21話 倒れた聖女
グリフィン公爵邸に用意されたティアの部屋は、本来、フェルナンド様の妻であるリーゼの部屋だったが、フェルナンド様はそれを拒否し、リーゼには屋敷の中でその次に広い、だが、フェルナンド様のお部屋からは離れた部屋を用意した。
今、ティアに与えられた部屋はフェルナンド様の部屋に繋がる夫婦の部屋で、それだけで、私とティア、フェルナンド様の関係が明白になっているようなものだった。
「ティア……大丈夫?」
その部屋の大きなベッドで横になるティアの手を握り締めながら声をかけると、ティアは呼びかけに答え、薄らと目を開けた。
「大丈夫ですよ、リーゼ様……心配かけてごめんなさい。つい、リーゼ様の顔を見たら安心して、気が抜けてしまいました」
大丈夫、と口では言いながらも、顔色も唇の色も、全てが悪い。
「無理しないで、体調が良くなるまで、ゆっくり休んで」
「……でも、聖女の活動が……」
「大丈夫、フェルナンド様が聖女に無茶をさせないようにって、陛下に掛け合ってくれてるから」
聖女が倒れたら、元も子もない。
きっと今回の件で、無茶な旅の日程を組むことはなくなるでしょ。全く……推しに無茶させて倒れさせるなんて、許さない!
「今は元気になることだけを考えて、ね? 後でジークもお見舞いに来てくれるって言ってたよ」
「ジーク兄さんも……嬉しい……」
(良かった、やっと笑ってくれた)
聖女としての役目を必死に果たそうとするティア。
小説では、こんな時でも、ティアの傍にはフェルナンド様しかいなくて、ずっとずっと、フェルナンド様がティアを支えていた。
(……自分も聖女の世話役として旅に付き添って、戻って来てからも仕事して――フェルナンド様はいつ、休むつもりなんだろ)
今、ここにフェルナンド様の姿はない。フェルナンド様は聖女の活動を調整するよう、陛下に進言するために皇宮に向かった。いつも通り、何も変わらない態度だった。だけど――ティアの顔色は真っ青だったけど、フェルナンド様はどこか、顔が火照っているように赤くて――平然としていて、上手く隠していたけど、ティアを渡した時にふと触れた手の熱さと近さから、気付いてしまった。
彼もまた、体調を崩しているのだと。
◆◆◆
「聖女に無茶をさせて倒れさせるなんて、どういうつもりですか!」
皇宮の会議室で開かれた会議で、ここぞとばかりに大声を出し、聖女が倒れてしまった失態を糾弾するこの男の名は、キングス侯爵だ。
「陛下! このままグリフィン公爵に聖女を任せていれば、聖女は壊れてしまいますよ! 公爵位とは言え、このような若造に聖女を任せるなど、荷が重すぎたのです!」
自分の出世と権力にしか興味がなく、聖女が現れた時には、いち早く自分が聖女の世話役になると名乗り出た。
(それを娘の所為で手放しておいて、図々しい男だ)
「聖女の活動をもっと積極的にするべきだと仰ったのは、キングス侯爵のはずですが? まさか、前回の会議でのご自身の発言をお忘れになったのですか?」
「そ、それは――」
「俺は聖女の心や身体の様子を考えて、強行な活動には反対しましたよね?」
闇に汚染されている土地の住民を持ち出して、無理矢理、陛下を納得させたくせに、何を言うかと思えば、馬鹿馬鹿しい。
「五月蠅い! それとこれとは別です! 聖女を倒れさせたのは、グリフィン公爵です! 私が世話役のままでしたら、聖女は倒れなかったでしょう!」
「倒れないでしょうね、例え倒れたとしても、貴方は、隠蔽されるでしょうから」
「何だと!?」
「もう止めないか!」
加速する言い争いに終止符を打つように、陛下が机を叩きながら、声を上げた。
「……かしこまりました」
「へ、陛下……くっ、はい」
俺が若くして公爵位に収まったのが気に入らないのか、優秀だと褒め称えられているのが気に入らないのか、令嬢達からチヤホヤされているのが気に入らないのか、俺を押しのければ自分が公爵位を手に入れられると思っているのか、キングス侯爵は何かにつけては、俺を攻撃していた。
「全く、お前達は……もうよい、無茶な日程を組んだこちらにも責任がある。暫く聖女には休みを与える。今後、聖女の活動についても、世話役の判断を最優先としよう」
「そんなっ、陛下! もう一度、私に聖女をお任せ頂ければ――」
(自分の娘が聖女を虐めていたことにも気付かなかったクセに、よく、そんなことが言えたものだな)
「くどい! ワシの決定に逆らう気か?」
「っ! も、申し訳ありません……!」
キングス侯爵は苦虫を嚙み潰したような顔で、拳を握り締めていた。
「――お疲れ様でした、フェルナンド様」
面倒な報告を終え、グリフィン公爵邸へ帰宅すると、すぐに執事のミセスが俺を迎えた。
「ティアは?」
「お休みなられています、リーゼ様がずっと、ティア様に付き添われています」
「ずっと? 今もか?」
「はい」
「……そう」
朝にここに戻ってから、今の時刻はもう夜遅い。それまでティアの傍にいてくれたのかと、思わず聞き返してしまった。
「リーゼ」
「フェルナンド様、ミセス」
ティアの部屋には、ミセスの言う通り、リーゼの姿があった。
「ティアの様子はどうですか?」
「まだしんどそうですけど、お医者様は過労だって言っていましたし、安静にしていれば問題ないそうですよ」
「そうですか。では後は変わりますので、貴女は部屋に戻って下さい」
「え、あーー」
歯切れが悪そうに言葉を濁したリーゼは、そのまま、明後日の方向を見ながら、言葉を続けた。
「あの、私、ティアにずっと傍にいるって約束しちゃったんですよね」
「ずっとって……まさか、泊まり込んで看病する気なんですか? リーゼ様が?」
俺ではなくミセスが、驚いたように声を上げた。
「看病と言っても、ティアは精神的な疲労が大きいみたいですし、傍に誰か一人でもいてあげたらいいと思うんです。だから、私が――」
「必要ありません、ティアには俺が付き添います」
彼女の言葉を遮り、口を挟む。聖女の世話をするのは、世話役である俺の仕事だ。リーゼがする必要はない。
ハッキリと拒絶したはずだが、彼女は諦めなかった。
「でも、約束したのは私です。目が覚めて私がいなかったら、ティア、寂しがると思うん……ですけど、多分」
自信なさげに語尾が弱まるのは、自分が聖女にとってそんな風に思われるかの、不安の表れだろう。
(……意味の無い不安ですね、ティアがリーゼを友人と想い信頼しているのは、明らかなのですから)
旅の最中、何度ティアはリーゼの名前を口にしただろうか。早くリーゼに会いたいと、帰ってお話がしたいと、笑顔が見たいと、いつも話していた。
「お願いします、フェルナンド様」
「……いいでしょう、ですが、ティアが少しでも拒むことがあれば、すぐに出て行ってもらいます」
それだけ言い捨て、部屋を出た。
「いいんですか? フェルナンド様」
「聖女が望んでいるのなら仕方ない、何か異変がないか、常に確認はしておけ」
「かしこまりました」
とは言え、ティアのことを気にしないですむのは、正直ありがたかった。
(以前までなら、例え何があっても、リーゼに聖女を任せようなんて思わなかったのに、今はティアの傍にリーゼがいると聞いただけで、安心出来た)
旅の間、ティアには自分しかいないことに、日に日に弱っていく彼女を見るのに、疲れてしまったのかもしれない。
「あのリーゼ様が他人のお世話をするようになるとは、驚きですね」
最初の頃はリーゼを信用していなかったミセスも、今は、ある程度信用しているように見えた。




