122:白豚ころりん
私からの伝言を受け取ったリュゼが指揮し、馬車はかなり速度を上げて山道を進む。
そうして、ぽつりぽつりと雨が降り始める頃に分岐点へと到着した。
「よし、ここを右に曲がる……ん?」
見ると、見知らぬ辻馬車が、分岐点を左に進んでいるのが見えた。
左側は崖沿いの険しい道で、このまま雨が降りだせば視界も悪くなり危険だ。
メリルもそれに気がついたようで、窓から身を乗り出して辻馬車に呼びかけた。
「そこの馬車、止まって! そっちは危険よ!」
しかし、辻馬車はどんどん先へ進んで行く。気づいていないのかもしれない。
「ちょっと、止まってってば!」
そうして、次の瞬間……メリルは信じられない行動に出た。
窓枠に足をかけて、馬車から飛び降りたのである。ドレスのスカートをたくし上げた彼女は、王女とは思えない素早さで崖の方へと駆けていった。
「メ、メリル殿下ぁ〜!?」
私はもちろん、護衛の騎士や従者からも悲鳴が上がった。
(油断したよ……! こうなる可能性はあったはずなのに!)
普通のお姫様ならこんなことはしないが、メリルは最近まで平民だった上に、正義感と行動力に溢れた少女漫画の主人公なのだ!
各話の中でも、度々無鉄砲な活躍をして周囲を仰天させていた。
「メリル殿下を追ってください! マーロウ様にも、お知らせしないと!」
近くの騎士にお願いし、マーロウへの使いを出した私も馬車を止めて彼女が戻るまで待機する。
王女を残してこの場を去る選択はない。
走り出したメリルは分岐点を左に曲がり、辻馬車をようやく捕まえた模様。御者の男に向かって大声で道を変えるよう訴えている。
しかし、御者の男は聞く耳を持たず、メリルを追い払おうとしていた。
相手が王女だとは思っていないのだろう。王族の顔写真がテレビで簡単に見られるのは前世だけだ。
騎士もメリルに追いついたが、彼女は頑なにその場を動かない。
相手が王女なので、騎士の方も強引にメリルを連れ戻せないみたいだ。
(仕方がないなあ……)
モタモタしていると、さらに雨が降り危険度が上がる。
私は急いでメリル回収の手助けに向かった。
辻馬車の乗客は小さな男の子と、彼を連れた母親の二人。御者は頑固そうな中年親父だ。
(とりあえず、彼女たちも回収して私たちの馬車に乗せよう。四人乗りだし、同乗者はメリルだ。あの人たちが一緒でも文句は言わないはず)
メリルに追いついた私は、彼女に馬車に戻るよう告げた。
「雨が強くなって来ましたし、ここは崖のすぐそばで危険です」
「でも……ブリトニー!」
「彼女たちをこちらの馬車に乗せて、迂回路を進めば大丈夫」
「そ、そうよね。そうしましょう!」
女性は心が揺れ動いているようだ。しかし、辻馬車の御者が難色を示した。
「俺は、さっさと目的地に着いてこの仕事を終わらせたいんだ! 天候が悪くなるっていうのに、めんどくせえ!」
この世界の辻馬車の御者は、気性が荒々しい者が多い。
昼間から赤ら顔で出歩き、道端に堂々と唾を吐く……お世辞にも上品とは言えない輩が主流。
この男も、そういった類の御者らしい。
(しかも、やっつけ仕事っぽい……)
私は、女性たちだけでも保護することにした。
ここで御者にあれこれ説いている時間はない。大きな雨粒が次々に降り注いでくるし、遠くの雷鳴も聞こえてきた。
「なら、私が彼女たちの運賃を払います。それで仕事は終わるでしょう?」
「ふん……なら、これでどうだ?」
予想通り御者は通常料金よりふっかけて来たが、そこまで多い金額でもない。
急いでいた私は、心配して駆け寄って来たマリアに頼んで支払いを済ませてもらった。
「さあ、みんなで馬車に戻りますよ!」
号令をかけてさっさとその場を後にしようとしたのだが、一人粘る人物がいた。メリルである!
「ダメよ。あの御者さん、この崖を先へ進む気だわ。なんとしても、止めないと!」
「わ、わかりましたから。あなたは先に馬車へ戻ってくださ……」
言い掛けたその時、雨で地盤の緩んだ崖の一部が崩れ、辻馬車の後ろの車輪が空中に投げ出される。
運悪く、その近くにはメリルがいた。
崖の傾斜を滑り落ちる馬車に巻き込まれ、斜面へ転落するメリルの腕を私はとっさに掴む。
しかし……
「ああっ!?」
最悪なことに私の足場も崩れ、ぬかるんだ斜面に投げ出されそうになった。
なんとか引き寄せたメリルを道の方へ突き飛ばす。平地に倒れ込んだ彼女は、間一髪で落下を免れた。
けれど、私の方は助からないだろう。傾く視界の中、眼下には生い茂る木々が見える。
助けを求める余裕もないまま、私は急斜面を転がり落ちていった。












