第56話　フーリアの森

　アッシリア国の南部に入った。

　テサロア地方でもっとも西になるギオナ村をでて、南へと進んできた。イーリクとドーリクの故郷、フーリアの森をめざす。

　南下をつづけると、日に日に寒さがおだやかになってきた。旅をするには楽だ。子供と老婆のいる集団には特にありがたい。

　一日の歩みは遅いが、焼け落ちたギアナ村から使える食料は持ちだした。とくに急ぐ必要もない。のんびりと進んだ。

「しかし、これだけ日にちが過ぎると、もし追っ手があれば、さきにフーリアに着いてんじゃねえか」

　ラティオが笑いながら言った。馬上の若き猿人のまえには、幼子がちょこんと座っている。犬人の女の子、オネだ。

「いや、ラティオ殿、着いたとしても、おらぬと知れば、すぐに帰るであろう」

「滞在はしないか？」

「狩りをして自給自足をすれば別だが、そこまでするとは思えん」

「自給自足？　馬車で食料を積んでくればいいだろう」

　自分とラティオが話していると、イーリクが馬を寄せてきた。そのまえには男の子が乗っている。オフスだ。ギオナ村で拾った兄妹は、すっかり旅の一団に溶けこんでいた。

「ラティオ殿、フーリアの森へ馬車は入れません」

「グラヌス、山道なの？」

　急にうしろから声をかけてきたのは、猫人族のマルカ。洞穴で最初に見つけたのが自分だからか、なぜか離れようとしない。

「山ではない。それより娘、隊長を呼び捨てにするなと、いつも言っておろうが」

「だって、アトだって呼び捨てじゃない！」

「アト殿は別！」

　旅をするなかで、イーリクとドーリクはアトに一目置くようになった。もともと森の民だ。狩りには慣れているが、それでもアトの上手さは感心することが多いらしい。

　それに食べれる野草や木の実、薬草などの知識も豊富だった。これにはボンフェラートも感心している。

　マルカとオフスは、アトとボンフエラートが持つ薬草の知識をかなり熱心に学んでいた。

　マルカは商人の旅団にいたが、盗賊に襲われている。オフスはグールに襲われた村の生き残りだ。ふたりとも目の前で多くの人が死んだ。人を治すということに強く心が惹かれるのだろう。

　自分も薬草の知識を身につけようかと思ったが、早々に断られた。葉を摘んだり種を取る、といった細かい作業が雑すぎるそうだ。まったく、剣をふるしか能のない男は、なにをさせても役に立たない。

「馬車が入らねえ、だが、山ではない・・・・・・」

　ラティオが首をひねって考えている。

「まあ、それはお楽しみに、ということで」

　イーリクが微笑《ほほえ》んだ。自分はその理由を知っているが、実際にこの目で見たわけではない。話として聞いているだけだ。

　次の日になると、荒涼とした大地に木々が多くなってきた。

　進むごとに木々は増えつづけ、やがて森となった。小さな川も、あちこちに見かける。　　

「このあたりか、フーリアの森は」

　ラティオの問いにイーリクは首をふった。

「もうすこしで見えます」

「見える？」

　十一人を乗せた馬は、森のなかを進んだ。ふいに森が終わり、緑色をした大地がどこまでも広がっている。

「苔の大地・・・・・・湿原か！」

「よく、おわかりで」

「ウブラ国に湿原はねえ。ボンじいの旅話《たびばなし》で聞いたことがあるだけだ」

「うむ、しかし、これほど広大な湿原は、わしも初めて見る」

　ラティオとボンフェラートの猿人ふたりは感嘆の声をあげている。自分もおどろいていた。話には聞いていたが、これほど広いとは。

「あれが、森への道です」

　イーリクがなにを指さしているのか、すぐにわからなかった。目をこらすと見つけたのが木道だ。細い木の道が、えんえんと湿原のなかをつづいている。

「なるほど、馬車は無理だ」

　ラティオが納得の声をあげた。しかし、疑問がある。

「イーリク、あの木道へは、どうやっていくのだ？」

　進んできた道は終わっている。湿原を歩くこともできそうだが、水に浸かっている場所も多そうだった。

「それが意地悪でして。初めてきた者には、見つけれぬようになってます」

　イーリクは馬からおり、一緒に乗っていた祖母に手をのばす。昨日にイーリクと乗っていたオフスは今日、アトと一緒だった。

　イーリクと祖母はかって知ったる道、というようすで馬を引き、草むらに入っていく。

　うしろについて草むらを進むと、木道の始まりがあった。これは知っていないとわからない。意地悪だ。

　馬には乗らず、引いて木道を歩く。

　木道は細い道だった。ぬかるむ地中に杭をうち、四枚ほどの丸太や木板をならべただけの道だ。

「こりゃ、アグン山より安全だ」

　ラティオがあきれている。たしかに、外部からフーリアの森へ入るなら、必ず木道を通ることになる。森の民からすれば、だれが侵入しようしているか、遠目からでも一目瞭然《いちもくりょうぜん》だ。

　半日ほど歩きつづけると、鬱蒼《うっそう》とした森が見えてきた。

「あれか」

「ようこそ、隊長。わが故郷フーリアの森へ」

「へっ、なんもねえ故郷だけどな」

　イーリクとドーリクは軍の長い休みでも故郷には帰らない。その理由がわかった。これは大変だ。そしてドーリクが言うのもわかる。森への道がこれなら、外から入ってくる物資はないだろう。

「おかしいですね、だれの姿も見えない」

　歩きながらイーリクがつぶやいた。森の入口が近づいている。こちらから見ると、道の上には枝葉がおおっていて、まるで森に穴があいているようだ。

　思わず嫌な予感がして、アトと目があった。

「グールじゃねえと思うぜ。煙が見えねえ」

　うしろを歩くラティオが言った。そうか、いままでグールに襲われた村はすべて焼け跡となっている。では、いったいどうしたのか。

　すこし不気味ではあったが、ひとまず森へ入ってみないことには、なにもわからない。

　ここで生まれたイーリクが先頭、ドーリクをしんがりにして、テサロア地方最大の森と呼ばれるフーリアへと足を踏み入れた。