第64話 名もなき村
名もない小さな村だった。
目指しているソロアの村も近い。
ただ目指すだけでなく、道すがら民家があれば立ち寄る。人さらいが起きていないか聞くためだ。
畑にいた村人に聞くと、この村で人さらいは起きていない。水をわけてもらえないかと聞くと、ふたつ返事で井戸を指さした。ウブラ国でもそうだが、街より小さな村のほうが旅人にやさしい。
ちなみにヒックイト族に水をくれと旅人が来たら、ゴオ族長が首を切る。というのはヒックイト族が陰でいう冗談だ。
村の井戸で水を飲み、しばらく休む。
井戸を中心として、小さな道がいくつも伸びていた。山すそにある村で、すべての家を数えても十軒もない。
「グラヌス、遅いな」
アトが心配そうな顔をした。
村人からグールが裏山にいるかもしれない、そう聞いてグラヌスだけが山へ入った。
あの九頭の蛇と戦っていらい、グラヌスはひとりで戦うのを好んだ。また、グールがでたと聞けば、率先して退治しにでかける。
ほとんどはグールではなく、野生の動物であったりするのだが、まれに大土竜などもいた。ひとりでいくと豪語するだけあり、ひとりで退治して帰ってきた。
怪我をして帰ってくることも多かったが、それでも、いまはひとりで戦いたいそうだ。
グラヌスは変わった。それがいいことなのか。判断はつかないが、なにか思いつめたようすでもない。どちらかと言えば突き抜けている。
「グールではなく、猪であったわ」
うわさをすればだ。グラヌスが帰ってきた。剣に血がついている。その猪はしとめたようだ。人里の近くまでおりた猪は畑を荒らす。この村のためにはなっただろう。
剣についた血を井戸水で流し、腰にもどした。
「グールめ、なかなか会えぬ」
「おまえな・・・・・・」
ひとこと物申そうとしたが、アトが手をあげる。
「なにかいた」
おれはすぐ、みなに隠れるようにうながした。井戸から一番近い家の陰に移動する。
「隠れるほどのことか?」
グラヌスが状況を測りかねたようすで、首を伸ばし通りを見た。
「念のためだ。いろんな村に立ち寄ったのは話を聞くためだが、まだ人さらいが来ていない村を把握しておきたいのもあった」
犬人戦士の顔を見ると、腑に落ちてないようだ。
「おれが人さらいなら、一度さらった村に二度目はいかない」
グラヌスがはっと目を見ひらく。理解したようだ。おれは注意ぶかく家の陰から道のさきをのぞいた。
アトが見たのは、道のさきにある一軒の家だ。なにかが家に入ったらしいが形は定かではないらしい。
その、なにかがでてきた。大きな黒い狼。
「おい、あれって・・・・・・」
おれが言う前にアトがうなずいた。
「ラボス村で死骸を見た。グールだ」
おぼえがある。狼に似ているが、からだは狼より二回りは大きい。
その黒い狼は、大きな編み籠をくわえていた。
「赤ちゃん籠だ!」
駆けだそうとしたアトの肩をつかむ。犬人の戦士も飛びだそうとしていた。
「グラヌス待て!」
声を押し殺し素早く言った。黒い狼がもう二匹あらわれる。
「ラティオ殿、赤子が危険だ!」
「待て、グラヌス!」
通常の狼でも人はかなわない。それがグールで三匹。こちらは八人。
女の絶叫が聞こえた。母親だ。畑から帰ってきたのか、手に野菜を持っている。
アトとグラヌスが飛びだした。くそっ! おれも剣をぬき走りだす。
三匹の黒い狼がこっちに気づいた。狼が駆けだそうとして、くわえた編み籠の取っ手がちぎれる。なかから赤子が落ちた。赤子がびっくりして泣く。
黒い狼は赤子にかまわず駆けだした。山のほうへ逃げるつもりか。
母親は、わが子をひろい抱きしめた。
「旅のかた、助かりました」
腰がぬけたのか、地面にへたりこむ。
「この子が食われるところでした」
母親は赤子にほほを寄せた。いや、狼は赤子を食おうとはしていない。
「ラティオ、さっきのって・・・・・・」
アトが言いたいことはわかる。おれはうなずいた。
「ソロア村の人さらい。グールだったとはな」
グールが赤子をさらう。理由がさっぱりわからん。
「ボンじい、どうなってんだ?」
「わしが聞きたいわい」
老賢人でもわからない話か。
「ラティオ、さっきのグールを追おうよ」
アトの言葉を聞いたグラヌスが、首をかしげてふり返った。
「アト殿、敵はもう山へ逃げた」
「そうだよ」
「影も形もない」
「そう、だから追うんだ」
グラヌスが腕組みし、考えこんでいるようだ。そうか、おれとアトは山の育ちだ。獲物を追うのは慣れているが、みなは初めてなのか。
「いこう、ラティオ」
「アト、グールが何匹いるかもわからねえ。危険だ」
「でも、好機だ。巣穴が見つかれば」
「待ってくれ、ふたりとも。言われている意味がわからぬ」
グラヌスが割って入った。
赤子がまた泣きだしたので、母親とともに帰ってもらう。腰をぬかした母親は、取っ手のとれた編み籠に赤子を入れ、四つん這いで引きずっていった。
これは手伝ったほうがいいのか。しかし猿人が犬人の赤子を抱くと、怖がられるかもしれない。やめておこう。
気を取りなおし、仲間を見た。みな腑に落ちない顔をしている。説明したほうがいいか。
「おれやアトは、山で狩りをするとき、獲物を追いかけてしとめる。それは半日のときもあれば、一日のときもある」
みな、まだ浮かない顔をしていた。
「どうやって追うんじゃ?」
ボンフェラートは数年前にアグン山にきたが、思えば狩りに同行はしていなかったか。里のなかでは治療師のような仕事をしていた。
「足跡やフン、それに曲がった草や木の枝。なにもない荒野だと追うのは難しいが、山なら痕跡が残りやすい」
なるほどと、みなが相づちを打った。いくしかないか。このままソロアの村をたずねても、解決の糸口はありそうにない。
「おれ、アト、グラヌス、ヒューの四人で追うか」
「ぜひ、このドーリクも一緒に」
犬人の大男が一歩でた。
「いや、すくないほうがいい。おれとアトだけでもいいが、念のためグラヌス。このなかで足が一番速そうだからだ。ヒューはなにかあったとき、みなに知らせてもらう」
ボンフェラートとイーリクがうなずいた。このふたり、考えかたがおれに近い。
「ほかは馬を連れてソロア村へ。巣穴が見つかったら、おれらは帰る」
グールの巣穴など聞いたことがない。だが、赤子を持ち帰ろうとした。どこかに拠点はあるだろう。
拠点、という言葉が浮かんだ自分に笑えたし、ぞっとした。まるで人だ。
「今度こそ、グールか」
グラヌスが目を細めた。人類でグールを待ちわびているのは、この男ぐらいだ。戦士として頼もしいんだか、やっかいなんだか。
そして必要な装備だけ持ち、おれら四人は山へと入った。




