第63話 再びの荒野
アッシリア国の荒野を南へと馬をすすめる。
ふと親父や、おふくろを思い浮かべた。この時期、ヒックイトの里では雪どけの畑に種まきをしているころだ。まさか息子のラティオが、これほど遠くの地にいるとは夢にも思わないだろう。
馬の背に揺られていると、小さな緑地を見つけた。みなで休憩をとることにする。
ちょろちょろと音がすると思ったら、湧き水だ。大きな岩と岩のあいだから染みだしている。水は窪地にながれ小さな泉を作っていた。
人と馬の喉をうるおしていると会話が聞こえてきた。
「グラヌス、その村までは、まだ?」
「アト殿、気が早い。まだ半分ぐらいだろうか。だが、すこし急がねばな」
おれはつねづね思う。なんでこう、犬人ってのは義理がたいかね。その義理がたさが、今回の旅の原因とも言える。
おれたちがフーリアの森で最上級獣を倒したのは、木の葉が燃えるように紅い秋だった。それから、ひと冬を過ごし、新芽のあわい緑が森に生えるころ。避難していた人々が、ぽつりぽつり森に帰ってきた。森が安全になったと伝聞で広まったのだろう。
帰郷してくる人の数は、意外に多かった。広大な森のなかに住民は気ままに散らばっている。把握しずらいが、森の民はヒックイト族より多いのかもしれない。
あらたな顔に出会うたび、おれたちは感謝された。悪いことではないが、名が売れれば面倒も起きる。南のほうの村に避難していた男が、おれたちの家を訪ねてきた。
「ソロア、という村です。兄の家族がおるのですが、その村で赤子が消えたのです」
おれらにぜひ相談したいというから聞けば、この話だ。グールの話かと思えば、人さらいの話だった。
「話す相手をちがえてるぜ。兵士にでも調べさせるべきだ」
「兵士に? ご冗談でしょう」
思わずグラヌスをふり返る。もと歩兵の兵士は、盛大に顔をしかめた。
「それも、ソロアの村だけではありません。近隣の村もおなじように」
「おいおい、消えた赤子は何人だ?」
聞いたところでは、ソロアが四人。村々を合わせると二十人は超えると男は言う。それは、おだやかな話じゃねえ。
「同郷から、もどってこいとの手紙を読めば、そこに、みなさまのことも書かれておりました。ソロア村の者と話し、私が総代として参った次第で」
男は頭をさげ、小さな布袋をだした。おそらく謝礼の銅貨だろう。
「まあ、すこし考える。今日のところは引き取ってくれ」
そうひとまず男を帰した。アトとグラヌスは受けないのか? という意外そうな顔をしている。
これは悩む。男のいうソロア村は、アッシリアの最南端に近かった。このフーリアの森も南部だが、さらに南へ下ることになる。
ここフーリアの森は居心地がよく、つい滞在が長くなった。そろそろヒックイト族のいるアグン山に帰るべき。そう思っていたところだ。
ところが、悩む暇はなかった。次の日だ。フーリアの森に、おれらがソロア村へ旅立つと口から口に広まる。そこで森の民たちが支度金をあつめやがった。
森の民は金品をあまり持たない。ひとりの額は小さなものだ。しかし、森の全家からとなると、馬鹿にできない額になる。
「ではいくか」
犬っころは当然のように言う。こいつは単純でいけねえ。
「早くいこう」
まあ、人間の少年も、そう言うだろうな。
「このドーリク、そろそろ腕がなまっておったところ」
そうだった、単純馬鹿はふたりいる。
「だあた!」
オネは、やっぱり言ってる意味がわかんねえ。連れていかねえけど。
マルカはフーリアの森へ残ってもよかったのだが、本人がいくと言いはった。まあ、猫人ひとりってのも心配か。
「ニュンペー様までいかれるのか!」
森の民が青くなった。すっかり、この森の守り神になっちまってる。
青くなる気分もわかる。マルカは、この冬でめきめきと腕をあげた。しかも火の精霊による癒やし手だ。
水の精霊を使う癒やし手が治癒の能力に長けているのに対し、火の精霊の癒やし手は毒消しなどの能力に長けていた。
鬱蒼とした森は、毒のある植物や昆虫が多い。森の民がマルカにいて欲しいのは、よくわかる。
おまけに見た目が白い毛なみだ。おれらに会うまで盗賊から逃げかくれる生活のせいで、マルカの毛はまだらに禿げてしまっていた。毛は生えもどったが、色は白くなっている。
白い毛なみの若い娘。それが精霊の癒やしを使う。森の守り神ニュンペーと崇められても無理はない。
「ぜったい、グラヌスと一緒にいく!」
だが、本人の意思は固かった。
そうこうして、八人は旅立ちとなった。
いま泉の水辺にすわり休んでいる七人をながめる。
思うのだが、いまある状況から近い未来というのは予測ができる。だいたいは、予測したなかで悪いほうへと流れる。
ところが、アトと知りあってから、悪いほうというより予測外へと事態はすすむ。
「ボンじい、アグン山を出立するとき、こうなると思ったか?」
となりにいた老猿人に話しかけた。
「ラティオよ、人生というのは、ままならぬものよ」
じじい、それらしいことを言うが、自分もさきが読めないのだろう。まあ、この賢人が読めないのだ。おれが考えても仕方がないのか。
「そろそろいくか」
おれが腰をあげると、みなもうなずき立ちあがった。
アト、グラヌス、ヒュー、イーリク、ドーリク、ボンフェラート、マルカ。
そしておれ、ラティオ。
八人の旅の仲間はこうして再び、アッシリア国の荒野へと旅立つことになった。




