な表情じゃない。何か、彼の怒りを買うようなことをしたっけ?)
しばらく見つめ合った後、視線を外してルーカスが微笑む。その表情は、いつもの彼の顔だった。
(……金縛りに遭ったように動けなかった。ルーカス、怖い)
一体、私は何をやらかしてしまったのか。
そして、これがきっかけで処刑フラグが立っていたらどうしよう。
(いやいや、大丈夫。私、悪いことなんてしてないし!)
とにかく、少女漫画で起きる事件に関して、今以上に対策を練っておく必要があるだろう。
現状は漫画と変わっているとはいえ、これまでのパターンで行けば、似たような事件が起こる恐れがある。
しかも、十七歳での処刑ストーリーは、ブリトニーにとって一番重要な事件だ。
(ハークス伯爵領で仕事をしつつ、王都にも目を光らせておこう。それしかない……)
エミーリャという頼もしい味方が出来たので、城の情報が格段に入りやすくなっている。
彼や、その兄セルーニャの力も借りたい。
リカルドやリュゼも私の事情を知っているので、助けてくれるだろう。
十七歳の私の処刑さえ乗り切れば、あとは安全で幸せな未来が待っている……はずだ。
そうすれば、もう少女漫画を恐れることなどない。
もうすぐ私の命運を分ける春がやってくる。












