126:過去の記憶と元婚約者の成長
雨の降りしきる暗い山中で、太い膝を抱える私は大変困惑していた。
(ちょっと待って、ちょっと待ってー! どうして、なんでリカルドが記憶のことを知っているわけ?)
チラチラと横目でリカルドの様子を窺うも、彼の表情からは何も読み取れなかった。
どうしてこんなことになっているのか、直接彼に聞くしかなさそうだ。
「あ、あの……過去の記憶って? 誰かに、何か言われたの?」
過去の記憶については、リュゼにしか伝えていない。
リカルドが知っているということは、彼が伝えたのだろうか。
(もしくは、セルーニャ殿下?)
けれど、彼がリカルドにわざわざ私のことを伝える理由がわからない。
リカルドは黙って私を見つめていたが、ややあってためらいがちに口を開いた。
「正直に言う。セルーニャ殿下がブリトニーのことをよく知っている風で、そんなことを言っていたから少し気になったんだ。リュゼも、なぜか動揺していなかったし」
「そ、そうなんだ。セルーニャ殿下が……」
不要なことを口走ってくれたようだ。
到底信じられないような話だし、暴露して得をするようなことでもないので、私は前世の記憶を持っていることを周囲に黙っている。
リュゼに打ち明けた後、彼からも「あまり広めないように」と言われていた。
「それから、ブリトニーを助けてやって欲しいというようなことを話していた。なぜ、唐突にそんなことを言い出したのかわからないが」
「……本当だね」
おそらく、少女漫画『メリルと王宮の扉』で私が処刑されることを危惧してだと思うが、あまり無差別に情報を広めるのは止めて欲しい。リカルドになんと説明すれば良いのか、私は頭を悩ませた。
ちらりとリカルドの顔を眺めると、明かりに照らされた彼の横顔が思いのほか沈んでいるように見えた。ものすごく悩んでいる……?
(確かに、逆の立場だと気になっちゃうよね?)
信じてもらえるかわからない。
けれど、仮にリカルドに記憶のことを知られても、彼なら絶対に私を危険な目に遭わせたりしないと信じられる。嫌われることもないはずだ。
意を決した私は、彼に真実を告げることにした。
「あのね、リカルド。私……本当に前世の記憶があるんだ。嘘みたいな話だけど、幼い頃にあなたからの婚約破棄を知らされた直後に記憶が戻ったの。石鹸や香水、その他の美容品は全部その頃の知識を元に作ったんだ。リュゼお兄様には一応そのことを伝えているけれど、あの人が信じているかどうかはわからない」
「確かに荒唐無稽な内容だが……俺は、ブリトニーの話を信じる」
なんと、リカルドは私の話を全面的に受け止めてくれている。
自分から切り出していてなんだが、こんなにも素直に信じてもらえるとは思わなかった。
その上で彼は告げる。
「それが本当だとすると、むやみに広めるべきではないだろう。ほとんどの奴は冗談で済ませるだろうが、お前を利用したい奴も出てくるかもしれない」
「うん。それでね、セルーニャ殿下も前世の記憶を持っているんだよ。それも、こことは違う世界の同じ国の記憶を……だから、私のことを心配してくれたのかもね」
本当はブリトニーの処刑を指しているのだろうが、私は少女漫画の内容をリカルドに告げるべきか悩んでいた。
すでに現実の状況は漫画と大きく異なっている。
アンジェラは改心したし、リュゼも無事。
私の処刑に関しては一応警戒すべきだが、その他の懸念事項は格段に減っているはずだ。
(なるべく黙っておこうかな。少女漫画なんて言い出されても、リカルドだって困惑するだろうし)
なにより、説明するのが大変だ。
まずは、日本の文化や「少女漫画とは何か」から解説しなければならない。果てしなく面倒である。
「黙っていてごめんね、リカルド。あなたに知られたくないから黙っていたのではなく、わざわざ言う必要性を感じなかっただけなんだ」
「そうか。でも、俺は真実を知れて良かったと思っている。リュゼや赤の他人のセルーニャ殿下が知っていて、俺だけブリトニーのことを知らないというのは複雑だ」
そう言って、リカルドは私の首筋に顔を埋める。
(なんだか、どんどん行動が大胆になってきているような……)
そっと背後を窺うと、リカルドが困ったように笑った。
「心配しなくても、何もしない。俺たちはまだ婚約前だろ? ……それも反対されている」
「そ、そんな心配はしていないよ!?」
リカルドは少し不器用なところがあるけれど、優しくて紳士的だ。
だからこそ、私はそんな彼が好きなのである。
「俺……信用されているんだな」
「あたりまえだよ! もう四年の付き合いだもの」
「ブリトニーの気持ちは嬉しいが、ちょっと複雑だ。いっそ、ブリトニーを抱えてここから攫ってしまえればいいのにと思う。こんなことを考えてはいけないとわかっているのに」
「今の私、かなり重いから運ぶのが大変だよ?」
かつて、リュゼは八十キロの時の私を抱えていたことがあるが……重いものは重い。
こうなったのは自分のせいとはいえ、リカルドに重いと思われるのは恥ずかしいのだ。
「俺は普段から鍛えているし、ブリトニー一人くらい運べる。帰りはおぶっていってやるよ」
成長するにつれ、リカルドにはどんどん余裕が出てきたようだ。私ばかりがドキドキしている気がする。精神年齢は上のはずなのに。
「だから、安心しろ」
私を抱きしめたままのリカルドは、さらに励ましの言葉をくれたのだった。
コミックの連載が始まりました。












