第76話 宿屋の朝
目が覚めた。
かなりの寝不足だ。
夕べは、みなが宿に帰ったあともボンフェラートと酒場で話しこんだ。酒場が閉まってからは、街路樹の下にあった長椅子にすわり話しつづけた。
朝方に宿屋へ帰り、ついさきほど寝たような気がする。なのにふしぎと目が覚めてしまった。
となりの寝台ではボンフェラートが寝ている。かなり頭のつかう話を長時間にわたって話した。疲れているだろう。
話した内容は、これからのことだ。国を興すとは言ったものの、前途多難だ。しかし、策はないことはない。ヒックイト族を巻きこんでもいいし、別で人数があつまれば街を乗っ取ってもいい。
それにはまず、力をつけることだ。一年二年でなせる話ではない。また、一生をかけて失敗するかもしれない。それでも、不可能ではない。
ふと気づいた。宿のなかが静かだ。ようすを見ようと起きあがったら、戸をたたく音がする。グラヌスが顔をのぞかせた。
「ラティオ殿、この宿、だれもおらぬ」
「なにっ!」
廊下にでた。静まりかえっている。
となりの部屋の戸をたたいてみるが返事はない。開けると、部屋に人はいなかった。そのとなりの部屋も見たがおなじだ。
「旅の異種族らよ、武器を捨て、いますぐでてこい!」
外から声がした。部屋にもどり窓の外を見る。兵士があつまっていた。
おれらが泊まった宿屋は、街の入口から真っすぐ石道を歩いたところにある。四階建ての大きな宿屋で、その四階の角部屋がおれの寝た部屋だ。
宿屋の正面には、大勢の赤い上着をまとった男がならんでいた。腰には剣。王都の兵士だ。そのまわりには見物人もあつまり始めている。
おれの部屋に仲間があつまった。
「朝からレヴェノアの街はにぎやかだ」
ヒューが人ごとのように言う。
「われらのことにまちがいなさそうだが、なんの罪なのだ?」
グラヌスが首をひねった。
「あの人!」
窓の外をのぞいていたアトが声を発した。おれものぞいてみる。
ならんだ兵士のまえに、ひとりだけ服とおなじ赤い布の頭巾をかぶった男がいた。あれが兵士長か。
いや、アトが言ったのは、そのとなりだ。昨晩に酒場でおれらに注意しにきた酔っぱらい。
「なんだ、昨日の話が反乱罪にでもなるのか」
おれはそう声にだしたが、兵士長らしき男が羊皮紙を持ちあげ、高らかに読み始めた。
「人間族のアトボロス、犬人族のグラヌス、猿人族のラティオ、鳥人族のヒュー、バラールの都より手配書が届いている。すみやかに投降されよ!」
そっちか! あのとき、四人はバラールの保護下になった。バラールの役人に素性は伝えたが、まさかそれが仇になるとは。
あのグラヌスが切りふせた宿屋の賊、意外と大物だったのかもしれない。または大物の親族か。バラールが国としておれらを手配するとは考えにくい。上のほうの権力を持つ者による仕業だろう。
「隊長、賞金首になっちまったんですか」
ドーリクがあきれている。そう、バラールの手配書であれば、賞金がかかっているはずだ。あの兵士長が張り切っているのは、そのためか。
昨晩の酔っぱらいが怪しいやつがいると兵士に告げた。それを聞いた兵士長がバラールからの手配書を思いだした。そんな流れだろう。
「しかし、乗りこんでこねえな」
威嚇するだけで、乗りこんではこない。ふしぎに思っていると、それについてグラヌスが説明した。
「あの兵士長は、おそらく実戦が初めてだ。とりあえず兵士をならばせているが、自分なら、とうに半円陣で剣をかまえさせる」
兵士長が部下のふたりに声をかけた。そのふたりが剣をぬき、しんちょうに宿の入口に近づいてくる。
「アト、弓だ」
アトに弓を持たせ三階に走っておりた。まんなかあたりの客室に入る。
「兵士の足下に矢を刺してくれ。兵士には当てないようにな」
アトがうなずく。弓をかまえるまで待って、おれは窓に手をかけた。
窓をあけ、おれがのけると同時にアトが身を乗りだし矢を放った。矢が兵士の足もとで跳ねる。
忘れていた。剣先も刺さらない石畳だった。あのじいさん、たいしたものだ。
ラウリオン鉱山を思いだす。最初に助けた老犬人は、あの石畳を造った石工だった。
「近よれば弓を放つ。支度をするので二刻ほど待て!」
窓から怒鳴った。
「二刻?」
アトがふしぎそうな顔をした。
「ああ。近よるなって脅すだけじゃなく、時間を決めてやれば、それまでは近づかねえ。ほっとけば解決する見込みがあるなら、だれしもそうする」
なるほどと、アトは納得した。期待を裏切らず、兵士長は石畳のわきにある三角の石像を見にいった。日時計だ。
おれとアトは四階の部屋にもどった。
「長縄、探してこようか」
ヒューが提案したが、おれは首をふった。
さすがに昼間だと綱でおりるのは目立ちすぎる。兵士がならんでいるのは正面だが、建物の裏手にも数はすくないが赤い服の男が見えた。
この宿からまわりの建物までは距離もあり、屋上から綱渡りすることもできない。
ヒューは、アトとマルカなら軽いので抱えて飛べる。ひとりずつ屋上から逃がし、ほかは四方に一斉に逃げる。それが最上策のように思えた。
「兵士がざっと百。ヒュー、アト、マルカ以外の五人が散りぢりに逃げたとして、ひとり二十人か」
まあ、できないことはない。
「一回捕まって、そこから逃げるという手もあるの」
ボンフェラートが付け加えた。そう、それだ。どっちが全員の生き残る可能性は高いのか。
ただし、予想したように個人の私怨による手配書であれば予測がつかない。捕まってバラールへ移送されているあいだに、殺しの使いが来そうだ。
アトの結んだ唇が白い。長く一緒にいて気づいた癖がある。アトが口に力を入れてきゅっと結んでいるときは、なにか思いはあるが言わないときだ。
「アト、なにか言いたいのか?」
びっくりしたように少年は顔をあげた。
「なにも」
「嘘つけ。なにか考えてるだろ」
アトはまた、口をきゅっと結んだ。
「まあ、逃げる方法は限られる。要は、いま逃げるか、捕まってから逃げるか、そこだな」
ふいに、グラヌスが背筋をのばす。
「待たれよ」
グラヌスにみなが注目した。
「昨夜、ここにいる一同は王への忠誠を誓った」
そのとおり。おれもみなも、うなずいた。
「であるなら、この危機的状況、王の御心を聞くのが筋ではないのか?」
それは一理ある。
「アト、なにか策などないか?」
「策なんてなにも・・・・・・」
「アト殿、思うことでもいい」
グラヌスに強い眼差しで見つめられ、アトは居心地が悪そうに、もぞもぞと話し始めた。
「ぼくが思ったのは、なんだか逃げてばかり。どうやったら逃げなくて済むのか、それを考えていただけで・・・・・・」
それを聞いたマルカが口をとがらせた。
「アト、いや、王様、あたしら味方の兵士がいるわけでもなく、逃げるしか・・・・・・」
「マルカ、待て」
猫人娘の言葉をさえぎった。いま聞かなくていい話かもしれない。しかし、われらが王と見こんだ少年だ。聞いておきたい。
「アト、なんでそう思う?」
「なぜ・・・・・・」
アトがすこし考えこみ、口をひらいた。
「うまく言えないけど、ぼくらは国を作ると言った。国ってなんだろう。それを考えて寝れなかった」
マルカがさらに口をひらこうとしたのを、小さく首をふって止めた。アトはいま、一生懸命、自分の考えを語ろうとしている。
「よくわからない。よくわからないけど、麦の収穫はひとりではできない。村人全員の協力が必要だと、父さんは言っていた。国とはそういうことなのかなと。麦があれば冬を越せる」
ボンフェラートがゆっくりうなずいた。
「王よ、なにもまちがってはおらん。そのとおりじゃ」
アトはひとつ大きく息をついた。ボンフェラートの言葉ですこし安堵したようだ。
「ラボス村で、ぼくだけが生き残った」
とつぜんの言葉に、みなが身を固くした。
「父さんも一緒にくればよかったのに、そう思うことがある。でも、それはちがった。父さんは村長だ。困難から逃げる父さんを見たことがない。王様ってなにかわからないけど、父さんのようになれば、いい王様ではないか」
アトはおれを見て笑った。
「昨日から、そんなことをずっと考えていただけ。いまの状況とはちがうのも、わかってる」
おれはうなずこうとしたが、グラヌスが目を閉じているのが見えた。
「なにも、ちがわぬ」
そうつぶやき、目をあけた。
「イーリク、ドーリク!」
「はっ!」
名を呼ばれ、ふたりは片膝を立てた。
「われらが王は、言われなき罪で臆することもなければ、敵に背をむけることもない。堂々と正面から街を去る」
グラヌスは立ちあがった。
「王よ、ためらいなく進まれよ。それを守るは、戦士の役目」
「おお・・・・・・」
ドーリクも立ちあがった。
「このドーリク、道ふさぐ者あれば、いかなる敵も粉砕してみせましょうぞ」
「言うたなドーリク。指一本、王の身に触れさせば戦士失格と思え」
「はっ!」
「指どころか、跳ね返るひとかけの泥さえも」
最後にイーリクまでもが立ちあがる。
なるほど。これで宿からでる方法は決まった。ため息をひとつつき、腹をくくった。
正面突破だ。




