第74話 ヒキガエル亭
レヴェノアの街にある酒場の一角に陣取った。
「ヒキガエル亭」
というなんとも変わった酒場だ。
この店を選んだのは人がすくない、それに尽きる。おれたちは異種族ばかりの一団だ。目立ちたくはない。
店内は年期の入った黒ずんだ木目板の壁でおおわれ、おなじく年期の入った食卓机がならんでいた。
店は外から見るより広く、壁ぎわの階段をあがれば中二階もある。しかし店内に客はまばら。
その中二階の下になる奥まった席の食卓机に座った。
「変わった旅の一座だね。なんにする?」
この店の女主人らしき婦人だ。適当に料理と麦酒を頼んだ。
おれは、あらためて座った面子をながめる。
アト、グラヌス、ヒュー、イーリク、ドーリク、ボンフェラート、マルカ。そしておれ、ラティオの八人。みな怪我もなく無事にもどってこれた。
あのあと、廃坑から山すその村へ帰ると馬車が数台きていた。
馬車をあやつる御者は、領主の使いだった。聞けば、おれたちが出発したあとに領主が手配したらしい。遠目から鉱山のようすを確認し、もし怪我人がいれば乗せて帰れと。
兵士にも報告してあると御者は言ったが、ここまでその姿を見ない。すぐ動く気がないのだろう。それを見越して手を打ったか。やはり頭の切れる領主だ。
三人の赤子と助けた村人は、領主の使いにすべて任せた。赤子の親は、よそ者のおれらが探すより領主が探したほうが早いだろう。
ただし、連れ帰った三人の赤子のうち、ひとりは母親がいた。坑道に逃げた村人のひとりだ。
グールが村を襲う騒乱のなか、消えた子はグールに喰われたと思っていたらしい。
わが子を抱きしめ、母親は泣き崩れた。
あれ以上、廃坑を探しても赤子が見つかるとは思えない。おれたちもレヴェノアの街まで帰ることにした。
今晩はレヴェノアの街で宿をとり、明日にソロア村でいいだろう。みな疲労困憊だ。
そしてソロア村の村長に報告したのち、どうするか。まだなにも決まってない。
「はいよ、麦酒が八つ」
考えに沈みかけたとき、女主人の声でわれに返った。
女主人は太い腕で、大きな陶器の杯を八つまとめて取っ手でにぎっている。
どんっと乱暴に女主人は置いた。なみなみとつがれていた麦酒がすこしこぼれる。
ひとつを手にとり、口へ運んだ。
「乾杯」
よこにいたグラヌスが杯をかかげ、そっとやさしく言った。おれの故郷ヒックイト族が乾杯のときに使う言葉だ。
「乾杯」
おれも杯をかかげ返し、一口飲んだ。
「・・・・・・うめえな」
思わず声が漏れた。このアッシリア国にきて麦酒を飲む機会に何度か恵まれたが、そのどれとも味がちがった。ここの麦酒は香ばしさが強い。
ほかの仲間もおなじように感心した顔で二口目を飲んでいる。アトとマルカだけは、すこし口をつけただけだ。
「レヴェノア産の大麦でつくる麦酒だよ。おいしいに決まってる」
だれかと思えば、おれのうしろで女主人が腰に手を当て立っていた。なるほど大麦か。ほかの地域で飲む麦酒は、小麦だったおぼえがある。
「まあ、麦酒もおいしいけど、うちの旦那がつくる料理のほうが、もっとおいしいよ」
それはどうだろう。まばらな客を見る限り期待はできない。
「ほら、最初のがきたよ」
店の女給らしき犬人の娘が大皿を運んできた。皿には骨のついた肉と、ごろごろと丸のまま野菜を焼いたものが載っている。
女主人がそれを小皿に取り分けた。肉は牛のあばら肉のようだ。手で持ち一口かじる。
「これは、うまい」
おれのかわりにグラヌスが声を漏らした。
そう、うがって見てしまったが、女主人の言うとおり料理はうまい。あばら肉は塩と香辛料だけかけているが、青々しい香りが、ほのかにする。
「木の実油か?」
女主人が感心したように腰に手を当ておれを見た。
「あんた、猿人なのに鼻がいいね。そうだよ、木の実油をかけて火釜で焼くのさ」
「火釜?」
「パンを焼いたりするのとおなじ釜さ」
なるほど。野菜も食ってみたが、いい焼け具合だ。野菜も木の実油の風味がした。
食べていると、ほかの料理もきた。パンもここの大麦でつくるらしく、色の濃いパンだった。ひとつの大きさは人の頭ほどある。
ほかに玉葱と牛肉の炒めたもの、きざんだ無花果と数種のゆで豆を混ぜたものなど、どれもうまかった。
皿の料理は飛ぶようになくなっていく。運ばれていくさきは、主にグラヌスとドーリク、ふたりの口だ。
「こりゃ、追加が必要だ。用を足すついでに頼んでくるぜ」
おれは席を立った。酒場の外に手洗い場があったはずだ。いきがけに女主人に声をかけ、店をでた。
用を済ませ店に入ろうとして見あげた。銅板の看板が入口の上にある。ヒキガエルの絵だ。
この店、料理はいいのに客がすくないのは、この名前が原因の気がする。あとは古い木目の壁が長年のパイプの煙に燻され黒ずんでいる。そのせいで店内の雰囲気が暗かった。
店に入り席にもどろうとしたら、厨房の入口から男がじっと見ていた。見ている方向は、おれたちの席だ。
「店主、どうかしたかい?」
歳は四十あたりに見えたので、店主と予想して話しかけた。
「ああ、あの旅の一座がな」
異を唱えなかったので、やはり店主か。つまりあの女主人の夫、うまい料理を作った本人か。
店主は小柄だが、顔はドーリクのようにいかめしい男だった。それが腕を組み、おれらの席を見ている。なにかやっただろうか。
「子供がかなり疲れている」
子供? アトかマルカのことだろうか。
「男のほうか、女のほうか」
「少年だ」
なら、アトか。あまり普段とは変わらないように見える。
「ここから見てわかるのか?」
「いや、さっき追加の料理を持っていったところだ」
「ほう、やつれでもしてたか」
「そうじゃねえ。肉に手をつけてねえ」
肉? 思わず首をかしげた。
「あの歳の子が肉を食わねえなんざ、あり得ねえだろがい」
なるほど。それは正しい。思えばアトが弱音を吐いたのを見たことがない。言わないだけで、からだはまだ少年。闇の精霊と戦ったんだ。身も心も疲弊しているのかもしれない。
「意外なことだがな、店主」
「なんでえ」
「あそこの全員が、まとめて少年に命を助けられたとしたら、信じるかい?」
店主はおどろきの顔で、おれを見た。話は本当だ。アトがいなければ、あの闇の精霊に勝てなかった。
「あんた、お仲間かい」
おれはうなずいた。
「なんだ、だらしねえ。おとながしっかりせにゃ」
「まったくもって、そう思うぜ」
「ちょっと滋養のつくものでも作ってやる」
店主はそう言って奥に消えた。
席にもどり食事をつづけると、女主人が皿をもってきた。
「うちの旦那からだよ」
皿をアトのまえに置いた。入っていたのは麦粥だ。
「ぼくに?」
ふしぎそうにアトが聞いた。
「アト、おれの家で米の汁が好きだったろ。かわりに頼んでおいた」
「ありがとう」
適当にごまかした。アトが木のさじで一口飲むと、目を輝かせる。
「おいしい」
「うちの旦那が秘蔵してた飛びきりの蜂蜜を使ってたよ」
あの店主、顔はいかついが心は繊細なのかもな。
アトが麦粥を食べ終わるころには、みなの食事も一段落した。いや、ドーリクはまだ食っているか。
おれは麦酒を飲みながら、壁に貼られたテサロア地方の地図をながめた。さて、これからどうするか。
「ソロア村へ報告にいき、そのあとはどうしますか?」
イーリクが口をひらいた。やはり、そこを思うか。
「わが家にきていただいても問題はありませんが」
フーリアの森か。それも悪くはない。しかしアッシリア国ってのは大丈夫なのか。この南にある鉱山までグールに襲われた。これでほぼ全土だ。呪われてるとしか思えない。
いや、待てよ・・・・・・
おれは壁の地図を見つめた。まず始めにラボス村。そのあとペレイアの街。次にギオナ村。
そして、あの鉱山窟。
「なんてこった・・・・・・」
おれのつぶやきに、みなが注目した。
「どうした、ラティオよ」
ボンフェラートに壁を見ろと、あごで示す。
「ふむ。この地方の地図じゃな」
「ボンじい、グールがでた順を追ってみろ」
指で追っていき、ボンフェラートが止まった。気づいたか。
「ラティオ殿、言われている意味がわからぬ」
グラヌスが聞いてきた。
「北から順に、街道の拠点。それを潰している」
グラヌスは地図を見て、指をさした。
「そうか、アッシリア国外に出る街道だな。たしかに北の果てはペレイア。西の果てはギオナ村か」
グラヌスはまだ感づいてない。
「わからねえか。これはな、もう軍事行動だ」
おれの言葉に、みなが動きを止めた。




