112:従兄の提案と大混乱
椅子に座った私は、テーブルの向こうにいる従兄を見上げ口を開いた。
「無断で私の縁談話をお断りするなんて、ちょっと横暴じゃないですか?」
「可愛い従妹を、変な場所へ嫁に出すわけにはいかないからだよ」
「また、心にもないことを」
ため息をつきながら、私はリュゼを見やる。
従兄は涼しい顔で、テーブルの上にある冷めた紅茶を口にした。
「嘘じゃないよ。ブリトニーを、どこへもやりたくない気持ちはあるから。このまま、ずっとハークス伯爵領にいて欲しい」
「それは、使い勝手の良い助手がいなくなったら困るからですよね。行き遅れのオールドミスとして、ハークス伯爵領に君臨しろということですか?」
「うーん、そういう意味ではないけれど。僕が言いたいのは……」
少し歯切れが悪そうに話すリュゼは、整った顔を私の方へ向けた。
「ブリトニー。君さえ良ければ……僕と婚約してみないかい?」
「…………お兄様、何を血迷っているのです?」
予想外の話が出たため、私は目を白黒させた。脳内の処理が追いつかない。
「年齢も五歳差だし、君の精神年齢は僕より上だろう? ちょうど良いと思って」
リュゼの年齢は、今で二十一歳だ。この国の男性にとって結婚適齢期である。
(そろそろ、相手を見つける時期だよね)
実際、リュゼには山ほど縁談話が来ている。
断られても、諦めきれず釣書を送りつけてくる令嬢も多い。
「でも、私たちは従兄ですし……」
「従兄同士で婚約するのは、珍しい話ではないよ。それに、ブリトニーも僕と結婚すれば、見知らぬ場所に嫁ぐより、やりやすいでしょう?」
「まあ、確かに」
リュゼは、私の過去を知っているので、色々と楽である。実際に信じているかは不明だが、私に日本の記憶がある前提で接してくれていた。
だから、私が荒唐無稽な話をしても、とりあえずは耳を傾けてくれるし、提案で使えそうなものがあれば、すぐに商品化してくれるのだ。
この環境は、非常にやりやすい。
とはいえ、従兄は他の誰にも、私の過去の知識を漏らしていない。
非現実的な話だということもあるが、万が一信じる人間が現れた場合、私の身が危険に晒されるかもしれないからだ。
過去にカミングアウトした後、他人に同様の話をしないよう、厳重注意されている。
「君の価値を、誰よりも一番理解しているのは僕だ」
「それは、そうかもしれませんが」
「ブリトニーとなら、うまくやっていけると思う」
「いやいや、私で妥協するのはやめましょうよ。他所のご令嬢の姿絵が、たくさん送られて来ているのは知っていますよ? その中から選べばいいじゃないですか」
「僕は、妥協しているわけじゃない。ブリトニーがいいんだ」
あっさりと、とんでもない言葉を吐くリュゼに対し、私は話を続ける。
「ですから、血迷わないでください、そして考え直してください」
冷静にそう返し、従兄の様子を窺うが、彼は考えを改める気がなさそうだった。
「そうなると、以前話していたリカルドとの婚約保留の件は……」
「言うまでもないと思うけれど、リカルドはアスタール伯爵領を継げない。彼との婚約は、なしだと思って」
「…………!」
頭を鈍器で殴られたような衝撃を受ける。
(そんな……)
記憶が戻った当初に言われたのなら、私は従兄の言葉を受け入れていただろう。
しかし、今は、こんなにもリカルドに惹かれている。
こんな勝手なことを思っては令嬢失格なのだが、リュゼに限らず他の相手との縁談は考えられなかった。
(諦めない、私は諦めない。なんとか糸口を探さないと)
リカルドを裏切るような真似はできない。
そんな私の葛藤を知ってか知らずか、リュゼは言葉を続けた。
「ブリトニー、婚約相手が僕では駄目?」
そう言って、深い海のような目を向けてくる。
(仮に、リュゼお兄様と婚約したら……)
今までと、変わらない生活が待っていそうだ。
変な場所に嫁がされれるより良いが、リュゼとの夫婦生活が想像できない。
(だいたい、お兄様は、私を好いていないんじゃないの?)
記憶が戻る前のブリトニーは、散々彼に秋波を送っていた。
にもかかわらず、従兄は、それを華麗にスルーしている。
「領地のために、無理に私と結婚しなくても……」
席から立ち上がったリュゼは、首を傾げつつ私の方まで歩いてくる。
「別に、無理をしているわけじゃない」
「でも、私のことが好きと言うわけではないでしょう? 領地を共同経営できる令嬢なら、他にも探せばいると思います」
「ブリトニーは、僕では駄目なの?」
「そうじゃなくてですね。せめて、好みの女性とか……」
「僕は、ブリトニーが良いのだけれど」
「からかわないでください。私は、真剣に……! ぐほっ……!?」
隣に回り込み、かがんで目を合わせた従兄は、両手を伸ばし私の頰を固定する。
おかげで、変な声が出てしまった。
「僕は、真剣だよ。冗談で、こんな話はしない」
「嘘……だって、お兄様は……」
全く、ブリトニーに興味がなかったではないか。
「ブリトニーが、どう思おうと、僕は今の君を好ましいと思っているし、君以外との婚約は考えられない」
「…………」
とっさに何も答えられない私は、誤魔化すようにテーブルの上の菓子を口に運ぶ。
手にしたのは、クリームのたっぷり乗った甘いタルトだ。
「ブリトニーが食べ物に逃げるときは、現実逃避したいときだと知っている。すぐにとは言わないから、少し考えて欲しいな」
なだめるように、ポンポンと私の頭を撫でるリュゼ。
「……わ、わかりました」
いつも一緒にいたせいか、この従兄は私の行動の意味をよくわかっている。
ストレスが高まり混乱すると、すぐ食べ物に逃げてしまうのは悪い癖だ。
(お兄様との婚約も、悪くないのかもしれない。リカルドのことさえなければ)
駄目だと言われても、まだ彼のことを諦めきれない自分がいる。
リカルドが私を想ってくれている限り、一緒になる未来を捨てたくない。
(リュゼお兄様が、私のことを好ましいと思っているなんて信じられないし)
普段の彼は、はっきり言って私に厳しい。
(さりげなく助けてくれることも、時にはあるけれど)
ふと、ミラルドとの会話を思い出す。
あの時のリュゼは、私のことを彼にやるくらいなら、自分が婚約すると言っていた。
(まさか、全部本気なの……!?)
過去の言葉が事実だと認識した私は、混乱の境地に達する。
「ところで、話は変わるけれど」
「は、はい!?」
行動停止に陥った私を気遣って、リュゼが話題を変えてくれたようだ。正直、ありがたい。
「メリル殿下とのお茶会は、微妙だったみたいだね。ノーラ嬢が、荒れていたし」
ノーラの叫びは、同じ建物内にいたリュゼのところまで聞こえていたらしい。
「ええ、まあ。少し独特な方で……おそらく、うちの主力である美容系の商品に興味はないと思われます」
なんせ、化粧はしないと豪語していた。
「新たな広告塔にと思っていたけれど、残念だなあ」
「そ、そうですね。今後どうなるかはわかりませんが、今は難しいでしょう。彼女の気に入る商品があれば良いのですが」
「ふふ、顔に書いてある。あまり関わりたくないってね。いいよ、無理はしなくても。今は、マーロウ殿下とアンジェラ殿下で間に合っているから」
気を使ってくれているのか、今日のリュゼは私に甘かった。












